【AIDA】魔術の時代から妖術の時代へ!!!!! 日常に溶け込む妖怪の処世術を学べ!!!!!【宇川直宏インタビュー全文掲載】

2022/03/05(土)16:00 img img
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Hyper-Editing Platform[AIDA]Season02「メディアと市場のAIDA」、第3講のステージはなんと渋谷パルコ9FのSUPER DOMMUNE!!!!!
2021年12月11日と12月12日の二日間、DOMMUNEの司祭・宇川直宏がビジネスの第一線で活躍する[AIDA]の座衆30名の一人ひとりの個人史クロニクルをグラフィカルに読み解き、かつインタビュー形式で個人と世界の「あいだ」に潜む「事件!!!!!」を白日のもとに晒す、15時間以上の番組が全世界に一挙生配信された。番組名はその名も「緊急!2日連続松岡正剛師匠登壇の白昼夢」だ。
松岡正剛座長を筆頭にAIDAボードの田中優子(江戸文化研究家)、武邑光裕(メディア美学者)、佐藤優(作家)も登壇し、『情報の歴史21』の編集長でありイシス編集学校の林頭・吉村堅樹が宇川直宏のパートナーをつとめた。
番組中のバズワードは「ガワ」と「茶渋(あるいは茶渋ワード)」。「ガワ」とは外側、まわりを囲むもの、プラモデルのパーツがついているランナー枠のような連想イメージであり、「茶渋」とは茶碗などに付着する茶の垢のように記憶にこびれついて忘れられないネガティブワードのこと。番組後のインタビューでは「ガワ」を出発点にして、ファイナルメディアDOMMUNEの制作現場で宇川が培ってきた「メディアと市場のAIDA」を生き抜く処世術に迫る!!!!!

AIDA最終講の本日2022年3月5日、公式サイトではやむなく割愛された未収録部分も含めて、エディスト版では出血大サービスで全文掲載する!!!!!

 

[interviewer:金 宗代 Eyechatch photo:後藤由加里]

 

「緊急!2日連続松岡正剛師匠登壇の白昼夢」の番組テロップ。

排泄するように作る「ライフログアート」の一環として番組の全テロップを宇川直宏が制作している。

 

■「魔術」と「妖術」のちがい
ポップオカルティズムとしての妖怪の処世術

 

ーーー番組では初日、司祭としてのタモリさんのお話から始まって、宇川さんのDJそして司祭としての「3つの心得」というお話がありましたね。

「スキル」「アーカイヴィング」「年輪」の3つですよね。

 

ーーーメディアにおける「ガワ」の重要性について何度も言及していましたね。そのガワには「気配がある」とおっしゃっていたのがさらに気になりました。

気配がコントロールできるようになったら妖術使いになることができますよ。

 

ーーー妖術使いですか(笑)。それからチャンスオペレーション。偶発的事故をチャンスとして取り入れていくこと、また、すべてを現在性として取り入れていくといった、そういう宇川さんのメディエーションの方法に、AIDAの座衆さんたちも強烈に触発されたと思います。

それ、すごい嬉しいですね! まさにその秘技を受け取って頂きたかったので今回AIDAに参加させていただきました。受講された座衆の方々は、それぞれ所属している企業でかなり偉いポジションにいらっしゃる方々ですよね。それぞれの視座に基づいたポリティカル・コレクトネスやコンプライアンスの話とか、ジェンダーについての見解も、民族・性別・文化の違いなどにも言及し、初日から語らうことができていました。
ほとんどの方々が管理職だと思いますが、意識が極端に高い。このプログラムを経てフリースタイルなインプロヴィゼーションによる、対話グルーヴの作り方を身につけてくださったら、どの企業も更なる高揚を得られると思います。会社の新陳代謝がますます良くなって更に活性化し始めると思うんですよ。僕自身、DOMMUNEで生の現場を十年経験して身につけたものなので。神とか仏やデータやアーカイヴに頼らない、妖怪の処世術的な何か。決して魔術のような高尚な神秘性ではない何か(笑)。

