【二千光年の憂鬱】Chapter1 Remix the world

2022/05/01(日)08:00
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  1. 1. 歴史を対立軸でとらえる

    新型コロナパンデミック、ロシアによるウクライナ侵攻、それらに伴う、経済危機やコストプッシュ型インフレ。数年前には想像もできなかったことが次から次へと起こり、これからどうなっていくのか、一向に先が見えない。

     

    でも、それは今に始まったことではなく、世界はいつだって混乱していたし、何事もなく過ぎていく日々など幻想に過ぎない。

     

    プーチンのウクライナ侵攻の目的については、プレジデントオンラインの佐藤優氏の記事が非常に分かりやすいので、一読されることをお勧めする。

    https://president.jp/articles/-/55227(外部リンク)

  2.  

     

    今の状況を地政学的に表現すると、外に向かって、海上ネットワークを通して発展していこうとするグループ(シーパワー勢力=グローバリスト)と、内に籠り、外敵から国を守ろうとするグループ(ランドパワー勢力=ナショナリスト)との攻防戦ということになる。両者の対立は19世紀から連綿と続いている。ウクライナはその大きな流れに吞み込まれたと言えよう。

     

    今回のウクライナ侵攻を捉えて、ロシアが一方的に悪で、ロシアを叩く西側諸国に正義があるというマスメディアの二元論的論調に加担することはできない。

     

    ウクライナが被害者であることは紛れもない事実だし、今のプーチンの遣り口は悪魔の所業であることは間違いない。しかし、そうであったとしても、ウクライナ侵攻の遠因は32年前のアメリカのウソにあるのだろうし、西側陣営がプーチンを引くに引けないところまで追い込んだというのも事実ではある。

     

    マスメディアは、一般市民を容赦なく攻撃するロシアを非難するが、そもそも戦争とはそういうものだろう。欧米やチャイナに限らず、人類の歴史を辿ってみれば、戦争とは戦闘員だけではなく、敵対国の国民を皆殺しにし、街を焼き払い、時には民族を根絶やしにする。一国を征服するということは、その国の文化や宗教、さらには言語を破壊するということである。日本は歴史上、一度も、そういう意味では征服されたことはない。日本建国の当時から諸外国との交流はあったし、何度か攻撃されたこともある。第二次大戦敗戦後は、一時的にGHQに占領されもした。でも、言語を奪われ、宗教を捨てさせられ、文化を破壊されたという民族の記憶は持っていない。そのため、なかなか実感できないけれど、今日の世界は血塗られた歴史の上にあるんだということを忘れてはならない。

     

    私たちは、言語は奪われなかったけれど、ゆがんだ歴史教育を受けてきた。

     

    高校の歴史教育が大きな転換期を迎え、歴史総合という新たな教科が生まれた。学習指導要領には、素晴らしい言葉が並ぶ。狙いは良く分かるし、全肯定的に賛同するが、実際の教科書がどうなっているか、チェックしたところ相当酷かった。もちろん、とても良くできた教科書もあり、すべてが問題だとは言わないが、自虐史観に基づいた歴史教育は、この国の未来を担う将来世代から日本国民としての誇りを奪い、国力を弱体化させる。

     

    日本全体が、戦後GHQが仕掛けた様々なトラップに、未だに囚われているように感じることも多い。そろそろ、イデオロギーではなく事実ベースで歴史を捉えなおすことが必要だ。

     

    ロシアのウクライナ侵攻に話を戻すと、ロシアは過去に、チェチェンやシリアにも同じことをしているが、今回とは扱い方が違っていたように思う。少なくとも日本のメディアは、ほとんど報道をしなかった。今回と何が違うというのだろう。そもそもチェチェン戦争からプーチンの暴走は始まったというのに。

     

    一つ思い出したことがあるので、つけ加えておきたい。

    ロシア連邦からの独立を宣言したチェチェン共和国大統領ジャハル・ドゥダーエフが、あるジャーナリストに答えて語った言葉だ。

     

ロシアによるチェチェン民族虐殺の事実から国際社会は目をそらしている。この問題を見過ごすなら、大ロシア主義の矛先はやがてウクライナなど西に向かうだろう

 

  1. この発言後、ジャハル・ドゥダーエフ氏は殺される。

     

    元大阪府知事の某H氏がワイドショーで、「降伏するという選択肢もありだろう」的な発言をしているが、降伏した先に、どんな未来が待っているのか、ロシアに征服された後のチェチェンがどのような道を辿ったか、歴史から学んでもらいたい。

     

    詰まるところ、グローバリストもナショナリストも、どちらも悪なのである。

    更には、この世界は悪であふれていて、悪が自然で、善こそが不自然なのだと思う。

     

    悪にも色々ある。善悪の悪と、好悪の悪は違うだろう。

    だが、今ボクらが、普通に悪といったら絶対悪のことを言う。

    これはキリスト教的な悪だ。

    キリスト教社会では、唯一絶対神に対抗するものは、ことごとく絶対悪だ。

     

     正義の反対語はいつから悪になった。

     正義の逆は不義じゃないのか。

     それがなにもかも悪で片付けられる。

     神に背くもの、神に背く行為が悪。

     そして、悪は排除される。

     

    今のロシア対ウクライナというか、チャイナも含めて、グローバリズムとナショナリズムの対立構図も、自らを正義とし、それに抗うものはことごとく悪であり、排除しなければいけないという世界観が根っこにある。

     

    仏道では悪は赦すものである。

     

    もちろんキリスト教の神も、「裁きの神」であるユダヤ教のヤファヴェと違い、「赦しの神」ではあるが、赦されるためには、悔い改めなければいけない。後悔して懺悔して告解して、それで初めて赦してもらえる。

     

    だが仏道では「受け入れられる」。そういうものではなかったか。

  2.  

