[interview]『うたかたの国』編集者 米山拓矢に聞くうたの未来【は】
700年後の返歌待つ

2021/05/14(金)09:24
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※中編【ろ】『擬』もどいて、セイゴオくどくからのつづき


■日本を歌で読むという事件

 ノスタルジーとエキゾチズムの国ニッポン

 

ーー「うた」で校長の文章を再編集されたというのは画期的な事件だと思います。「日本は歌が先行している」という校長の言葉を象徴するように、この本は通史的に歌の変遷を辿れるようになっていますよね。

そうですね。変遷を辿る本というのは、あるにはあるんですが、松岡校長のように数寄の系譜をふまえつつ、さらにたくさんの自由な見方が入った本はなかったかと思います。

 

ーーいまの詩歌の世界はジャンルが細分化されていますものね。

そうなんです、この本をきっかけにいろんなミックスが起こればよいのではと思っています。今回の本ではそこまで触れていませんが、アンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』にあるように、動物の四足歩行から人間の二足歩行になる過程で、腕が自由になり、喉が自由になり、言葉の獲得が起こりました。松岡校長の歌語りは、こうしたこともふまえたうえでの「声」であり、「歌」であるというおもしろさです。

 

ーー完成した『うたかたの国』には「日本は歌でできている」というサブタイトルがありますが。 ここに込められていることを米山さんの言葉で言いなおすとどうなりますか。

一つは「ノスタルジーとエキゾチズム」でしょうか。僕は、折口信夫が面白いと思っているのですが、じつは澁澤龍彦『高丘親王航海記』で同じことをテーマにしているんですね。それはつまり、まれびとが来る海を見て懐かしく感じ、どこか遠くへ行きたいと願う。どこかへ帰りたい、どこかへ行きたいということを日本人はずっと考えていて、この思いが歌に染み付いているのではないかと思いますね。

 

ーーたしかに、ノスタルジーとエキゾチズムは表裏一体という感じがします。 異郷に原郷を見る、異郷に私たちの原郷が残存しているというロマンは古代からもっていたでしょうね。予祝、祝祷としての歌から、律令国家になり始めた万葉後半にはすでに寄物陳思、物に寄せて思いを陳べることで懐旧している。中世になると能因法師の足跡を辿る西行、またそれを巡る芭蕉と古を偲ぶことが続いていく。さらに近代になると、さきほどの折口や澁澤のようにだいぶ遠くの島に感じるしかなくなってきますよね。

歌のもともとの役割は鎮魂ですよね。それが連綿と続いてきたのに、それがぷっつりと途切れてしまったのが現代です。靖国神社を語れないし、盆踊りも形骸化してしまった。その現代において、やはり昔の歌を知ることで、いまとはまったく違う考え方があったことを知るのは大事だと思います。

 

 

■日本の文化は700年周期

 その先にある将来のために

 

ーー歌には中世以降の連歌のような、座の文化もありますよね。その座の文化を日本は歌で作ってきたという見方もできると思います。現代もみんなカラオケには行って歌ったりはするんですけれど(笑)、歌が文化になって日本を作ってきたといっても、いまは短歌を詠む人はそんなにいないし、連歌で歌仙をまこうという人も珍しい。米山さんは、現代の歌はこれからどうなっていくと思われますか。

自分が生きているあいだに答えは出ないんじゃないかと思っています。
「令和」の年号を作られた万葉学者の中西進先生が、「日本歴史の七百年周期説」を唱えておられるんです。「わが国は七百年単位で繰り返し国づくりを行ってきた」と中西さんは書いています。中国から輸入された文字文化を消化して、源氏物語が生まれるまで長い時間を要しています。ならば、我々が西洋の文化を消化するのも、明治から数えて数百年はかかるのではないかと思っています。
似たようなことは、能楽師の安田登さんもおっしゃっていました。邦楽の世界でも、本当の音が出るのに50年かかる太鼓というのがざらにあるらしいんですね。安田さんは、「能をやっていていちばんよかったと思えるのは、自分の成果を気にしなくてよくなったということです」と書かれていて、それを読んで僕もなんだかほっとしました。すぐに答えはでないだろうから、だからこそ、引き継ぎ、伝えていくということが大事なんだろうなと思います。

 

ーーたしかに古代のグローバリズムでは、中国から入ってきたものを日本化するのにすごく時間をかけていますよね。一方で、明治維新では西洋に習っていこうと一気に変更をかけていき、戦後さらに急速に西洋化していった。現代はグローバル化が否応なしに進んでいく時代です。ますます時間の流れは加速し、古代に中国の文化という外来コードを内生モードに編集できたような長いタイムスパンでは、日本の本来を見直していられない状況に置かれているようにも思います。

