【三冊筋プレス】女たちの青き抜け殻(松井路代)

2022/05/22(日)10:38
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<多読ジム>Season09・冬の三冊筋のテーマは「青の三冊」。今季のCASTは小倉加奈子、中原洋子、佐藤裕子、高宮光江、大沼友紀、小路千広、猪貝克浩、若林信克、米川青馬、山口イズミ、松井路代。冊匠・大音美弥子と代将・金宗代の原稿が間に合えば、過去最高の13本のエッセイが連載される。ウクライナ、青鞜、村上春樹、ブレイディみかこ、ミッドナイト・ブルー、電波天文学、宮沢賢治、ヨットロック、ロラン・バルト、青水沫(あおみなわ)。青は物質と光の秘密、地球の運命、そして人間の心の奥底にまで沁みわたり、広がっていく。


 

 『青鞜小説集』青鞜社編/講談社文芸文庫
 『元始、女性は太陽であった』平塚らいてう/大月書店・国民文庫
 『ルリボシカミキリの青』福岡伸一/文春文庫

 
 2013年の先達文庫 

 『青鞜小説集』は2013年にイシス編集学校の33[守]師範代を務めたときの先達文庫だった。<子供の問題をかかえながらよくぞ徹してくれました。「青鞜」の女たちのラジカルでロマンチックな表現力を堪能して下さい>という松岡正剛校長のメッセージとともに贈られた。
 明治から大正にかけて発行された雑誌「青鞜」に掲載された小説のアンソロジーである。さっそく読んだ。冒頭の野上弥生子の小説「京之助の居睡」はおもしろかった。けれどもほかの作品には戸惑った。神近市は男を「魔物、獣」と糾弾する。「処女」や妊娠の話、恋に恋して結婚し、後悔に至るまでの微入り細を穿つ心理描写や、同性への淡い恋情。中高生の時に女子トークにうなづくだけで精いっぱいだったことを思い出した。
 先達文庫を「お題」として本棚に置きながら、[遊]物語講座の叢衆となった。
 物語を書くことがガラリと世界の見え方を変えるということを身をもって知った。いくつかの物語を書ききったあと、あれほど解決不能と見えていた「子供の問題」が相を変え、「編集かあさん」というエディティング・キャラクターが立ち上がった。

 9年越しの再読

 2022年の春、再読の機運を感じた。初読時は一冊だけで読んだからダメだったのだ。「青鞜」創刊メンバーで、この小説集を編んだ平塚らいてうの自伝『元始、女性は太陽であった』と、福岡伸一の科学エッセイ『ルリボシカミキリの青』と併読することにした。『ルリボシ……』は、多読ジム冊匠が選んだ「おみくじ本」である。
 三日間で一気に読んだ。ぼんやりと持っていた前知識がまるごとひっくり返った。

 一つめは、「青鞜」は「純然たる女性のための文芸誌」としてスタートしたということだった。平塚らいてう自身、婦人問題にはまだ目覚めていなかったと書いている。そもそも創刊を企てたのは年長の男性作家の生田長江だった。彼らは、日本がより近代化していくには女流文芸が盛んになることが必須だと考えていた。
 二つ目は、平塚らいてうは「禅の人」であったということだ。型にはめるばかりの女学校で鬱屈し日本女子大学に進学したものの、そこでも行われていたのは良妻賢母教育だった。辟易したらいてうは禅寺に通い始める。26歳の頃は、参禅のすえ開悟し、心身ともにもっとも調子のよいころだった。生田は未婚で、お金も時間もあったらいてうに強く雑誌編集をすすめ、らいてうは絆されて引き受けたのだった。
 三つめは、「元始、女性は太陽であった」という言葉は、いわば締め切りが書かせたものだったということだ。印刷日が迫るが、発刊の辞を誰も書かない。最終的に引き受けたらいてうが何の資料も見ず、真っ白な原稿用紙を前に、一晩で書きあげたのがあの発刊の辞だった。「日ごろ自分が考えていたことが、なんの抑圧も受けず」ほとばしり出た。

