井上雄彦 求道者の困難【マンガのスコア LEGEND17】

2020/11/15(日)10:15
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 いやあ、ずいぶん待たされましたね。『リアル』15巻がとうとう発売されるそうですよ。11/19発売予定だとか。

この前の14巻が出たのが2014年12月なので、六年近く待たされたことになります。さて今回は、そんなお待たせマンガ家・井上雄彦先生を取り上げることにいたしました。

 

■売れるほどに少なくなる?

 

 かつてマンガ家は、売れっ子であればあるほど、作品の数が多いものでした。手塚治虫にしろ、石森章太郎にしろ、多ジャンルにわたって膨大な作品を描いていますね。

 ところが、今ではそれが逆転してしまい、売れれば売れるほど作品が少なくなる、ということが起こっています。分かりやすいのが諌山創先生ですよね。デビュー以来、十余年『進撃の巨人』しか描いていません。売れてしまうと連載が長期化し、作品数が少なくなります。売れないと連載が終わり、次から次へと弾を撃たなければならなくなるので作品数が多くなってしまいます。

 井上雄彦先生は、現代型の、売れっ子で作品数の少ない作家の典型例です。全盛時代の「少年ジャンプ」を支える主力作品だった『スラムダンク』は全31巻にわたる長期連載となりました。その後、『リアル』、『バガボンド』という大型連載を、たてつづけに開始しましたが、そのどちらも、いまだ終わっていません。作歴を細かく見ていけば、いくつかの短編と、短い連載もありますが、基本的に上記三作に尽きていますね。

 今回は、そんな井上雄彦先生の、最初の大ヒット作である『スラムダンク』から模写してみようと思います。

 

井上雄彦「SLAM DUNK」模写

(出典:井上雄彦『SLAM DUNK29』集英社)

 

 陰影の表現をトーンではなく(トーンも併用していますが)エッチングの線刻のような【細かい斜線】で表現しているのが特徴的です。細かな線描による陰影の処理は、ニューウェーブ系の作家や、のちの松本大洋にもありましたが、それを井上雄彦は独特のやり方で自家薬籠中のものとし、スポーツ選手のゴツゴツした肉体の質感をみごとに表現しています。

【動線】の使い方も、きわめて禁欲的で、人物の邪魔にならないように、背景に埋没させています。動きの激しさを強調するために、輪郭のブレやゆがみを意図的に強調するのが、普通のマンガの常道ですが、『スラムダンク』の絵は、非常に輪郭のくっきりした線で、まるで高速度撮影による【静止画】を見ているようです。

 作者の意識は、どこまでも重みと硬さを備えた肉体のリアリティの方に向かっていて、スピード感を多少犠牲にしてでも、マテリアルな質感を描ききりたいという欲望に駆動されているようです。

 

 井上雄彦の、こうした独特のタッチは『スラムダンク』の末期で、一応の完成を見たとみることができます。その後、『リアル』『バガボンド』では、このタッチをいったんほどいて再構成し、それまでの彫像のような硬質なタッチに、荒さや雑味なども加えて、スピードとエロスの方に舵を切っていくのです<1>。

 

■だんだん「絵師」になっていく

 

 井上雄彦といえば、なんといっても「少年ジャンプ」の看板作家であったことを忘れてはなりません。

 全盛期の「少年ジャンプ」は、毎週600万部以上という凄まじい売れ行きを示していました。1995年3、4合併号では、最高部数653万部という、とんでもない発行部数を叩き出しています。そんな中、『スラムダンク』は『ドラゴンボール』などと並ぶ、この時点での主力作品の一つでした(ちなみに、この合併号の巻頭カラーは『スラムダンク』です)。

 96年の連載終了時、井上雄彦29歳。いわば井上は、若くして一度、天下を取ってしまっているのです。

 

「ジャンプ」の修羅場から降りた井上先生は、まるでその反動のように、次の二作品では、かなりゆったりしたペースで作品を執筆しています。特に『リアル』の方は、スタート当初からの不定期連載で、かなりのんびりしていますね。刊行ペースもさることながら、物語の進み具合も異様に遅いので、ほんとに完結するのかな、と心配になってきます。

 一方の『バガボンド』も、最初の方こそ快調に飛ばしていましたが、しだいに掲載ペースが落ちていき、とうとう2014年の37巻を最後にストップしてしまいました。そして、いまだ再開する気配はありません。

 