 

ーーーさっき「妖術」とおっしゃっていましたよね。

そう、そのことを、僕は妖術だと考えているんですよ。ウィッチクラフト的な力ではなく、水木しげる的な何か。勧善懲悪的な二項対立の文脈に押し入れられることなく、立場によってコロコロコロコロ変わるような環境適応能力がフリースタイルなインプロヴィゼーションには必要なんです。日常に溶け込む妖怪の処世術。SNS、メタヴァアースの時代には、それが今、一番重要だと思っているんですよ。
これってポップオカルティズムだと言えますね。そのことのヒントは武邑光裕先生が90年代から実践されてきたことです。つまり、「サイバー・メディアの銀河系」に浮遊しながらで、サイバーパンクとシンクロエナジャイザー、ハウスミュージックとノイズインダストリアル、ハーシェル・ゴードン・ルイスのゴアフィルムとナムジュンパイクのメディアアート、ジョン・ウォーターズのバッドテイストと、J・ボードリヤールのシュミラクルを同時空で語るという、この多様なスキャニングとメディアミックスこそが妖術なんですよね(笑)。

 

ーーー異質なもの同士、まったく関係性のないものを組み合わせてしまう。

まったく関係ないようで関係している。関係しているようで関係していない。その曖昧なボーダーに潜むノイズをあぶり出し、境界を楽々と乗り越えてしまう、今日もそのことを武邑先生にお伺い立てよう思ったんですが、絶対長くなるからショートカットしました(笑)。一番エクストリームなのは、そこにはグルジェフもアレイスター・クローリーも存在している。だから、そっちは魔術なんですけどね。

 

武邑光裕『サイバー・メディアの銀河系―映像走査論』(フィルムアート社)

 

ーーーえ? 「魔術」と「妖術」は違うものなんですか?

違う、違う、違う、違う、違う!!!!! 「魔術」って理論と実践の積み重ねなので、何が大変かって、因果律なので背負っているものが大きすぎる。基本が呪術なので、シャーマニックなアティテュードを共有したら、それを精神世界において統一し、継続し続けないといけなくなるじゃないですか。それが問題で、もうそんな時代じゃないと思うんですよ。メタヴァースの中で、新しい個のありかたが試されている時代、アバター単位で自己同一性を構築し、アイデンティティを着替えて行く時代、だから水木しげる先生的な意味合いにおいての「妖術」の方がむいているんですよ。

 

ーーーたとえば松岡正剛座長の『遊』の時代、70年代、80年代のカルチャーにも魔術的なものを感じます。

まさに。ぼくがサンフランシコに住んでいた時、ちょうどチャーチ・オブ・サタンのアントン・ラヴェイが亡くなってしまったんですが、そのとき『STUDIO VOICE』の連載を持っていたので、ラヴェイとティモシー・リアリーのインタビューは絶対とりたかった。だけど、二人ともすでに病床にいらして実現できなかったのですが、リアリーの取り巻きや、ラヴェイの娘のジーナ・ラヴェイとは友達になった。彼女はチベット密教の研究者になりましたからね。サタニズムとペンタグラムを捨てて空や曼荼羅の世界に向かった。悪魔信仰的な魔術を学んだうえでの禅と瞑想、無敵でしょ(笑)。
僕は香川県高松市の出身なので、弘法大師、空海のことを、先輩だと感じていて、遣唐使としての空海先輩のことは、編集者の鏡だと思っています。唐で密教を学んで帰国した後、日本で真言密教の教えを説いた。密教の可能性はもちろん無茶苦茶あって、とくに「連」には活かしやすいと思うんですけど、妖術には”密”ではなく”開”が宿っているので、隣の連とも浮気する感覚があって(笑)、それはソーシャルメディアやダイバーシティの時代ともしっくりくると思うんですよね。 

