河鍋暁斎が降る一夜 アルス特別企画「興」10幅

2019/12/15(日)17:45 img
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 本楼に暁斎が降る。江戸絵画コレクターの加納節雄氏所蔵の河鍋暁斎151点を迎え、アルス・コンビナトリアPROJECT特別企画「興」第1回目が2019年12月4日本楼で開催された。

 観客は掛け軸の間を縫うように会場を巡り、触れることも撮ることも許された空間で暁斎を全身に浴びる。ため息が方々から聞こえてくる。

 

 日中は無料で観覧が開かれ、夜は加納節雄、十文字美信、松岡正剛の鼎談が行われた。

 加納氏と十文字氏は写真と江戸絵画を融合させた作品「I WERE YOU」を手がけ、新しい作品様式を生み出している。「日本に欲しかったネオバロックが登場したと思った。とにかく衝撃でアルス・コンビナトリアと名付けたほどだった」とは松岡校長。

 

 一夜限りで本楼に出現した異世界の断片を10枚の絵で綴る。

 

 

本楼には151点もの河鍋暁斎の掛け軸や屏風が林立した。

 

今回の特別企画のプロデューサー・和泉佳奈子(松岡正剛事務所)

暁斎を本楼に展示するというプロジェクトを引き受け、場を興し、場を運ぶ仕立て人。

 

松岡校長からの挨拶。「これはみなさんも僕も世間も初めて見る絵。公開されていない。暁斎の持っている日本とは何かということがここから会得できるし、様々なものになるのではないか」

本楼には今回のために東組が漆黒のキューブを100個以上持ち込み、江戸絵画が2万冊の本と組み合わされた。

 

江戸絵画コレクターの加納節雄氏。

「暁斎の持っているエネルギーで本楼の本を開いてみようじゃないかと思ったのが今回のきっかけ。今日は匂いを感じながら帰ってもらいたい。そして伝えていって欲しい。ここから江戸が開いて、本当の日本が帰ってくる気がする。それをみんなでやりたい」

 

「あいだを見ると絵がものすごく面白い」本棚に立つ屏風を見ながら暁斎を解説する。

 

「江戸時代の稽古は学ぶのではなく、体に入れるもの。暁斎は国吉、狩野派、琳派も全部体に入っている。それが何人もの暁斎になっていて、遊んでいるうちに出てきている」加納氏と誕生日が3日違いの田中優子先生。お二人の共通点は同年ということのみならず、江戸に溺れていること。

 

「明治以降は暗示というものでいいという確信がなくなった」暗示が広がっていく楠木正成親子の絵を引き、江戸と明治のあいだで失われたものについて交わす。

 

休憩時間は間近で鑑賞することも、写真撮影もOK。肉眼で見えないほどの線の細さ、そして絵の煌めきを至近距離で味わう。鑑賞者と絵の間に隔てるものは何もない。

 

休憩後は、写真家・十文字美信氏(右)を迎えての三者鼎談。

「初めて十文字さんの写真を見た瞬間に電光石火の如くバチッときて写真と江戸絵画をくっつけたいと思った」

「写真が見えるものしか映らないんだったら、見えているものが真実だったら、こんなつまらないものはないなと思ったのが写真を始めた思い。江戸絵画も描いていないところや間がある。作者が一番大切にしているのは、見る人自身の想像力やイメージ。写真と江戸絵画をあわせた加納さんの画像を見た時に自分が実践していることと重なるところがあるかもしれないと直感した」

 

会場には「I WERE YOU」の展示も画像もない。現物を見ることしか始まらない。いつか、どこかで作品が再び出現されることへの期待を残しながら一夜の興宴は閉じられた。

 

 

  • 後藤由加里

    編集的先達:石内都
    NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。