【太田出版×多読ジム】チンコは女性にとって最後の未知(米川青馬)

2022/08/18(木)10:00
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多読ジム出版社コラボ企画第一弾は太田出版! お題本は「それチン」こと、阿部洋一のマンガ『それはただの先輩のチンコ』! エディストチャレンジのエントリーメンバーは、石黒好美、植村真也、大沼友紀、佐藤裕子、鹿間朋子、高宮光江、畑本浩伸、原田淳子、細田陽子、米川青馬の総勢10名。「それチン」をキーブックに、マンガ・新書・文庫の三冊の本をつないでエッセイを書く「DONDEN読み」に挑戦しました。


 

『それチン』のチンコは想像上のチンコ

 阿部洋一『それはただの先輩のチンコ(それチン)』(太田出版)は、若い女たちが、好きな男のチンコを小便器ギロチンで切り取って、チンコを自分のものにする、という短編マンガ集だ。各話は独立しており、チンコをコレクションする女、浮気した彼氏のチンコを奪う女、同級生のチンコが自分についてしまう女などがそれぞれ登場する。なお、切り取られたチンコは何度か自然と再生する設定だ。

 『それチン』のチンコは、想像上のチンコだ。当然ながら、本物のヒトのチンコは決して再生しない。切り取られたチンコが自ら動いたりもしない。このチンコは、好きな相手の一番大事なものを奪いたい、という恋愛欲を表している、と考えるのが素直な解釈だろう。

 つまりはフェティシズムそのものだ。ポール=ロラン・アスン『フェティシズム』(文庫クセジュ)によれば、フェティシズムとはもともと「ものを信仰すること」を意味する。「信仰の対象物が、神体化された生物または無生物、神徳を授けられた何か(神託、護符、お守り)になってしまった宗教の形態」だ。転じて性愛的フェティシズムとは、好きな相手の一部分、たとえば足や靴や髪や鼻のつやを信仰し、欲情することだ。『それチン』は、チンコフェティシズムマンガである。

 

[阿部洋一]のそれはただの先輩のチンコ

『それはただの先輩のチンコ』阿部洋一/太田出版

 

 

男のチンコを可愛がることで男から逃げる

 『フェティシズム』によると、フロイトはフェティシズムを「『性的おびえ』の現象であり、『性的発達の過程における退行』」だと捉えた。フェティシストは性を怖がっており、相手の一部を愛することで性行動そのものを避けている、というのだ。

 たしかに、『それチン』はどこもかしこもチンコばかりだが、実は生々しい性行動の表現は少ない。チンコはペットのような「消耗品的な愛玩物」として描かれる。チンココレクターの佐々木は、大量のチンコに囲まれて安心する。浮気した彼氏のチンコを奪ったミチエは、彼は信頼できないが、チンコなら信頼できる。つまり、彼女たちは一番大事なものを奪いたいほど男が好きだが、一方で男のことが理解できず、正面から向き合うのが怖いのだ。裏切られるのが怖いのだ。彼女たちは、好きな男と対峙することを避けるために、相手のチンコを切り取って可愛がる。チンコフェティシズムマンガは、恋愛異性恐怖マンガでもある。

 異性恐怖を乗り越えようとする女たちも出てくる。ミチエは最終的にふたたび彼と付き合って結婚する。同級生のチンコがついてしまった相沢は、「男の子にとって初めての射精がどれほど未知で恐怖で孤独なものなのか」を思い知り、男を少し理解する。最後の短編は、チンコを自分のものにした東堂先輩が死んでしまう坂下の物語だ。坂下は、先輩の亡骸に「好きです」と告白して、ようやく先輩と向き合う。

 

『フェティシズム』ポール=ロラン・アスン/文庫クセジュ

 

 

好き、怖い、知りたい、征服したい、めちゃくちゃにしてほしい

 『欲望会議』(角川ソフィア文庫)では、千葉雅也・二村ヒトシ・柴田英里がこんなことを話し合っている。「多くの良識的な男女が『支配されたい・したい』とか『暴力的に扱われたい・扱いたい』という一見非合理な欲望を隠し持っている」「セクシュアリティの本質は、とにかくめちゃくちゃにされて、自己破壊を快楽に転化することだ」「薄暗さのなかにあるセックスや祝祭のほうが人間の本質だ」。その通りだろう。当然、そうした薄暗いセクシャリティは快楽であると同時に恐怖でもある。チンコフェティシズムは、その恐怖から逃れる方法のひとつだ。

 面白いのは、『それチン』がチンコという隠れた汚いものを崇拝物にしたことだ。僕には、それが明るくキレイな現代社会への反動に見える。「あらゆる文化ネタが、もう出尽くしてしまったということと、みんなが共感の時代になっているということは、たぶんイコールだと思う。要するに、未知がないわけですよ」と千葉は語る。チンコは、女性にとって最後に残された薄暗い未知のひとつではないか。チンコフェティシズムは、単なる異性恐怖だけでなく、未知を覗きたい、自己を壊したい、男を理解して支配したい・されたいという欲望の捻れた現れでもあるのではないか。

 つまり、チンコフェティシズムには「好き」と「怖い」と「知りたい」と「征服したい」と「めちゃくちゃにしてほしい」が一緒くたに入っているのだ。『それチン』は、一見そうは見えないが、実は若い女性たちの恋愛感情の奥底を的確に捉えているのかもしれない。

 

[千葉 雅也, 二村 ヒトシ, 柴田 英里]の欲望会議 性とポリコレの哲学 (角川ソフィア文庫)

『欲望会議』千葉雅也、二村ヒトシ、柴田英里/角川ソフィア文庫

 

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕
∈『それはただの先輩のチンコ』阿部洋一/太田出版
∈『フェティシズム』ポール=ロラン・アスン/文庫クセジュ
∈『欲望会議』千葉雅也、二村ヒトシ、柴田英里/角川ソフィア文庫

 

⊕ 多読ジムSeason10・春 

∈選本テーマ:版元コラボエディストチャレンジ
∈スタジオらん(松井路代冊師)

 

 


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。