千悩千冊0010夜★「『病歴を他言するな』は理不尽ではないでしょうか」40代女性より

2021/01/30(土)10:37
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猫山ミケ子さん(40代女性)のご相談:
以前、夫ががんになり、幸い治ったのですが、義理の母より「妹の縁談に差しさわりがあるから他言してはいけない」と言われ、「人為的な理不尽」を感じました。コロナ関係のニュースにふれて記憶がよみがえってきました。病気を忌むあまりに、余分な不幸が増えているように思います。21世紀も20年を過ぎた今、まだ何が足りないのでしょうか。

 

サッショー・ミヤコがお応えします

「理不尽」! この3文字ほど現代日本をがんじがらめにしてるものはないのではないでしょうか。試しに「理不尽」をキーワードに図書検索をしてみると…出るわ出るわ。中高の校則・生徒指導・部活指導、体育会系の根性論、大学改革案、就活女子学生にとっての会社社会、コンビニの仕入れや出版流通、前座修業に戦争裁判、道路建設も釣り禁止も、中世人の法意識も薩長軍も突然襲ってくる不幸も、みんな「理不尽」の形容がつけられています。

 

 

スポーツなどは理不尽のはびこる巣のようですが、故平尾誠二氏には『理不尽に勝つ』という著書がありました(PHP研究所)。前にあるゴールを目指しているのに、前にボールを放ってはいけないラグビーを例に、「ゲーム性を高め、楽しみを倍加させるため、理不尽なルールが設けられたのでは」という考察には、膝ポンです。また別の言いかえ方では「不条理」。たどり着けないお城の周りをずっと歩いている『城』カフカ(新潮文庫ほか)なんて、ラグビー顔負けの理不尽さです。

かくのごとく、とかく世の中は理不尽の連続、とくに「義理の間柄」というもの、理不尽を媒介するスーパースプレッダーと呼んでも過言ではありません。それは、単に不条理・不合理だからというより、相手が「高圧的」「高飛車」なことが多く、こちらからは「お門違い」だの「筋違い」だのと言ってやれないからなのでしょう。スポーツのルールもそうですが、理不尽は「逆らっても仕方のない相手」と言いかえられそうですね。

 

千悩千冊0010

シモーヌ・ヴェイユ

『重力と恩寵』岩波文庫

 

光合成をして生きられないのが人間の「あやまち」のもとだと考え、逆らっても仕方のない理不尽に対する方法を模索しつづけたのが、1909年のパリで医師の一家に生まれたシモーヌ・ヴェイユでした。『重力と恩寵』は、次の一文から始まります。

 

  たましいの自然な動きはすべて、
  物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。
  恩寵だけが、そこから除外される。

 

短い生涯をかけて「低いところ」を求めた彼女のことばを噛み締めていくと、21世紀も20世紀前半も変わりないことがわかってくると思います。

 

    上を向いて歩いてると、いろいろつまずくこともある

◉井ノ上シーザー DUST EYE

 

一見して、「何かが足りない」よりも「何かが余計だ」と察しました。
あなたの義母が体現しているのは“世間”です。“世間の目”を排除できれば、あなたの悩み事も理不尽も怒りも収まります。

ですが、“世間”は、そう簡単に捨てられるものでもないでしょう。

複数の共同体にゆるやかに所属することで、“世間の同調圧力を相対化する”という戦術があります。とはいえ「コロナ禍と世間」までを射程に入れると、有効的でもありません。

 

コロナといえば、「様々な近代社会の前提を崩しているよなー」とわたしは思い、「では、そもそも近代ってなんなのよ?」と、夏目漱石の『私の個人主義』をひも解き、「ほほー」と唸りました。

 

 

ロンドンで思想的袋小路に陥った漱石は「文学の概念を自力で作りあげる」「自己本位」の立場から再出発しました。それまでは自分の文学観に確信が持てず、右往左往していました。漱石も、物語マザーを地で行く格闘の末に、文豪へと変貌を遂げたのです。
漱石同様に、「義母との関係」や「世間」についての徹底的な概念工事を試みると、鬱々とした気分は軽減されるかもしれません。「自分本位」という構えも捨てたものでもないでしょう。根本的な解決にいたらないにせよ、です。
ですが、漱石はこのようにも述べています。

「自分は天性右を向いているから、彼奴(あいつ)が左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。」

まさしくそうですね。
昨今は、声高で不寛容な言説に耳目が慣れてしまいそうです。それではいけない。
同時に、世間的な同調圧力とは、自分にも他人にも個性を認めないものです。
多重多層にやっかいですな。

 

「千悩千冊」では、みなさまのご相談を受け付け中です。「性別、年代、ご職業、ペンネーム」を添えて、以下のリンクまでお寄せください。

 

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。