発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

前回の経済学の記事で「金融緩和をするほどに(IF・原因)高インフレが生じる(THEN・結果)」という現象を取り上げた。望んでいるのはマイルドなインフレなんだけど、よかれと起こしたアクションで期待しない結果をもたらす。これって、なにかに似ている。それはどのようなものなのか。
ご無沙汰の有象無象です。文は井ノ上シーザーです。イラストはホリエ画伯です。
◆◆
アルコール中毒患者と「アル中匿名会」(当時、アル中更生に高い成果をあげていた組織)を研究したG・ベイトソンは、以下の事象を確認した。
アル中患者が断酒を試みる。
↓
「アルコールの誘惑と戦うわたし」を意識することでプライドが高まる。
↓
だけど断酒を通じて健常者となり、英雄なわたしではなくなったことを知る。
↓
よって、英雄なわたしを目指すための断酒が必要になり、再び酒に手を出す。↓
アルコール中毒者への旅路が再開してしまう…。
ベイトソンは酒とたたかう中毒者を「プライドに溺れている」とした。今風に言えばマッチョなのだ。他方、「アル中匿名会」の更生法は「お前の本性はすでに酒びたりなのだ」と認めさせるところから始める。ボトルには勝てません…というだめな自分をベースにする。その上で大きな力が自分を正気に引き戻してくれると信じさせる。「大きな力」とはスピリチュアルっぽいのだけど、これが意思の力という神話をうち砕く。彼方での闘争の現場にはフラジャイルがいっぱいだ。
参考:G・ベイトソン『精神の生態学』「自己なるもののサイバネティクス」より
ぼくたちはアル中患者を嗤えない。ちぐはぐなプライドや神話(思いこみ)はあちらこちらで見られる。
…健康でありたいと強く願うがあまり、サプリの摂取にハマっていく。
…男は稼いで当たり前と思うがあまり、家庭を顧みずに崩壊するまで働く。
目指していた健康や家庭の安定のために努力するほど、理想とかけ離れていく。それぞれ“サプリ依存” “大黒柱バイアス”といったジャーゴン(専門用語)が紐づけられ、ネット界隈を騒がす。願いの完成に縛られて葛藤する姿は『タイガー&ドラゴン』(クレイジーケンバンド)の一節のようだ。
♪ 背中で睨み合う龍と虎じゃないが 俺の中で俺と俺とが戦う~
エイジズム(年齢差別)も一例になる。年を重ねるわたしと、それに抗うわたし。死なないかぎりは、年というのは平等にとっていくものだが。そういえば、数年前に話題になったドラマでは、若い女性から揶揄を受けた登場人物(石田ゆり子さん)がこう述べて、視聴者からの喝采を浴びた。
「私たちの周りにはたくさんの呪いがあるの。自分で自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい」
『逃げるは恥だが役に立つ』TBS/2016年より
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自らの人生を自律的に支配しようという企てが、自家中毒のもとではないか。自分の尾を食べる蛇のごとくに、自分の意思で自分を引き裂きむしばむ。それは現代の呪いなのだ。封建的な社会では必ずしもこうではなかった。例えば九鬼周造は諦めを「いき」の特徴の一つとしてあげている。
本日のキーブック①
「運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心」。
九鬼周造はいきの境地を解脱とまで呼んでいる。遊女であれば、客にマジに惚れない。あっさり、すっきりとして垢ぬけているのがいきなのだ。マジに惚れたらどうするか。江戸時代において運命を支配する究極の方法は心中であった。野暮の極みであるけれども、歌舞伎の題材で取り上げられている通り、それはそれで人の心を打つ。
構図主義的なところがいささか気ざわりであるが、「一般に顔の粧い(よそおい)に関しては、薄化粧が『いき』の表現と考えられる」といった記述には、はっ!とさせられる。九鬼節とでもいうべき断定がかっこいい。
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江戸の成熟ではぐくまれた「いき」は過剰を排する。あっさりすっきりなのだ。現代のほうがよっぽどごたごたしていて騒がしい。松岡正剛は過度の依存症や嗜癖症をめぐる千夜千冊で、このように述べている。