さきほどの折口に戻れば、こう言っているんですよね。「なぜ戦争に負けたのか、それは宗教で負けたのだ」と。日本は、科学でも思想でやられたのではなくて、キリスト教に負けた。明治になって、戦地で死んだら軍神になるなど神様のありかたさえ変えてしまったからまずかったんだと言っているんです。だから、歌を考える、継承していくうえでも、この日本の心のよりどころの根っこを考えていく必要があると感じますね。

 

ーー歌を考えるうえでは、『日本語が滅びるとき』を書いた水村美苗さんのように日本語や言葉ということを考えざるを得ないですね。米山さんの短歌の師匠は、春日井健の弟子でもあった大塚寅彦さんだとうかがいました。大塚さんは旧仮名づかいを重視なさるとのことですが、言葉の問題については米山さんはどう考えられていますか?

このあたりは複雑な思いがあります。旧仮名づかい、なかなか使いこなせないんですよ。現代の生活様式になってしまっているから、着物を着て、旧かなづかいで歌を読み、二十四節気を意識して暮らすというのはやはり難しい。旧仮名について考えると、校長に「着物を着なさい」と言われるのに似た葛藤があります。なんといいますか、生まれたら世界はもう変容してしまっていて途方にくれるナウシカの気分ですよね。それでも、先人と同じようにはできないかもしれないけれど、自分なりに試行錯誤していきたいと思います。

 

 

■失われた声を取り戻すために

 歌と声とリテラシーの関係

ーー(同席していたエディスト編集部・上杉公志が声をあげる
上杉:旧かなに関しては、福田恆存さんの千夜などを読んで衝撃を受けた記憶があります。僕は音楽を生業にしているので、どうしても歌と向き合う必要があるのですが、歌と声の関係はどう思われますか。

一般的には、前田愛さんが『近代読者の成立』で書かれているように、昔の人間は音読をしていたけれど、現代は黙読になり、文字を手に入れた代わりに声を失ったと言われていますよね。でもその言説には僕はすこし疑問があるんです。

仕事で関わっていると、新書が一冊通して読めないとか、分数がわからないなど読み書きのリテラシーが非常に低い子が多いように感じます。もはや、文字も声も失っている。教科書を作っている自分としては、新井紀子さんの『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)のような危機感が強くあります。

 

だからたとえば、子ども食堂で素読塾のようなことができればと思いますね。このようなリテラシーの低い子に対して、僕は非常に共感を覚えるんですよ。というのも、自分がそうだったわけですが、勉強ができない子って家庭が荒れている子が多いです。だからこそ、子ども食堂のような場で文学や作品にふれる機会があるといいなと。

 

ーー(エディスト編集部・梅澤奈央が尋ねる)

梅澤:素読ということを聞いて思ったのですが、この『うたかたの国』は歌を扱っているんだけれど、書籍なんですよね。なんとか、ここにに掲載された歌をボーカルに乗せて聞きたいなあ、歌い方が知りたいなあと感じています。米山さんが歌を読むときは、文字から声が聞こえるんでしょうか。

声が聞こえるようになるといいなと思って、歌を読むときは音読しています。歌には、5・7調と7・5調などがあるように、どこで切って読むかで、歌の印象はまったく変わります。ちなみに、折口の歌には「、」「。」が打ってあるんです。これは、現代の人は歌のしらべがわからなくなってしまったから、見た目はあまりよくないけれどしらべを取り戻すために便宜上どうしても必要なのだと言っています。

 

ーー梅澤:インタビュー前半で教えていただいた折口の歌も、句読点がありましたね。

ええ。あとは、いま、藤井貞和さんの大著『〈うた〉起源考』(青土社)を読んでいます。知人に紹介してもらった本なんですが、これもすごい歌の本で、万葉仮名の音の表記に込めた古代人の思いを読み取る試みをしているんです。

ほかに例を出すならば、いぜん風韻講座の小池宗匠に教えてもらったんですが、昔の歌人たちが自分の歌を読んだCD集があるんですよね。いまYouTubeで一部聞けるようですが、それを聞くとみんなバラバラ。折口信夫はすごく早口で、斎藤茂吉はゆっくり。区切る場所も人それぞれで、みんな好きなように読んでいます。そういう音読も、それぞれの個性で、それぞれの理解の仕方だったんですよね。

 