 雑誌が生んだ「新しい女」

 1909年、雑誌が書店に並ぶと、全国から熱烈な読者からの手紙が連日届き、らいてうはこの仕事に本気で取り組むようになる。発行部数は三千部に増え、原稿だけでなく、身の上相談までやってくる。書きぶりや筆跡から人柄を見ぬき、編集部にリクルートしていくのだが、同志を見つけ、水をえた魚のように元気になった女たちの、好奇心に発する言動は「新しい女」というラベルでバッシングされるようになる。
 社会主義的婦人論を載せたことから雑誌は発禁処分も受けた。とはいえ禅の人、らいてうはへいちゃらだった。禅においては善も悪もない。すべてはただ起こっていることに過ぎない。
 「私の希う真の自由解放とは何だろう。云ふ迄もなく潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させることに外ならぬ」。
 らいてうの中には女性の持つ未知の能力が外から押さえられて見えなくなっていることに対する反発の意識がくすぶりつづけていた。封建制や家父長制から解放するのではない。才能の解放の阻害をしている最も大きなものは、実は制度ではなく「我そのもの」である。教育等によって刷り込まれた既存の見方を外し、なんの夾雑物もいれずに世界と対峙することによってはじめて本来の自己が屹立する。そのとき「我」が消え、才能の「解放」が始まる。これが、らいてうが座禅と公案という禅経験から得た、一番伝えたいメッセージだった。

 ロマンティックなる「地」

 「青鞜」の編集部はいわばアマチュアの集団だった。らいてう自身が創刊号を振り返って「すべての点でいかにも素人くさいものでした」と書いている。『青鞜小説集』の作品の質の不確かさがどこに発するのか、物語講座を受け、書き手の一人になった今はわかる。
 「書きたいこと」をただ書いた作品は、おもしろいものにならない。アメリカのピュリッツァー賞作家・アニー・ディラードがいうように、書かれたものは一度捨てられなければならない。一回ごとに言葉は費い尽すこと。らいてうはそれができたが、すべての書き手たちにそれを要求することはしなかった。
 青鞜社を継続する最大の壁になったのは、若かった社員たちが結婚し、家庭の人になっていったことだった。
 らいてう自身も恋愛から共同生活に入ると、仕事と家事で自分を保つための「静かな時間」が持てずに苦しむようになる。体調もギリギリとなり、考えた末、1914年、伊藤野枝に編集権を譲り渡した。
 同年、夏目漱石の『こころ』の連載が始まっている。翌年、芥川龍之介の『羅生門』が世に出る。キャリアのある作家たちが競う文芸誌には彼女らの作品が載る余地は少なかっただろう。
 すべての編集作業が女の手によってなされた「青鞜」だからこそ、彼女らの原稿は活字になった。9年前の私が胸を熱くできなかったのは、作品という「図」だけを読んでいたからだった。平塚らいてうとその時代というラディカルでロマンティックな情報の「地」を彼女らと共有することで、ヒリヒリしながら読めるようになった。

 「我」が消える時

 併せ読みした『ルリボシカミキリの青』の著者、福岡伸一は、幼いころルリボシカミキリに心を射抜かれたことから生物学を志す。京都大学からハーバード大学に留学、「動的平衡」という概念で一躍時の人となり、その後も旺盛に研究と執筆を続けている。加えて、フェルメールの青を見るために世界中を回っている。
 福岡の仕事や趣味の中の一つですら、青鞜の女たちには望んでも簡単に叶うものではなかった。が、締切に追われて書いたという週刊誌連載エッセイの屈託のない筆致は、どこからいてうと共通するものがあった。
 圧倒的なルリボシカミキリの青の吸引力の前では、世界は青一色となり、それを見ている「我」すら消える。「書く」時にもそれが起こる。我が消えた時こそ、才能がひらかれる。青鞜社は才能をひらくこの上ない「場」であって、残された物語は彼女らの「脱ぎすてた殻」だった。
 青鞜社解散のあと、結核、生活苦、震災、戦争のなか、「新しい女」たちが、我が身と性を保ちながら生きていくことは並大抵なことではなかった。次は「『青鞜』人物事典 110人の群像」を読もうと思う。調べてみるとその本は近所の図書館で静かに読まれる時を待っていた。


<補記>
アイキャッチ画像に添えたのは、二兎社公演43「私たちは何も知らない」(作・演出 永井愛)フライヤー。青鞜社編集部の日々がモデルとなっている。宣伝動画では「元始、女性は太陽であった」がラップにリミックスされている。

▼二兎社公演『私たちは何も知らない』宣伝動画(50秒バージョン)
https://youtu.be/cKUXKfyPBEE


Info


●『元始、女性は太陽であった』平塚らいてう/大月書店・国民文庫
 『青鞜小説集』青鞜社編/講談社文芸文庫
 『ルリボシカミキリの青』福岡伸一/文春文庫


◆多読ジム Season09・冬◆

∈選本テーマ:青の三冊
∈スタジオしゅしゅ(田中睦冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):一種合成


『元始、女性は太陽であった』
              >『青鞜小説集』
『ルリボシカミキリの青』

 


  • 松井 路代

    編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。