千悩千冊0009夜★「編集技法の『アケフセ』の使い方がわかりません」40代女性より

2021/01/13(水)11:24
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編集学校ヒトケタ世代の師範さん(40代女性)のご相談:
編集学校歴20年になろうという今、誰にも言えなかった悩みをカミングアウトします。最もポピュラーな編集技法のアケフセ、あれの使い方がわかりません。どうしても伏せておくことができないのです。サッショー、コツをご指導ください。

 

サッショー・ミヤコがお応えします


あけましておめでとうございます。これも伏せておいていただいたおかげです。でも、「伏せる」って一体何をどうすることなのでしょう。「隠す」や「遮る」「包む」とはどう違うの?あら、ヒトケタ世代師範さんだけじゃなくサッショーも、「伏せる」が本当にできてるのかどうか、とても気になってきました。

 

はい。迷ったときは語源頼み。白川静先生の「字訓」に尋ねてみました。

 

「ふす」はうつむいて下に身を接する姿勢。ものを拝するとき、また屈服するときなどの姿勢であり。ものが隠れ伏せることをいう。
「伏」の字は人と犬の組み合わせ。墓室の棺の下に人牲と犬牲を埋め、地中にひそむ悪霊を祓うこと。埋めるの意味からのち「かくす、ふせる、ふす」、服と通じて「したがう」の意味なのだそう。
対象のものが視界から隔てられて見えない「かくる」や、進もうとする勢いの前方をせきとめる「さいぎる」、何らかの禍によって妨げられる「つつむ」とは、相当違いますね。

おそらく「アケフセ」は、ニュースショーのように、フリップボードに隠蔽したキーワードをめくっていく動作ではないと考えられます。つまり、「伏せる」って秘匿ではなく、むしろ伏線や伏兵など、大切なお宝を(相手が見つけられるように)しのばせておくことをいうようなのですね。

 

千悩千冊0009
佐藤信夫
『レトリック感覚』講談社学術文庫

 

 

「伏せ」の見当がついてきた以上、ことばの「あや」の中に折り畳んでいく意味にこそ、その骨頂はあるのでしょう。本書では、「一本調子にすじみちだけを云へば、甘味も辛味も無い事が、言表の態度を変へれば、かやうにいろゝの面白味を生じて来る」(五十嵐力)フィギュールのあやなす力に注目。古代ギリシアから伝わるレトリックの技法と日本の修辞法を対照し、夏目漱石以降の近現代日本文学から豊富な用例を引きながらさまざまな意味を照らし出します。直喩、隠喩、換喩、提喩、誇張法、列叙法、緩叙法と何をどう伏せていくかの研究に役立つ一冊。用例を読んでいくだけで、その場に伏せたくなることうけあいです。

 

     隠し味よりもっと効くコトバの伏せがダシどっせ

 

◉井ノ上シーザー DUST EYE

編集学校の師範として、開け伏せができないとは大変な欠落ですが、編集技法を使えば一発で解決できます。

思いのたけをすべて晒すヒトケタ世代師範さんの性は止められない。ならば、開けた情報に「とはいえ…」とか「なーんちゃって」と付け加えて、無理やりにでも展開を図ることです。
開けたら別の顔が出てくるマトリョーシカみたいなものですね。

 

 

 

例えば、あなたが「戦争反対!」とか、開け開けな、“そのまんま”な発言をしてしまったとする。そこで、「戦争によってテクノロジーが深化したと側面もある」という理知を装ったしたり顔や、「『戦争反対』は主題です。21世紀は方法の時代です」といった編集工学を応用した煙の巻き方を付け加えてみることです。
それは、あなたには不実と映るかもしれない。
ですが、ホントとツモリを行き来しつつ、「たくさんのわたし」を煌めかせる「擬き」に徹すること、それ“も”編集ではないでしょうか。

 

「千悩千冊」では、みなさまのご相談を受け付け中です。「性別、年代、ご職業、ペンネーム」を添えて、以下のリンクまでお寄せください。

 

 

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。