発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

創(きず)があるからこその物語。
イシス編集学校 [物語講座]、小濱創師の名前の由来はそこにある。きずを意味する創の字は、創造の創でもある。
物語講座は多様だ。[破]から直接受講する人も、師範代や、ベテランの師範も同じく叢衆として受講する。その中で、14綴で大幅なお題改変を経ての二年目。15綴[物語講座]は師範と師範代のが躍動したと小濱創師は振り返る。
ナウシカ黒蜥蜴文叢(三津田恵子師範代)は、稽古のリズムが不規則だったが、ここぞの集中が素晴らしかった。天守よだか文叢(後藤泉師範代)は個性的な叢衆を後藤師範代がしっかりと受け止めた。はてしない裏庭文叢(小林奈緒師範代)では、リアルタイムではない指南が文叢を動かした。芳一ドン・キホーテ文叢(網口渓太師範代)は師範代が学衆をよく見ていた。叢衆が書く物語だけではなく、文叢自体が物語を作り出していたのだ。
『綴墾巻』は叢衆の物語が詰まっている、この期限りの一冊の本だ。叢衆の渾身の物語を、師範、師範代が一週間がかりで編集を重ねる。「声に出して読んでほしい。また違う物語が生まれてくる」と木村久美子月匠は叢衆に伝えた。回答として放たれた物語は、一冊の本になって新たに生まれ直した。
北條玲子
編集的先達:池澤祐子師範。没頭こそが生きがい。没入こそが本懐。書道、ヨガを経て、タンゴを愛する情熱の師範。柔らかくて動じない受容力の編集ファンタジスタでもある。レコードプレイヤーを購入し、SP盤沼にダイブ中。
風に舞う花びらは、本楼から京都へと運ばれた。[守]の師範代は、[破]の師範代へと変身を遂げ、その笑顔には頼もしさが漂う。 思えば、53[守]の本楼汁講で、土田実季師範代は、その力を発揮したのだった。 202 […]
世界は「音」で溢れている。でも「切ない音」は1つだけ――。54[守]師範が、「数寄を好きに語る」エッセイシリーズ。北條玲子師範が、タンゴを奏でる楽器「バンドネオン」について語ります。 ただタンゴの音を奏で […]
散る花を 惜しむ心や とどまりてまた来ん春の 種になるべき(西行) 春にもかかわらず、夏日や冬並みの寒さが交互にやってきたり、四季の感覚がすっかりおかしくなってしまったが、散る桜を惜しむように […]
柳田國男は『海上の道』で、海から来たものについて論じた。遠い昔、海流に乗って日本へとたどり着いたものたちがいたのだ。 第83回感門之盟のテーマは「エディット・タイド」EDIT・TIDE(海流)は回文になって […]
ショートショートの動画が流行り、「いいね」一つで関係が完了する時代。しかし、一方的に受け取るだけでは物足りない。イシス編集学校は、発信者も受信者も互いを編集する。 講座の節目となる、83回目の感門之盟は、初 […]
コメント
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。