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手塚の描線の特質については、いろいろ語られていますが、ここでは夏目房之介さんの論考を紹介しておきましょう。夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』(1992年)は、マンガコラムニストとして活躍していた夏目氏の、初の本格的批評の書であると同時に、以後のマンガ評論のスタイルを革新した歴史的名著でもあります。
それまでのマンガ批評は、主に文芸批評の方法にならった、作家の主題や内面にせまるテーマ批評がメインでした。そうした中、実作者ならではの視点から、マンガの表現構造そのものにフォーカスをあてた夏目氏の批評スタイルは大変斬新なものとして迎えられました。ゼロ年代以降、隆盛を迎えるアカデミックな方面でのマンガ研究に与えた影響は絶大なものがあります。
さて、この本の中で夏目氏は、手塚の描線の問題について興味深い指摘をしています。手塚は、その生涯を通じて丸みを帯びた描線を維持し続けたわけですが、同じ丸い描線といっても1950年代までと60年代以降とのあいだには大きな断絶があると指摘しています。
一見すると70年代以降、明白に劇画の影響でリアル化した描線の変化の方に眼がとらわれがちですが、それはむしろ表層的な変化であり、本質的断絶は月刊誌時代から週刊誌時代へ移行しつつあった60年前後にあったと見るのです。それは、内側へ閉じていこうとする求心的で内圧の強い線から、解放的でのびやかな流麗な線への変化です。
この夏目先生の分析、なかなか説得的ではありますが、実際のところどうなんでしょう。さっそく試してみようと思います。題材は今回も『火の鳥』です。
私たちがよく知っている『火の鳥』は、1967年「COM」誌上の連載から始まるバージョンですが、実はそれ以前にも手塚は『火の鳥』を描いています。1954年「漫画少年」版と1956年「少女クラブ」版です。ここでは同じ「黎明編」ということで、54年と67年の火の鳥を並べて描いてみました。
『火の鳥』より二点模写(引用元:角川書店版第1巻p7、第12巻p259)
実際描いてみてあきらかなのは、67年版の方が圧倒的に描きやすいということです。自然な手の動きになじんでいて、ラインが取りやすい。それに対して54年版の方は、慎重に方向を定めつつ、自覚的に線を引いて行かなくてはなりません。身の締まったパンのような、ふっくらしているんだけど重たい感じです。
それに対して67年版の方は、軽くてスピーディです。実際ペンを走らせる速度も1.5倍ぐらいは速くなりそうです。そして、筆圧にも違いがあります。それも紙に向かう筆圧というより、握るペンの方に力が入る感じです。ゆっくりと力を入れて、きれいな丸を描かなくてはならない。これは疲れます。
現代の多くの人は、鈍重で古めかしい感じがする54年の絵よりも、軽やかでスピード感のある67年の絵の方に好ましさを感じるのではないでしょうか。しかし50年生まれの夏目氏は、この描線の変化をリアルタイムに経験しており、それを子ども心に、はっきりと手塚の堕落として感じとったと言います。
記号性が強まった分、解読が容易で、一見すると表現が豊かになっているようにも見える。私自身、後年の手塚の流麗なタッチには、手になじんだ職人性のようなものが滲み出ていて、好ましさを感じます。しかし、その分、絵に淫するという感じは弱まっている。システマティックに、ばんばん描き飛ばしている感じです。
このような描線の変化に、どのような外部要因があり、また、そこに内在化された手塚自身の作家的資質の変化とはいったい何であったのか、夏目氏の著作では、それらが多数の図版資料ともに説得的に展開されていて、のちの夏目スタイルが、この時点ですでに確立されていることが分かります。ご興味のある方は是非そちらにもあたってみてください。
LEGEND01手塚治虫③
アイキャッチ画像:夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房)
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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