この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

選手の足がとまりかけると、車の窓から監督の激励が飛ぶ。するとフラフラの選手の脚の回転数が上がる。日曜に締切を控える49〔破〕物語編集術アリスとテレス賞へ向けての激走は、箱根駅伝にたとえれば復路の最終区だろうか。
●唐傘ダムダム教室
「あまり時間がないですが、一行でも一文字でも磨いていけたらと思います。(Yさん)」
「全部書いてからと思いましたが、思ったことを色々と書いていきます。少しずつでも先に進みましょう。(大塚師範代)」
●臨刊アフロール教室
「とりあえず勢いで最後まで書いてみました。(Sさん)」
「ここまで書けた! ということで大いに気分をよくしてください。そして稽古なので、ここから推敲して磨いていきましょう。(西村師範代)」
●ヤマネコでいく教室
「書き上がったら、ぜひ、声に出して読んでみてくださいね。キュッキュと磨いて行きましょう。(安田師範代)」
「表現を調整し、主人公のゆりに対する言葉をいろいろ試しています。難所です。(Uさん)」
頑張る学衆のできるだけ近くで応えたい。だから途中の指南でも並走する。できたことを讃え、もっと行こうとゴールを指す。最高のフィニッシュのために、走りながらできることを伝える。師範代は、代わりに走ることはできないが、奮起させる言葉で編集の駆動力を上げていく。
物語編集術の稽古が駅伝とちがうのは、原作の読み替えからストーリーの書き上げまでの6つのお題を、自分で自分にバトンを渡しながらひとりで走りきるところだ。苦手なお題をなんとか越えたあと、迷ったことも、試してみたことも、次のお題で“読み”が、関係が、台詞がつながり、展開の可能性に化ける。テープをいち早く切ることではなく、豊かに編み上げることを求めて、振り返り振り返り走るのだ。
野嶋真帆
編集的先達:チャールズ・S・パース。浪花のノンビリストな雰囲気の奥に、鬼気迫る方法と構えをもつISISの「図解の女王」。離の右筆、師範として講座の突端を切り開いてきた。野嶋の手がゆらゆらし出すと、アナロジー編集回路が全開になった合図。
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。