 

ーーーNFT、メタバースにしても、バ美肉にしても、確かに妖術的な感覚がありますよね。

魂を浮遊させつつ、「夜は墓場で運動会」の身体感覚や宮台真司さんの言うところの微熱感を大切にし、その体験の良いところだけ吸収してリアリティの肥やしにする、そしてまた別のリアリティを探求するみたいな。でもね、それくらいの感覚じゃないとこの時代、簡単に腐ってしまう、と思っていて。

 

■『解体的交換』の解読不能な暗号
 「10秒前ならOKだけど、15秒後だったら絶対無理」みたいな世界

 

ーーーそこが宇川さんのスゴいところだなと思います。確か番組でも「奥に深く入り込みすぎることなくブラウンジングして学びながら交流していく」というお話をされていましたよね。そして二日目の今日、宇川さんのチョイスで『解体的交換』を浴びましたよね。

※座衆たちから排出された茶渋を浄化するために番組途中、宇川さんは『解体的交換』(阿部薫、高柳昌行)をリクエストした。

高柳昌行さんと阿部薫さんの『解体的交換』って、妖術使い同士の妖怪大戦争というか妖怪頂上決戦というか、あの時空、あの世界線って、他のジャンルでもこれまで数限りなく探求しているのですけど、そこは絶対言語化禁止の領域じゃないですか(笑)。ベルリンの「Berghain(ベルクハイン)」が撮影禁止のように、他言無用だと思うんですよ。
それを間章さんは深く言語化してしまい、入滅してしまった。いくら言葉を重ねても言い表すことができない多次元時空領域であることをわかっていても、言語化しようとする。これは評論家の性(さが)だと思いますし、その実践に心からリスペクトしますが、終わりなき批評の使命を担うので身を削ってしまうことは否めない。

 

阿部薫・高柳昌行『解体的交換』(CRAFTMAN RECORDS)

 

ーーー秘密にしておかなければいけないことがある。暗号のようなもの?

まさに暗号。言語では解読不能なコードだし、解読のパターンが78億7500万通りくらいある(笑)。いや、適当に言っているのではなくてこれは世界人口の数です(笑)。つまり「アブストラクトな波紋や亀裂が解体的に交換しあって無限のモアレや歪みを生み出す幾何学時空なので、人それぞれがどう捉えようが全くの自由で正読も誤読もない」領域なので、言語体系総出しても、解読できないサイファーを放出し続けていますよね。しかも、そのコード自体が勝手にモアレを生み出して微細なモザイクに変容し続けるから、パスワードが5秒に1回変わる世界(笑)。だからこれこそが、真の意味での暗号交換だし、世界的文化遺産だと思うし、解体的暗号資産だとも思う。なのでこの交換にアクセスするなら5秒に一度新しいパスワード入れなきゃダメみたいな、感情の起伏のような暗号的サイファー。10秒前に言ってくれたらOKだけど、15秒後だったら絶対無理みたいな世界。これ、分かりますか(笑)?

 

ーーー持続的な自己同一性なんて怪しいものだし、人間の気分って本来そういうものですよね。

頼もしいですね(笑)。だけど15秒後だったら絶対無理なのに、急にその45分後から二日間OKみたいな、世界(笑)。そのアピールが常に78億7500万通りあるし、解読の幅も78億7500万通りある。ざっくりいってSNS以降の世界とはそんなもんでしょう。例えば『解体的交換』を高柳昌行さんと阿部薫さんのLINEグループのことだと捉えればどうかと。かたやギターで、かたやサックスで書き込まれている(笑)そこに日本語で入っていけるワケがないから、瀑布のように流れる縦スクロールの弾幕をタイムラインとしてただ浴びるだけ(笑)。それをサヴァイヴできる方法がやっぱり妖術なんですよ。魔術や錬金術では因果律を操作するので時間がかかってしまう。そうこうしている間にパスワードがまた変わってしまうんです。

