この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

木村久美子月匠は、[遊]物語講座の学匠をつとめる。しかしながら、2019年8月24日、豪徳寺の学林堂で催された師脚座にその姿はなかった。夏風邪により無念の欠席。十二綴は負の先払いからの船出となった。
八田英子律師が木村学匠から託された言葉で座を開く。赤羽卓美綴師、吉村堅樹林頭のあいさつのあと、師範と師範代が近況と抱負を述べる。ここで4つの文叢名が発表された。
◇白鯨大地文叢 岩野範昭 師範代、前原章秀 師範
◇リリス草迷宮文叢 裏谷惠子 師範代、福澤美穂子 師範
◇ニルス吉里吉里文叢 猿子修司 師範代、小濱有紀子 師範
◇百日紅ギャツビー文叢 松井路代 師範代、森井一徳 師範
2つの文芸作品の一種合成によるネーミング。キャスティングこそがイシス編集学校の講座をマネージする肝である。各チームの師範と師範代が隣り合うように席替えする。
冒頭、赤羽綴師が稽古の順番が大きく変わることを説明する。「書き手だけではなく、良き読み手を育てることも大切にしていきたい」。プロローグのお題の狙いを皮切りに、カリキュラムに沿って技法のレクチャーに入っていく。
福澤師範がトリガーショット、小濱師範が編伝1910を語る。窯変三譚の落語解説が終わった頃、サングラスをかけた松岡正剛校長がすっと入ってきた。「そのまま続けてね」とくつろいだ様子で椅子にかける。森井師範が軽快にミステリー方法を列挙する。
前原師範が幼な心のスコープの指南モデルを取り出し、手渡していく。岩野師範代と松井師範代は前綴の経験を重ねて応じる。裏谷師範代と猿子師範代はより叢衆に近い立場でクエスチョンを投げかける。稽古の取り組みやすさに目配りしながら、全員で細かな改変を検討する。
あっという前に時間は過ぎて、いつの間にか、セミの声が止んでいる。吉村林頭の進行で松岡校長とQAを交し合う。地域に火をつける方法、日本語のアヤの起源、脳と文字と物語の変遷、等々。
午後8時、セッションは白熱を増す一方だ。「お弁当を出したら」と校長が促す。雑談(ぞうだん)の空気のなか、話題はますます万象へと広がっていく。
10月7日開講!物語講座第十二綴は只今受付中。
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。