世阿弥の世界観に則ると、能は善悪でいえば「悪」といえる。
こう聞いてもし違和感を覚えたならば、もしかしたら西洋の「善悪観」にとらわれているのかもしれない。
|ヨーロッパは単一的・日本は包括的
7月26日の輪読座。
バジラ高橋は「ヨーロッパは単一的、日本は包括的」と両者の善悪観を対比する。
「日本では、悪はその周りに善を包括しているとみる。
善とは生きられるということ。逸脱したり、度が過ぎること。それを悪とみた。」
やりすぎ、いきすぎ、珍しいことが好き。これはどれも「悪」に属することだという。
善と悪が対置させない見方が日本にはあり、世阿弥もそのような世界観にいた。
|未知に向かうことは「悪」だった
「美男がスキ。クラスターが発生してもあの人へ会いにいきたい。それが悪。ただ、やりすぎると亡びるわけです。だから善をもってなさいという。全部捨てちゃだめよと。
対して善人は外出を控えて安全に生きようとする。それが善なんです」
生きるだけなら善だけでいい。だがそれだけでいいのか。
対比的にとらえられがちな「勧善懲悪」も、「善をもってなさい。全部悪にすると生命としての根拠がなくなってしまう」という生き方の指南のように思えてくる。
|悪にも芸にも「魅力」がある
生きることと関係ないのになぜ「悪」に向かうのか。
「悪には魅力があるんです。実は芸は悪の道なんです。善悪でいえばね。常識を破っていくものなんですよ。」
新規事業をする人、新しいファッションをする人はみな、型破りな「悪」。
世阿弥の生きた室町時代でいえば、金箔で塗りたくった金閣寺などは悪事の極みといえるだろう。
|善だけではやってられない
「こうした構造の中で日本は善悪をとらえている。だから『善が悪を滅ぼす』という理論はあり得ないわけ。光と影は対置するものではない。光があって影がある。影は周りのことであって。ヨーロッパとはまるっきし違います。」
こうした善悪観(世阿弥の見方でもある)を通すと、たとえば鎌倉時代を生きた親鸞の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の受け取り方も変わってきそうだ。
「善だけだと縮こまってしまう。それだけじゃやってられないよね。統制社会みたいになっちゃう。」
バジラはそう笑いつつ、世阿弥と観世元能の芸談『申楽談儀』の図像解説をはじめた。
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。
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