髪棚の三冊 vol.1-4「たくさんの私」と「なめらかな自分」

09/05(木)23:26
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デザインは「主・客・場」のインタースコア。エディストな美容師がヘアデザインの現場で雑読乱考する編集問答録。

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髪棚の三冊 vol.1「たくさんの私」と「なめらかな自分」

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『情報環世界』(ドミニク・チェン他、NTT出版)2019年

『ダーク・ネイチャー』(ライアル・ワトソン、筑摩書房)2000年

『なめらかな社会とその敵』(鈴木健、勁草書房)2013年

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なめらかな「自分」

 

 この世界は「わからなさ」に満ちています。なぜなら、私たちは宿命的に個々の環世界に閉じているため、完全に客観的な世界像を俯瞰することができないからです。

 しかも現在の社会は「個人」が分割不可能な存在であることを前提として設計されていますから、私たちは我が身の内の矛盾や葛藤や、多面性や移り気を「悪」として封印せざるを得ませんし、何か不都合が起これば誰か特定の者に責任を負わせて収束を図ろうとしてしまいます。

 

 この「個人=in-dividual=分割できない者」という概念に対して、「分人=dividual=分割可能でマルチロールな存在」という考え方があります。たとえば美容師である私が、家庭では妻であり、自治会では役員を務め、車に乗ればドライバーであり、、といった具合に様々な属性に応じて自身をツリー状に分岐するイメージです。

 分岐された子情報はいつでも親情報に還元可能ですから、これを経済の観点から見るとインフレが起こることがありません。手持ちの通貨1単位が分割して投資され、それらが巡り巡って回収される、いわば「信用が伝播する投資貨幣」といったモデルが想定されるでしょう。

 ある取引が行われると、その影響はそこで完結するのではなくサプライチェーンを通して次から次へと財やサービスが生み出されていきます。とすればあらゆる消費財は中間財となって、価値が伝播し続けるかぎり償却不能の最終財が発生することはなくなります。

 

 この理論を『なめらかな社会とその敵』(鈴木健、勁草書房)では「WEB3.0」の文脈で語り直しています。はじめから社会の仕組みに「分人」を組み込んでしまえば、世界と自分とを隔つ境界線はなめらかになって、社会は多様多層に関わり合う【網】として再構築できるだろうという提案です。
 個々のリソースが限られているとしても、寄って立つ地を自在に置き換えることで、未だ知らぬ別様可能性を発掘し、新たな意味や価値や物語を興して行くということですね。

 

 たとえば既に実装され始めているブロックチェーンの技術が期待通りに普及すれば、世界中の情報という情報には全て完全な状態でのトレーサビリティがもたらされ、あらゆる「個人」のライフログは永遠にクラウドへ刻印されて行くでしょう。この事態は、監視社会の到来を予見するものでは決してありません。そうではなくて、いよいよ世界はその複雑な多様さを複雑で多様なままスコアリングされようとしているのです。

 

 となれば、これはまさにマルチロールの我らエディストの作法こそが求められることになるでしょう。来るべき社会モデルを生命のシステムに真似び、敢えて世界にアンビバレンスを想定し、ゴルディロックスの如くふるまうこと。そして、味方と敵、部分と全体、主体と客体、善と悪とをくっきりと分断するのではなく、なめらかなメトリックで分節し、それらをブーツの紐を編み上げるようにして編集すること。

 

 「わからない」を「わかる」に変換するためには、自身の環世界を飛び出して新たな環世界を構築し、別様の世界像を獲得することが求められます。するとまた「わからなさ」も更新されますから、私たちは未知との遭遇を永遠に繰り返すことになるでしょう。

 そうだとすれば、「わかる」ということは必ずしもコミュニケーションや学習において目指すべきターゲットではなくて、「わからない」から「まだわからない」へ向かうプロフィールだと考えるべきなのかもしれません。それが言い過ぎだとしても、私たちが他者や世界に対して「わからないまま関わる」ための作法を身につけざるを得ないことは間違いないでしょう。

 

 思うにイシス編集学校は、そんなふうにエディストたちが編み上げた「巣」なのでしょう。フィルターバブルならぬ「フィルターネスト」と呼ぶこともできそうです。なめらかな多孔質の界面があって、そこをエディストたちが自在に出入りするイメージです。

 共創や協奏は「共巣」によってこそ育まれるものですし、ね。

 

(おわり)


  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で朗読ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて、人情に厚い。趣味は筋トレ。編集工学を体現する世界唯一の美容師。

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