 

ーーー魔術ってそういうことなんですね。二日間のイベントの中でも、宇川さんがリアルタイムで何度も何度も変換されたパスワードをプッシュしていく感じがありました。

いや、その通り。というか今回そういうプログラムなんで(笑)。例えるならばミミズだけでなくて、ゴカイも餌にするし、共食いになるかもしれないけどハマチの脂身も場合によっては釣り針に付ける、いや、針っていう概念自体もう必要ないよね。それどころか、自分が泳いで行って直接ハマチに触れ合いに行くよ。でも潜って出会ったタイミングではもうブリに出世していた。しかし逆に話やすかった(笑)。って感じのオーディエンスとの言語を超えたところでの体感的なコミュニケーション。それを大事にしているんですよ。

 

■佐渡の鯨塚とオブジェ・マガジン『遊』
 「石と凹凸の情念」に代わる「紙とインクの情念」

 

ーーー今回、宇川さんと松岡さんの対談を見ていて、DOMMUNEでやっていることって、現代版『遊』なんじゃないかとも妄想してしまいました。

それはあまりにも恐れ多いです。紙とインクの情念にはストリーミングでは乗り越えられない奥深さがあって、昨日、佐渡の鯨塚の話もしましたが、書物にはそれと同じくらいの芳醇な思考の強度があると思っているんです。石と凹凸の信念に代わって15世紀に現れたのが、紙とインクの情念だと思っていて。つまり今度はサイバースペースから遡って「グーテンベルグの銀河系」の話に戻りますが、松岡さんはその銀河をずっと育み(はぐくみ)続けているでしょう。畏敬の念に駆られます。そして『遊』はハレの日そのもので、だからこそ僕の(そしてDOMMUNEの)座右の銘である「平日から祭りで何が悪い?」の思想を与えてくれたのが遊会、遊塾でした。
ケの日もハレの日もボータレスにして、日常を晴天させるような自在な学問。顕微鏡と望遠鏡を同時に持って遊び続ける行為。そういうポジティヴな志を早い時期から松岡さんは学問として日本列島全域に広めてくれたと思うんです。だからぼくも影響受けていますし、そこから派生した文化というのは計り知れないですよね。能勢伊勢雄さんだってそうだし、EP-4の佐藤薫さんも山崎春美さんも野田努さんも遊コレクティヴですよね。

 

マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』(みすず書房)

 

雑誌『遊 1001号 相似律』(工作舎)

 

ーーー1968年生まれということは、『遊』はもちろんリアルタイムの読者ではないですよね。

香川で生まれ育ったから買うこともできませんしね。香川にいた16歳までは、先天的な情報流刑だと感じていましたよ(笑)。当時はインターネットはおろか瀬戸大橋も開通していないので、四国は本州から隔離されていましたし(笑)。小柳ルミ子さんの「瀬戸の花嫁」という曲がありますが、その一節に”幼い弟 いくなと泣いた”というフレーズがありました。まだまだ四国が秘境として、エキゾチックジャパンとして機能していた時代です。だから佐藤優さんではないですけど、十何年間、刑期が終わるまでここにい続けないといけないのかと(笑)。フェリーか連絡線に乗らないと情報を捕らえにいけない。おかげで密漁する術も覚えました(笑)。ずっと遣唐使時代の空海先輩の背中を拝みつつ、真言的トレンドセッターの任務を勝手に真っ当していた時期でした。なので、中学のころから個は簡単にメディアになれると自覚していました。

 

松岡正剛『空海の夢』(春秋社)

 

ーーー空海先輩といえば、奇しくも松岡正剛座長の出版デビューが『空海の夢』ですね! あっいま佐藤優さんがお帰りになられますね。

 

