【輪読座】「礼」の本来は周にあり(「白川静を読む」第五輪)

2021/02/28(日)20:00
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バジラ高橋

約束をすっぽかす。目上の人に平気でくだけた言葉を使う。相手の親切に感謝の言葉も返さない。

そういう輩を「礼儀知らず」などというが、この「礼」の本来は、もしかしたら周王の統治システムにあったのかもしれない。

 

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2月28日、バジラ高橋の輪読座第五輪は周の時代の「5つの礼」の図象解説から始まった。

 

バジラによると、自然神を祀る「吉礼」、災害時の哀悼の儀礼「凶礼」、諸侯国・異国との外交にあたる「賓礼」、軍事的な衝突を避け協調関係を築く「軍礼」、婚姻などで家族の安定をはかる「嘉礼」。周王はこの5つの礼を司り、これらを調えることで諸侯国を治めていたという。

 

5つの礼は、周王だけでなく、諸侯や各地の土地領有者までが実施することを課していたという。礼が一帯に浸透することで共通の文化がうまれ、やがて周と諸侯国間の調和関係につながっていった。封建制による地方自治の時代を生き抜いた周王ならではの編集だろう。

 

5つの礼をきちんと行わないと、文字通り「礼」を欠き治安を乱す者とみなされた。これが「礼儀知らず」の本来だったわけである。

 

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周の5つの礼は、木管五重奏を想起させる。

 

木管五重奏とは、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンからなる西洋クラシックの定番編成の一つ。18世紀ごろから登場し、19世紀に確立したとされる。

 

五重奏というと、他には弦楽五重奏や金管五重奏などもあるが、これらはどれも発音方法が同じ楽器による編成のため、楽器同士の音色のムラが少なく、調和しやすい編成といえるだろう。

 

一方、木管五重奏はどれも管楽器ではあるものの、発音の振動体がオーボエ、ファゴットを除きどれも異なっている(オーボエとファゴットはダブルリード、クラリネットはシングルリード、ホルンは(唇と)マウスピース。フルートはそもそも楽器に振動体がない)。そのため発音される音色も楽器によってまったく異なり、全体の響きのバランスを取ることは、実は相当に難しい。だが、うまくいけばそれぞれの独自の音色を保ちつつ、他の編成にはない響きを獲得できる。作曲家も演奏家も、こうした困難をリスクテイクをした上で五線紙に相対している。

 

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同じ国でありながら異なる自治のしくみをもつ諸侯国。同じ管楽器でありながら異なる発音と音色をもつ楽器群。ここに何かしらの相似を感じずにはいられない。

 

周王の5つの礼は、地方自治の独自性・多様性を認めつつ全体の調和を実現させた、周と諸侯国のインタースコアである。「挨拶をきちんとしなさい」「礼儀正しく振る舞いなさい」というのもいいが、それならいっそ周の5つの礼に肖り、現代版の5つの礼の編集に向かいなさい。21世紀の木管五重奏を作曲しなさい。バジラ高橋ならばきっとそう語りかけてくることだろう(もっとも、バジラが西洋音楽をどのように評価しているかは全く別の話だ)。

 

 

余韻:

木管五重奏で一つに作品をしぼるなら、リゲティの『木管五重奏のための6つのバガテル』(György Ligeti “6 Bagatelles” 1953年)をあげたい。

5つの楽器それぞれの音色や特性をいかしつつ、楽器と楽器、フレーズとフレーズのあいだを明快かつ精緻に編み上げたユーモラスな小品集。初期の作品でありながらすでにリゲティが備えていた、あいだを聴きとる耳と音を選びとる確かな技術を感じることができる。

リゲティの音楽は、キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」「シャイニング」などにも用いられているので、そちらでピンとくる方も多いかもしれない。

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。