 井上先生は、かなり絵にこだわるタイプで、次第にマンガ家というより「絵師」という風情が濃厚になってきました。

『バガボンド』に描かれる武蔵の剣の道と、井上雄彦の<まんが道>は、きれいなパラレルを描いているように見えます。真摯にストイックに、マンガの道を究めようとするあまり、井上雄彦の創作へのモメントは、いつしかマンガというメディアの枠を超えて、別の方向に向かうようになっていきました。

 井上は、マンガ執筆の合間に、円空仏を巡る旅に出たり、ガウディの建築に魅せられてスペインに滞在するなど、テレビのアート番組などで、そのお顔をお見かけすることが多くなりました。『スラムダンク』の初期の頃のことを思えば、ずいぶん遠くへ来たような気がします。

 

(井上雄彦『pepita』日経BPマーケティング/『円空を旅する』美術出版社)

ガウディと円空仏

 

■目を見張る大進化

 

 おもえば、連載当初の『スラムダンク』は、絵もストーリーも「ジャンプ」の新連載としては一応の及第点といったレベルで、特に可もなく不可もない印象でした。それが6年の連載期間中に、みるみる進化していくことになったのです。

 特に画力の進歩にはすさまじいものがありました。最初から決して絵の下手な人ではありませんでしたが、まるで個性のない絵で、こんな絵を描く人が、のちにその道の求道者のような風情を醸し出すようになるとは予想もつきませんでした。

 

(井上雄彦『カメレオンジェイル』①集英社)

成合雄彦名義の初連載作

 

 作劇の進歩にも目を見張るものがあります。最初はヤンキー成分の濃厚な無頼派スポーツマンガとして始まった『スラムダンク』でしたが、みるみるうちに本格的なバスケマンガとして成長していきました。バスケットボールという、当時としてはかなりチャレンジングな題材を、みごとに新たなスポーツマンガのプロトタイプとして示して見せたのです。

 

 それまでの「少年ジャンプ」のスポーツマンガといえば、リアリティ無視の「やりすぎマンガ」のオンパレードでした。たった一試合の中で、死人や廃人が続出し、カオスのるつぼと化す『アストロ球団』、リング上で銀河系レベルのミラクルパンチを応酬し合う『リングにかけろ』などなど、とにかくもう徹底的に馬鹿をやるのがジャンプ式だったのです。

 80年代の『キャプテン翼』だって、まだまだ十分、荒唐無稽なものでしたが、『スラムダンク』の登場により、リアリティのレベルがいっきに引き上げられることになったのです。

 

■無茶を承知の「一乗寺下り松」

 

 ところで2014年末以来、連載が休止していた『リアル』ですが、昨年5月より突然再開されて話題になりました。その後も不定期ながら順調に掲載が進み、いよいよ今月新刊が出ることになったことは冒頭に述べたとおりです。

 そうなると気になってくるのは、やはり『バガボンド』です。この作品も連載を休止してから、すでに6年以上が経過しています。

 

『バガボンド』は、当初から井上雄彦がむやみと気合いを入れて描いてるのがわかる作品でした。宮本武蔵という手あかのついた剣豪物語を、ここまでみごとな大ドラマに仕立てあげてしまった井上の技量はさすがだなと思います<2>。『スラムダンク』で最高度のレベルにまで高められた画力に、さらに一段と凄味が加わったのは、あきらかにこの作品のおかげでしょう。

 

 現在37巻まで刊行されている『バガボンド』の中で、最大の問題シーンは、26、27巻にわたって繰り広げられた一乗寺下り松のエピソードです。

 伝承では、宮本武蔵はここで吉岡一門、数十人の敵をたった一人で斬り伏せたことになっています。これはまあ、講談物語につきものの誇大なおとぎ話に過ぎないでしょう。チャンバラ時代劇では、たった一人で向かい来る敵をバッタバッタと斬り伏せるシーンは一つの紋切り型となっています。

 しかし、『バガボンド』のリアリティラインで、七十人の人間を斬るのは、あきらかに無理があります。ここはもう少しリアルな設定にアレンジを変えて、やり過ごす方法もあったかもしれません。しかし、井上雄彦は、これをそのままやることに決めたのです。そして、丸々二巻を費やして、本当にそれをやりきってしまいました。

 その結果、この26、27巻は、『バガボンド』既刊37巻中、もっとも凄惨かつ異様な巻になってしまいました。

 

 この両巻において、『バガボンド』は、作品として一つのピークを迎えます。天下無双を目指す宮本武蔵の物語は一応の終着点を迎え、武蔵は、もはや常人には全く歯が立たないモンスターのような存在になってしまいました。