■偶発的事故!!!!? 佐藤優と宇川直宏の対話を収録!!!!!
 DOMMUNEの浄化作用を語る

※インタビュー途中、佐藤優さんが宇川さんのもとへご挨拶にやってきて番組の感想を交わし合った内容が偶発的事故として収録された。発言者名は敬称略。

宇川直宏(以下、宇川):
DOMMUNEビューアーから佐藤優さんのソロの5時間番組をやってほしいとリクエストがきまくってますよ。マサルさんファン急増みたいな。

 

佐藤優(以下、佐藤):
本当に面白かったです。刺激的な知の試みだと思いました。このリアルな場所があって、さらに同時配信されていて、そして文字で入ってくる情報もある。ちょうど今腎臓が悪いので、排出の上手な仕方を教えてもらえたなと思いました。情報が過多になっているとそれが澱になって溜まっていっちゃうんですよね。でも、いくら排出しても「茶渋」がつくんだ、なるほどと思いました。毒素は誰でも体に必ずあるわけですから。

 

宇川:
腸内の活動でいうならそこからみんな断食ヨガに踏み込んだりするんですよね。ヨガで腸の襞についた毒素を一度デトックスして宿便を出して戻ってくる。

 

佐藤:
情報も外に出さなきゃいけない。みんな入れる話ばっかりするでしょう。入れるばっかりだと自家中毒になっちゃいますよね。だから自家中毒を避けるヒントがDOMMUNEにあるんだなと思いました。それで聞いている人も浄化されていくんですよ。

 

番組最終日のクライマックス。左から宇川直宏、武邑光裕、佐藤優、松岡正剛。写真:後藤由加里

 

ーーー佐藤さんのソロ番組も武邑さんのソロ番組もむちゃくちゃ楽しみです。

武邑先生の番組は先生ご自身も期待してくださっていて、ぜひやりたいと思っています。いま武邑さんが作り上げてきたポップオカルティズムの文脈をビジネスに活かそうという動きがまたあらためて広がっていますよね。今日の番組の中でも、松岡座長からソニーにかつて超能力研究所があったという話もありましたけど、また時代がそっちの時流に向かっていることを感じます。ブロックチェーン、非代替性トークン、また、世の中に「イノベーション」というマジックワードが拡散されているのもそう。
武邑先生を心から信頼できるのは「イノベーションって現代のブラックマジックだよね」ってきちんと言いきっているところです。ぼくもそう思っています。だから、武邑先生がこれまでDEEPに掘り起こし共有して頂いた歴史を再検証していくことで、あらためて新世紀の武邑先生の文脈というものを網羅できないかなと考えているのです。
しかも僕の周りにはDEEPな武邑先生のフォロワーが沢山いるからどんな暗号にも抽象対応できるだろうと(笑)。DOMMUNEビューワーやDOMMUNEレギュラーは、全員エクストリームなので武邑先生も松岡先生のこともみんな大好き(笑)。フリスキーのCMじゃないんだから、「大好き」っていう口語活用を53のおっさんが、今行なっていることが一番危険ですよね(笑)。でも今宵は佐藤優さんが一番エクストリームでした(笑)。本当に圧倒されました。

 

■DOMMUNE的「メディアと市場のAIDA」
 「動く絵日記」にお金を払いたい人が増えた

 

ーーー今回、AIDAでは「メディアと市場のAIDA」がテーマになっているんですが、DOMMUNEではそのバランスはどんなふうに考えていますか。

DOMMUNEの「メディアと市場のAIDA」のバランスを語るなら、11年間、恵比寿のスタジオで活動していたコロナ禍以前の時期は、あえて動員至上主義に走らず、大学の教授業で得たお金をすべてスタジオに投入していました。つまり赤字でも活動を全うすることの重要性を感じていました。だからスタジオにお客さんが沢山訪れるけど500人しか視聴しないコアなプログラムがあってもいいし、3人しか生身のオーディエンスがいないけど16万ビューワーを叩き出す日があっても良い。民放やマスメディアのように視聴率至上主義に走ると、メディアはど壺にはまりますよ。数を増やすなんて容易いことです。人気を羅列すればいいだけですから。僕らはオルタナティヴを映し出す鏡なので、短絡的な人気に頼らない。つまり大衆化しない努力をしています。肝心なのは視聴者の数じゃない。情報の奥行きと、それを捉える熱量です。なのでグラスルーツメディアの使命を全うするため、普遍的な価値のある文化を映し出す活動のためにお金を使っています。

