ボルダリングはギシシとオノマトペ―51[守]師範エッセイ(4)

2023/04/24(月)12:14
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人生に壁はつきもの。でも引き返したり立ち尽くすくらいなら登ってみよう。そこに新しい景色が待っているから。
開講間近の51期[守]師範が、型を使って数寄を語るエッセイシリーズ第4弾。初師範で、これが記念すべきエディスト・デビューとなる稲垣景子は、趣味の「ボルダリング」に編集の型を見つけました。


 

 受験の壁、就活の壁、昇進の壁。多くの人が、壁を乗り越えた先の新たな世界に飛び込んだ4月がまもなく終わる。人はまだ見ぬ世界に憧れて、その手前の障壁を登ったり崩したりしてきた。いつしかその目的から離れ、ただただ「登る」というプロセスに魅入られた人が集まるのがボルダリングジムだ。

 

 ボルダリングは、壁に据え付けられた「ホールド」と呼ばれる石を登っていくスポーツだが、欠かせないひとつのルールがある。登るルート(課題)ごとに使って良いホールドが指定され、目印がつけられている。それ以外のホールドには手足をかけてはならない。筋力重視のパワーゲームのように見えて、実は身体を丸ごと使ったパズルゲームなのだ。

 そのため、登る前にじっくり壁を観察し、登り方をシミュレーションする「オブザベーション」というプロセスが重要になる。壁はほとんどが90度以上。壁の途中で迷ったり悩んだりすれば、あっという間に全身の筋肉が悲鳴をあげる。それを防ぐにはまず、壁とホールドの様子に受けたアフォーダンスを自分の身体にしっかり映すこと。そして登り方をアブダクションすることが欠かせない。この二つを組み合わせるプロセスが、オブザベーションだ。

 

 その方法として、ボルダリングでは「オノマトペ」が交わされる。のっぺりと掴みどころのないホールド、申し訳程度のペラっと薄い足場、ガチガチに手足の位置が固定されそうな場所。今から登る課題をどのように「感じ(feel)」ているかを意識的に捉えるのに、大活躍する。これはオノマトペの持つ、「らしさ」や「述語」で世界を捉える力が勇躍していると言えるだろう。イシス編集学校ではオノマトペを日本語の粋とも言える表現方法だと考えており、[守]コースの終盤に満を持して登場する編集の型でもある。



▲足場は驚くほどキリキリと薄い。足を拒んでいるようにすら見える。

 

 登れそうな感覚と、決して登れなさそうな感覚との違いもまた、オノマトペにあらわれる。たとえば、こんな「のっぺり」したホールドにどう取り付けば良いか、と考えているままでは絶対にクリアできない。実際に触って、掴んで、身体を持ち上げるイメージを確かめて…と繰り返していくうちに、不意に「ギシシ」と抱え込み、摩擦で身体を壁に委ねるホールド、に変化する。こうなると、登れる確度は一気に上がる。壁やホールドといったモノの様子だけを捉えている状態からいかに、自分の関わり方込みで、すなわちモノ×カラダを組み合わせた様子を捉えている状態に変われるかがカギになる。

 


▲掌には明らかに余るホールド。掴まず「ギシシ」と摩擦で抱き込む感覚を呼ぶ。

 

 ボルダリングジムが日本で急増した2010年代後半から、日本はボルダリング強豪国としてその地位を伸ばしてきた。世界ランキングのTOP10には日本人男子が4人、女子が2人、名を連ねる。土地が狭い分、ひとつの壁にたくさんのホールドを据えて多様な登り方をイメージできるようなトレーニングが積めるからだ、という人が多いが、私はそこに異を唱えたい。豊かなオノマトペという日本語の特性が、環境×身体編集の方法が、日本人の中に脈々と息づいているからなのだ、と。

 

(アイキャッチ/阿久津健)

  • 稲垣景子

    編集的先達:小林賢太郎。季節なら夏、花なら向日葵、動物なら柴犬。プロ野球ならドラフト1位でいきなり二桁勝利。周りまで明るくする輝きと愛嬌、ガッツとエネルギーをもち、ボルダリングからラクロスまでをこなす。東大からウェディングプランナー、ITベンチャーへの転身も軽やかにこなす出来すぎる師範。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025