この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

僕が編集学校の門をくぐったのは、2005年2月のこと。第11期は輪読座のバジラ高橋さんと物語講座の赤羽卓美綴師が師範代をされた期です。いま思うとスゴいのですが、当時は何が何だかよくわからないまま受けていました。もちろん破には木村学匠がいらっしゃって、吉野冊師にも大音冊匠にも、感門之盟などの場で早々にお目にかかっていたはずです。
そこから遡ること2年。2003年の千夜千冊は、0690夜アルチュール・ランボオ『イリュミナシオン』で始まり、0913夜ダンテ・アリギエーリ『神曲』で終わります。その間には、ソンタグ、野口雨情、ジョセフ・キャンベル、アウグスティヌス、空海、西行、ガルシア・マルケス、マルクス、ファノン、ヴィトゲンシュタイン、陶淵明、稲垣足穂、モンテーニュ、フロイト、土門拳、ベンヤミン…などなどなどの本があります。この頃の校長の仕事ぶりは鬼神のよう。いったいどうやったらこれほどのものが書けるのでしょうか。
そんな重厚なリストの中から、2003年を語る一冊として取り上げるのは、少々地味かもしれませんが、0719夜のこれです。
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ローレンス・レッシグ『コモンズ』
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これにしようと思った直接のきっかけは、数日前のこの記事でした。最後にレッシグの名前が出てきます。
https://www.businessinsider.jp/post-214220
少々プライベートな話をすると、僕は2000年からリクルートで働き始め、当時はひたすら求人広告を作っていました。その現場では、2003年頃に紙からWebへの切り替わりが急速に進みました。たとえば、2003年に『テックビーイング』という技術者向け求人広告誌が休刊しました。今じゃ信じられないかもしれませんが、それまではITエンジニアの中途採用ですら、紙媒体が幅を利かせていたのです。日本ではアマゾンや楽天を筆頭にECが普及しだした時期で、フェイスブックはまだ生まれてもいません(2004年誕生)。
レッシグが、コードやアーキテクチャでネット上の行動をコントロールする必要性を訴えた『CODE』や、ネット上に自由を確保する方法「コモンズ(共有地)」を打ち出した『コモンズ』を立て続けに出したのはその頃でした。早いですね~。『CODE』は原著が1999年で翻訳が2001年、『コモンズ』は原著が2001年で翻訳が2002年ですから、山形浩生さんの仕事の速さも素晴らしい。そして、松岡校長が2003年に千夜に取り上げられたのも、時代をかなり先取りしていました。
だって、荻上チキさんが数日前に『CODE』を取り上げ、法改正だけに止まらない議論が必要だと語っているのですから。ある面で、僕らは20年経ってようやく本格的にレッシグに向き合うことになったんだと思います。2003年には、それが将来の問題や可能性になることが、校長やレッシグにははっきり見えていたのですね。
(もっといえば、校長は1998年の『ボランタリー経済の誕生』で早くもネット上のコモンズの可能性に触れています。)
コードやアーキテクチャの問題はとても難しいと思います。荻上さんたちの取り組みは当然だと思う一方で、こういう仕組みが監視社会を強化したり、新たな社会問題を起こしたりする可能性も大きいですから。とはいえ、ネット空間のコードやアーキテクチャを詰めていくことはもう避けられないでしょう。
一方で、イシス編集学校がインターネット上に独自の「コモンズ」を築き上げてきたことを忘れちゃいけませんよね。20周年おめでとうございます。これからもよろしくお願いします。
次は、現在の僕の冊師・まつみち冊師のご登場です~。
米川青馬
編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。