われわれにはおそらく「何かをほしがる欲求」と「何かが手に入らない諦め」と「何かに見捨てられる不安」とがつねに同居しているのである。このことは、断言しておくが、すべてすばらしいことだ。困ることではない。
(略)
この三つは、自分が律しようとすれば、すべて三つ巴の矛盾や循環になるばかりであるだけではなく、それを解決しようとしたとたんに、それらがことごとく誰かと関連していることになり、その相手ごとの(あるいは相手を避けるような)解決をむりやりにでも試みることになるからだ。こんなことはちっとも俳諧的ではない。おシャレじゃない。パンクでもない。
欲望や諦念や不安を出発点(ベース)とする。一つ一つを解決しようとせずに多彩なプロフィールを生じさせる。千夜千冊では、解決に向かうことを決して推奨しない。この点で100年前の夏目漱石はオシャレでパンクであり、愉快でファンタジーでもある。
本日のキーブック②
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」
漱石の抜けた感じは「遁世」から生じている。主人公の「余」は、旅をする見物人だ。その立場と言動はひたすら淡いのだけど、物語の最後の場面でポッと欲望に火が灯る。「解かれることのない謎」の女性の表情の変化に萌えを覚えた「余」は「それだ!それだ!」と感情を露わにする。
名文として知られる冒頭は厭世の色彩が強いけど、芸術的解脱まで誘う文章のハコビは絶妙にうまい。さくじり読み(読みにくい字を推量しながら読むこと)をお勧めする。
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自分らしさを追求する現代の暑苦しさに対しての九鬼周造や夏目漱石のクール感。ぼくはイシスの師範代を務めていた時に「熱いオトコ」などと呼ばれていたのだけど、ぼく自身は九鬼や漱石の突き放した玩弄感覚を好む(だけど暑苦しい外見なのだろう)。そういった“斜に構えた感じ”の発生元には、大学時代に接した人類学がある。今回はこの本が有象無象のアンカーとする。最近、大先輩の梅棹忠夫と対話をしたくなっていた。
本日キーブック③
「目的を設定し、精神を緊張させ、努力し、その結果何かがえられる。しかし、同時に、そのことによる損失もまたある。場合によれば、そんな努力を放棄した方がいいというようなことも、またあるということです」)
梅棹先生は人類学をかじっていたぼくの、恩師の恩師にあたる。「梅棹がかなり変であること、それゆえにこそ多くの文明文化についての臨界点を抉れたであろうことは、自信をもって指摘できるのだ。」(千夜千冊1628夜『行為と妄想』より)と言われている通り、かなり独特だ。恬淡としたまなざしは、半世紀前に情報化社会の出現を預言したりした。本書では近代をドライブさせた生きがいに疑義を唱えている。「我は愚人の心なるかな、沌沌たり」という老荘思想の持ち出し方には瞠目させられる。
梅棹は「沌沌たり」を「わしゃアホでっせ。ぼけっとしてますわ」と訳して「これこそ人間らしい生活じゃないか」と絶賛している。老荘思想は「いかに論破するか」な世相とは対極にある。
◆◆
論破と投資とインスタ映えが喧伝され、疫病に戦争に物価高、と有事がたて続く。すべて自分事だけど、自分で管理ができるわけでもない。九鬼周造的に執着を離脱したいきの地平にいたり、梅棹忠夫的に生きがいを離れてぼけっとしてみる。自家中毒から逃れるべく、自分の背中で睨み合う龍と虎を突き放してみるのもいいのではないか。『草枕』的に、解脱の中に萌えを生じさせるのも愉快だ。
(了)
◎追記:ホリエ画を眺めながら~
今回もホリエ画伯にイラストの依頼を快諾いただいた。感謝!
「中毒」をキーワードに依頼をして、6時間後に出てきたのが「酒瓶に囲まれた喪黒福造風」のイラスト。うん、いい味出しているけど狂気的なものが欲しい。というわけで「サプリを食いまくる鉄男(AKIRAより)」をリクエストする。鉄男は力を手に入れ、ジャンキー的に薬を貪り食い、肉体が異形に膨張する。鉄男のその様は精神が膨張している20~21世紀のメタファーになると思ったりもした。それにしても画伯の鉄夫は髪の乱れ方に狂気があるのだけど、嬉しそうな目つきに見えるのが不思議でもある…。
井ノ上シーザー
編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。