【新春企画★Quedist】田中優子さんインタビュー(1)ISISデビュー:広げるほど深くなる

01/04(土)10:00
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江戸文化およびアジア研究の異例のエキスパートであり、和服姿がトレードマークの法政大学総長。松岡正剛校長と三十年以上の親交があり、イシス編集学校の[守][破][離]、さらに[遊]風韻講座を受講した学衆でもある田中優子さんに、2019年末、エディスト編集部が突撃インタビューを実施した。


受講の感想、大学教育、江戸の寺子屋、松岡正剛との出会い、文体論、そもそも学びとは何か、いよいよ20周年を迎えるイシス編集学校にとって、ひいては激動のグローバル社会をサバイバルする日本人にとって、切実ありったけのQをぶっちゃける。

 

 

―――はじめに、編集学校に入学しようと思ったきっかけを聞かせてください。どんなところに関心をお持ちになったんですか。

 

そもそも、大学で長い間、文章指導をしていたんですね。ですから、人の文章をどう導いていくか、その人が持っている文章力や個性を伸ばすためにはどうしたらいいかということを教師としてずいぶん考えてきました。

 

文章にはそれぞれ個性がありますから、同じ内容でも、同じ資料を使ってもかなり変わる。ぜんぜん違ってくる。それは全身から出てくるものだからですね。文章というのは、息づかいというか、リズムというか、きわめて個人的で、個性的なものだと思っています。

 

だから、「直す」という指導法はあまりよくありません。みんな同じ文章にするのではなく、それぞれが持っているものを伸ばしていった方がいい。そうなると、やっぱり一人ひとり指導しなくてはならない。イシス編集学校はそれをすでにやっています。しかも、一人の師範代が何人かの面倒をみながら、一人ひとりに教えている。これは寺子屋方式です。

 

田中優子先生にインタビューする金副編集長。

(法政大学総長室にて)

 

―――寺子屋方式ですか。寺子屋ってどんな学び舎だったんですか。

 

江戸時代の寺子屋には、現代の学校のように同じような子どもは集まっていません。レベルも違うし、年も違う。いろいろ違っている生徒たちを一緒にみながら、一人ひとり指導していきます。 イシスがこういう方式をもっているというのがまずはうらやましい。

というのも、大学で文章指導をするときは、その場で一人ひとりに指導はできません。一つのテーマを与えて書いてきたものを、家に持ち帰って添削します。これはものすごく大変な作業です。 でも、それはやらなければならないし、やれば確実に伸びるんです。そういうことを経験してきたので、これを超スピードで添削したり、あるいは添削までしなくてもアドバイスして、伸ばしていくイシスの指導法はどんなものなのだろうとまず指導の方法に関心をもったわけです。これが入学した一つ目の理由です。編集学校の師範代の「指南」のあり方に関心を持ちました。

 

―――なるほど、もう一つの理由というのは

 

編集学校は決して文章指導だけの学校ではありませんね。発想法、思考の組み立て方、つまり編集方法を伝授する。ほとんどの大学の文章指導ではこれがないんです。良い文章が書ければいいんでしょみたいなことになってしまう。もしそこに方法の指導があるとしても、添削する教員の方法が伝わるという程度にすぎないんですね。

 

そうすると、文章はよくはなっているけど、それがいったいどういう理屈でそうなったのかが分からないまま卒業してしまう。一応書けるようにはなるけれど、これはまずいことだなと思っていました。私自身、実際に教えているというそのこと自体がどういうことだったのかを客観視しないままやっていた。大学の指導法が個人から個人へというやり方でいいのだろうかとずっと疑問に思ってきました。これが入学の理由の二つ目、「方法」への関心です。それから最後にもう一つ、それは「読書」です。

 

―――「指南」「方法」ときて、三つ目が「読書」ですね。

 

編集学校では、方法を手にするだけではなく、だんだん進むに従って大量の本を読むようになりますよね。学部長になり、総長になり、忙しくなってきて、どんどん読めなくなってきたんです。

 

電子書籍化して、とにかく移動中に読むようにしているんだけど、偏るんですね。依頼された原稿や書評や賞の審査や、その他総長として読まなければならないものもあって、そういうのは「仕事としての読書」ですね。他に読みたい本があっても、今やらなければならないもの以外読めなくなっている。それをなんとかしなければならない。つまり、広げなければならない。私はつねに認識を広げなければならないと思っています。

 

専門家、研究者としての専門家が陥りがちなのが「狭く深く」です。でも、本当は狭いと深くなんてならない。それは経験的に分かる。一生、一人の作家の研究しかしない専門家もいます。それは教師としては成り立つんだけど、ではその人の書くものが本当に人の心を打つのか、新しいものを開くのかというと、決してそんなことはない。やっぱり狭いと深くはならない。

 

逆に、自分はこの分野でと思いながらも、「これはこれに関係あるよね」と好奇心が飛び火して、回収するのが大変なくらいどんどん広がっていくという傾向が私にはあるんだけれども、そうした方がものが分かるということにだんだんと気がついてきた。全体像が見えてくるので、広げれば広げるほど深くなっていく。だから、読書時間が減って、自分が広がらない状態になっていくことが非常に大きな問題だなと思っていました。で、広げるためにどうすればいいのか。強制的に広げるなら世界読書の[離]だなと。これが三つ目の理由です。

 

 

―――[守]を受講した時から[離]を受けようと考えていましたか。そもそも優子先生は、松岡校長も絶賛する独自のスタイルというか、編集方法を持っているのに、しかも超多忙なスケジュールを抱えながら、編集学校に入って[守]・[破]・[離]を受講したことがすごいなと思います。

 

まともな研究者なら、自分が全部わかっているとか、やり方を知っているなんて思っていません。そんなこと思っていたら変な人ですよ(笑)。最初の頃は時間がなくて、何度かつまずくこともありましたが、はじめから[離]まで行くつもりでした。多忙は、そうですね、意欲さえあればなんとかなります。

 

今やっておかないとできないかもしれないという危機感ですよね。時間がないからできないっていうのは、まあ、結局は言い訳です。ですから、それでやめておこうと言ってしまうと永遠にそうなるから、勢いでやってしまおうと(笑)。

 

つづく

 

【新春企画★Quedist】田中優子さんインタビュー

(1)ISISデビュー:広げるほど深くなる

(2)『遊』との出会い:ジャンルを決めなくていい

(3)[離]の学び:高速で仮止めの結論を出す

(4)編集学校に”ないもの”:発話する恐さ

(5)江戸から見ると:感性は磨けるのか?

(6)イシスモデル:一人ひとりの存在の仕方に

(7)社会へ、世界へ:身近に戦争があった

 

 

 


  • QUIM JONG DAE

    編集的先達:ミゲル・デ・セルバンテス。最年少典離以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム立ち上げ、2020オープンのエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。