 

ーーーまさにライフログ。排泄するように、生活とも生理とも一緒という感覚ですよね。

ライフログアートを純粋に行うためのスケッチブックとか、絵の具とかクレパスとかペンを買う感覚ですね。DOMMUNEって「動く絵日記」なんですよ。重要なのはコロナ禍以降、この「動く絵日記」にお金を払いたい人がありがたくもかなり増えたってことですね。だから今は赤字じゃないんですよ。ここからはクルーにどうやって還元できるのかという話で、そこが一番大事だと思ってます。

 

2013年7月13日、幕張メッセで開催された「FREEDOMMUNE 0 <ZERO> ONE THOUSAND 2013」で瀬戸内寂聴が「恋と革命」をテーマに90分のスペシャル法話を披露。2021年11月にも追悼番組として緊急配信された。

 

ーーー昨日は寂聴さんを思い起こす「愛と革命」というワードも飛び出しましたが、寂聴さんも出演した東日本大震災被災地支援イベント「FREEDOMMUNE 0 <ZERO> ONE THOUSAND 2013」(幕張メッセ)ではその売上を全額寄付なさったんですよね。

3年目のイベントですよね。1年目は被災地支援とか言いながら会場に大雨洪水警報が発令して中止にしたんですよ。開催5分前に。その決断もよき学びになりました。で、2年目からは「屋根が必要なんだ」ってことに気づいて(笑)。”一つ屋根の下”で行うことにし、幕張メッセを借りることにしました。一棟だけじゃなくて四棟っていう単位で借りた。その会場に無料で1万人を集めて、CRASSのペニーリンボーや瀬戸内寂聴さん、そしてスティーヴ・ヒレッジや、冨田勲さんや、クラウディオPRCや、灰野敬二さんや、BOREDOMSの91台のドラムなど、100組以上のアーティストが同時5ステージで数十時間のパフォーマンスを行い、それを浴びてもらい、募金を募って、売上を全額寄付する。しかも被災孤児と被災動物のみに寄付するというルールを前提としたプロジェクトなんですよね。
でもその日もライフログアートを貫く自分にとっては、日常の1ページとしてしか「動く絵日記」には記録されていないんですよ。毎日そうなんです。例えば先ほど献本いただいた、萌えアートの巨匠、内山亜紀さんの「あんどろトリオ」の番組、来月やりませんか? 結局同じなんですよ。営利目的ではなく、ハードコアでイノセントな文化保護活動を日常の営みとしているのです。ただ、今はきちんとお金がまわるようになった。なのでコロナ禍を経て、アートもエンターテインメントもサイバースペースに避難したので、ようやくDOMMUNEに時代が追いついてきたなって感じはありますね。でも僕らは変わりません。大衆化しない努力をこれからもしていきますから。

 

『あんどろトリオ』完全復刻記念!!!!! 萌えアートの始祖・内山亜紀からの贈り物 – もうひとつの「非現実の王国」-。約1か月を経て、AIDAの「A」(2021/12/11日〜12/12)から『あんどろトリオ』の「A」(2022/01/26)へ。インタビュアーとインタビュイーの偶発的事故ともいうべき出会いきっかけにDOMMUNEの新番組が受胎した。

 

 


  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:水木しげる
    セイゴオ師匠の編集芸に憧れて、イシス編集学校、編集工学研究所の様々なメディエーション・プロジェクトに参画。ポップでパンクな「サブカルズ」の動向に目を光らせる。
    photo: yukari goto