「強大な敵に対峙し、それを打ち倒す」という「ジャンプ」的痛快バトル路線に終止符が打たれ、物語は内省的なフェイズに突入していきます。行ききるところまで行ききってしまった武蔵は、「天下無双」ということが、なんだかバカバカしくなり、これまでの俺の生き様はなんだったんだ、と絶えず問い返すことになるのです。このあたりは、セルフ突っ込みにセルフ突っ込みをかぶせることの連続で、まさに禅問答に特有のにおいが漂ってきます。

 

(井上雄彦『バガボンド』3,32講談社)

イケイケの武蔵と、サラサラの武蔵

 

■さらに困難な藪の中へ

 

 そしてついに34巻の半ばあたりから『バガボンド』は農村生活編に突入します。水害に悩む村落に住みついた武蔵は、灌漑の方法に頭を悩ませたり、ほとんど『カムイ伝』の正助みたいなことになっちゃってます。この話、あまりにも深入りしすぎて大丈夫なのかなと思うほど、えんえんと続きましたが、第37巻の終結部において、ようやく農村生活に終止符が打たれ、武蔵が「小倉かあ…」とつぶやくカットで終わります。

 そして2014年刊行の、この第37巻が、現時点での最新刊なのです。

 

 橋本治は「難渋(きつおん)の文学」(『ロバート本』所収)というエッセイの中で、三島由紀夫の『金閣寺』について「『これじゃ火ィ点けらんないよ』と思うようなことばっかりが書かれている」と言っています。橋本のこの評言を模して言えば、『バガボンド』の武蔵は「これじゃ、いつまでたっても巌流島に行けないよ」の方向にますます向かっているように見えます。

 

 何かを極めることによって、その内容が根本から変質していくことはよくあることです。もともとは、敵を物理的に制圧するための、単なる身体技法だったものが、やがて禅機を見いだすための精神修養に変質していくことは、東洋の武術にはよく見受けられることでした。中島敦の短篇「名人伝」などは、そのあたりの消息をよく伝えています。

 もともと巌流島の決闘自体は、単純素朴な剣豪物語の、ありきたりなクライマックスに過ぎません。武蔵の内面の成長や、物語のステージそのものが、すでに巌流島を追い越してしまったともいえるのです。今の武蔵のステージから、巌流島に接続するためには、さらに何らかの壁を突破した上で、全く新しいステージの「巌流島」を独自に創出するしかないでしょう。井上雄彦には、それだけの技量は十分にあると思われますし、それなりのビジョンも、すでに持っているのかもしれません。

 しかし井上自身は、むしろ、そうしたビジョンを自ら絶えず突き崩そうとしているように見えます。自分が見たことのない地点に着地してみたいという欲望が、作品をますます困難な方向に導いていっているようです。

 

(井上雄彦『バガボンド』28,36講談社)

左)一乗寺下り松直後の武蔵/右)ほぼ農民の武蔵

 

 とにかく最近の井上先生は、伊勢神宮に墨絵を奉納したり、上野の森美術館で個展を開いたり、東本願寺の依頼で親鸞の屏風を描いたり、円空仏やらガウディやらと忙しく活躍しています。

 絵の技量がどんどん上がっていくのと並行して、視界がどんどん広がっていき、それまで関心がなかったことに目が向いたり、いろんなことに挑戦したくなったり、とにかく楽しくてしょうがないんだろうなあという気持ちが伝わってきますね。

とはいえ、井上雄彦は、どこまでいっても本質的には「マンガ家」であり、なにをやっても結局はマンガに戻ってくるのではないかと、私は、どこか楽観的に考えています。

 

◆◇◆井上雄彦のhoriスコア◆◇◆

 

【細かい斜線】58hori

すでに取り上げた作家でいえば、山本直樹(LEGEND06)も、よく使っています。

 

【動線】64hori

対極的な例として、たとえば島本和彦などを想像してもらえばわかりやすいでしょう。

 

【静止画】59hori

「BSマンガ夜話」で、古田新太氏が「ときどき、パスを投げているか受けてるのか、動きの方向が分からないときがある」と言っていましたが、「たしかに」と思いました。

 

●◎●ホリエの蛇足●◎●

 

<1>『バガボンド』以降は、作画のほとんどの部分を筆で描いているそうです。

 

<2>井上先生以外にもLEGEND50作家の中には、宮本武蔵のマンガを描いている人がたくさんいます。水木しげる「剣豪とぼたもち」「コブ」「闘牛」「なまけ武蔵」や、つげ義春「噂の武士」などは是非とも読んでいただきたいオススメ作品です。

 

「マンガのスコア」バックナンバー

 

アイキャッチ画像:井上雄彦『PLUS』集英社


  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。