ーー梅澤:なるほど、歌い方も人それぞれでいいんですね。私は読み方にも唯一の正解があるのかと想定していたのかもしれません。
さきほどリテラシーの話もでましたが、私は『ホスト万葉集』(講談社)を読んで、これからの歌について希望を感じていました。この本はホストが詠んだ歌を集めたものですが、ホストたちってLINEを駆使してお客さんと駆け引きをする。その短い言葉は短歌にも通じるのではないかという仮説のもと、この本が編まれたようなんです。私たちは旧仮名は使えないし、難しい本も読めないかもしれないけれど、LINEは使える。この時代に新しい歌の形があるのではと私は思うのですが、そのあたりいかがでしょうか。

そうですね、松尾芭蕉のいう不易流行ではありませんが、うわべは変わっても本質的なものは残っていくと思います。『うたかたの国』がここまで反響を呼んだのもおどろいているんです。松岡さんが掘り下げてきた日本文化に対して、まだまだ関心が薄れていないことには手ごたえを感じます。

昔の古典を見ていると、時代ごとに波があるようなんです。勅撰和歌集も古典の物語も、いい作品の多い時代があれば、はかばかしくない時代もあるそうです。それぞれが自分の生まれた時代のなかで、いまできることをするしかないと思います。松岡校長の言葉に「用意と卒意」というのがありますが。こつこつと用意することを心がけていますね。

 

■編集プロセスこそがおもしろい

 やりたいことは声に出して

 

ーー吉村:次代への用意のひとつがこの本なのですね。ここまで『うたかたの国』プロジェクトの前・中・後をうかがってきましたが、「後」としてはこれからも歌にまつわるプロジェクトを手がけていかれるのでしょうか。

はい。つぎに取り掛かろうと考えているのは、歌人・岡野弘彦さんの仕事を知ってもらうことです。岡野さんのアンソロジーも作れたらいいなと思っていて、『うたかたの国』の編集作業が終わったときから着手していました。原稿はほぼ入力が終わっていて、これから構成を詰めていくところです。いっぽうで、『うたかたの国』の発刊がきっかけになって、岡野さんのある連載記事の存在を教えてもらいました。それは、岡野さんの大学生時代のライフワークで、「伊勢の国魂を求めた人々」というテーマ。記事は三重県の地域文化誌に掲載されていたものです。これを本にしてさらに世に広めるべく、関係者にアプローチしているところです。

 

ーーもう次なる計画が進んでいるんですね。
この本が完成して、たしかにうれしかったんです。以前校長に伝習座で言われたことがあるんです。宮本武蔵の『五輪書』をひきながら「いつまでたっても君たちは、『渡』を越えてこないじゃないか」と。いつか渡れたらいいなと思っていたものを渡った気分だったんです。

でも、じつは本を作っていくプロセスのほうがおもしろかったんですよね。このおもしろさを味わうと、やめられないですね。だから校長はこんなにも本を連打するのかとあのエンジンの秘密の一端を垣間見た気分です。

 

ーーみなさんもそういうプロセスを味わったほうがいいよ、という先達としてのエールですね。
この本については、なんの勝算もなく始めたんですよね。自分ひとりで考えていたものが、だんだんと形になっていった。力を貸してくださったみなさんのおかげで、本当に感謝しています。

みなさん一人ひとりにとって、なにが校長のおっしゃる「渡」なのかはそれぞれですが、身も蓋もないことを言えば、やれるときはやれるし、できないときはできない。だから、とりあえずはできる範囲で用意してみる、声に出して人に話してみることが大事かなと思います。『うたかたの国』の編集を通して自分の未熟さがよくわかったので、これからもこつこつ用意をしていきたいと思います。

【完】


 

■こぼれ話

 新米パパはインデックス読書に冷蔵庫指南

10年ほどまえ、米山は22[守]まれびとフラクタル教室の師範代を務めていた。2009年当時、息子がうまれたばかり。時間のないなか、指南を考えるのは冷蔵庫の前。プリントアウトした回答をマグネットで冷蔵庫に貼り付け、立って赤子を抱いたまま回答を読んだという。

もちろん、集中して読書などもできない。そのときになんとか本を読むため考案された方策が、インデックスシールを貼っていく読書法だった。インタビューの終盤、米山が書棚からもってきたのは、キーワード・ホットワードごとにシールが貼られ、辞書のようになった『花鳥風月の科学』をはじめとする参考文献。やむにやまれず生み出したこのインデックス読書法が10年後、はからずも『うたかたの国』編集で役立った。時を超えた用意だった。

 

 

[interview]『うたかたの国』編集者 米山拓矢に聞くうたの未来

【い】古文嫌いの少年時代(2021/5/8公開)

【ろ】『擬』もどいて、セイゴオくどく(2021/5/11公開)

【は】700年後の返歌待つ(2021/5/14公開)

 

図版構成:梅澤奈央


  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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