夕星輝く仄明書屋 風韻講座10shot

2020/07/09(木)12:42
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 温泉と呼ばれる唯一の講座 風韻講座。しかし、稽古は決して楽ではない。見立ての由来は俳句、短歌、都都逸など日本の定型詩を詠んでいくことで温泉に浸かっているかのように何かが解きほぐれていく感覚からきているのかもしれない。

 

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 七月四日に行われた十八座夕星座のオンライン仄明書屋の風景を10ショットでお届けします。まずはしつらい篇です。

 

芭蕉も子規も詠んだ紫陽花(本楼植物図鑑い)

紫陽花は初夏の季語。「あじさいの庭まで泣きにいきました」と詠んだのは小6の少女(362夜

 

笹の葉に香を焚く(本楼植物図鑑ろ)

2007年冬に開講した風韻講座。第一座の座名は「小笹座」(正式名称:ささゆきは小笹の雪のほのあかり座)であった。座名は小池純代宗匠が名付ける。

 

夕暮れに伸びる影の葉(本楼植物図鑑は)

照度を落とすと本楼には夕暮れが訪れる。離れ難き懐かしさは夕方の下校時のよう。

 

 

梅園雅族苔桃の酒

入手困難な小池宗匠の著書。その一端を味わいたい方は昨年刊行された『北村薫のうた合わせ百人一首』(新潮文庫)を手に取ってみてください。

 

京都の老舗のちまきが並ぶ

500年の歴史をもつ京都の老舗川端道喜のちまき。連句を詠むためのEdit Cafeラウンジ「ちまき星」に肖って。

 

金平糖の天の川

「ちまき星」の星は金平糖が担当する。画面越しの連衆も「おやつは金平糖」。

 

全宇宙誌が羽根を広げて

昨年の風韻講座期間中には『ことば漬』と『万葉集の詩性 令和時代の心を読む』(角川新書)が刊行され稽古の追い風となった。夕星座には『宇宙と素粒子』が寄り添う。1979年に出版された『全宇宙誌』とともに。

 

淡い着物に遊を背にして

風韻の世界を醸成するのは指導陣の着物姿。夕星の如く光るライト。掛けられた〈遊〉の書。

 

仄明るくて閑かな書屋

本楼の空間が言葉の器となる。連衆の言葉が入って出ていき、また入ってくる。ただただ楽しかった、でもやっぱり会いたかったという画面越しの思いがほんのりと残る。

 

 

  • 後藤由加里

    編集的先達:石内都
    NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。