2.想いが言葉に変わるまで

 

何が正しくて、何が間違っているか。そのように考えるから、世界は解読不能に思えてしまう。この世界は白か黒か、0か100かでとらえることはできない。悪から善へ、0から100へのグラデュエーションの中で、その濃淡の微妙な変化の度合いを感じ取ることが重要なのではないのか。

世界がますます残酷で狂気に満ちていくとしても、ボクは、見たくないことから目を背けない、聞きたくないことに耳をふさがない。断じて曇った鏡にはなりたくはないからだ。

 

観念の肥大化を回避し、思考停止に陥らないためには、対立する価値観のどちらか一方に与し、他方を排除するのではなく、両方をかわるがわる見ていく必要がある。そして、視点を固定化せず、360度全方位を見据えること。全体像を視野にいれながら、同時にディテールも見ていく。どちらか一方ではダメなのだ。

 

世の中でジョーシキとされる考えはまずは疑うようにしたい。マスメディアや政治家や識者と呼ばれる連中が、一斉に同じ方向に向かって、同じ主張をし始めたら要注意だ。

 

ボク自身は、チャイナのような共産党一党独裁政権のもとでは暮らしたくはないし、民主主義的な世界の方が住みやすいとは思っている。だけど、グローバリストたちが提唱するような社会にも抵抗はある。昔の一億総中流意識をもっていた時代の日本の方が、ごく一部のスーパーリッチと、それ以外の下流国民に二分化されようとしている今の日本よりは、健全であるし、好ましいように思う。自己責任の名のもとに、弱者を切り捨てるような社会の到来は望まない。

 

グローバリズム資本主義を推し進めて行けば、かつてジョージ・オーウェルが「1984」で描いたようなスーパー管理社会が現実になるかもしれない。

 

じゃあ、資本主義がダメだからシステムをぶち壊せばいいのかというと、そういうわけにもいかない。何故なら、資本主義、民主主義に代わる新たなシステムは、未だ見つかってはいないからだ。

 

あらゆるイデオロギーもシステムも無効化されてしまったように思える、この2022年の世にあって、編集でしか世界は変えられない。「世界」なんていうと焦点がボケてしまうから、コトバを変えると、自分に関わる人、自分をとりまく状況そのものを変えて行くための最後の切り札が編集だ。

 

例えば、民主主義と社会主義をリミックスする。グローバリズムとナショナリズムをマッシュアップする。当然のことであるが、ただ掛け合わせればいいというわけではない。社会主義のどの部分を切り取って、民主主義のどの部分を混ぜ合わせるか、何を活かして何を捨てるかが重要だ。単なるインフォメーションとインテリジェンスを厳密に区別する判断力も必要であるし、まがい物と本物をかぎ分ける嗅覚、現象学で言う本質直感も必要となってくる。当然ではあるが、それは簡単なことではない。鈍感力と肥大化した自己で武装したような世間を相手にしなければいけないことを思うと絶望的な気分にもなるし、実現不能にも思えてくる。

 

でも、ぼくにしか語れないこと、この文章を読んでいるあなたにしか語り得ない言葉はきっとあるはずだ。想いが言葉に変わるまで、痛みと悔しさを抱きしめて眠ればいい。想いを言葉にできるまで、孤独を突き詰めていけばいい。いくつもの眠れない夜と、逃げ出さず悔しさを積み重ねた先にしか新しい世界はやってこない。

 

世界がモノトーンであるなら、黒く塗りつぶされてしまう前に、あなたが色をつければいい。

 

暗闇に飲み込まれて、希望が見えないならば、大切な人が一歩前に踏み出せるように、あなたが一筋の灯りになればいい。

 

その時に、支えてくれるのは、目に見える現実の世界の断片を並べ替え、再構築するための方法であり、編集的世界観であることを忘れないで欲しい。

 

毎回、テーマに応じたプレイリストを紹介します。

今回は、心が折れそうな時や、疲れた時に、そっと寄り添ってくれる曲や、お尻を蹴っ飛ばして、甘えた気分を一掃してくれる、そんな曲を取り上げます。

 

今日を生き延びるための10曲 (1)

1.満月の夕べ / HEATWAVE

2.裸にされた街 / PANTA&The HALL

3.ブリキ/ RADWIMPS

4.About a rock’n’roll / the pillows

5.Get Up Stand Up / Bob Marley&The Wailers

6.I Fought The Law / The Clash

7.Tell Us The Truth / sham69

8.Many rivers to cross / Jimmy Cliff

9.One more light / Linkin Park

10ジターバグ/ ellegarden

 

10曲の中で、特に気になる曲について、少し説明すると、3の「ブリキ」は、RADWIMPSの野田洋次郎が、YouTube上で発表した曲。

 

野田洋次郎は、毎年、震災が起こった日に1曲ずつYouTube上で発表し続けた。

震災から10年後の2021年3月11日、それらの曲は「2+0+2+1+3+1+1=10years 10 songs」として、RADWIMPS名義で発表された。

 

その中でも、もっともナイーブな1曲が「ブリキ」だ。

 

See you later, alligator

 

【トップ画像について】
次男のYutaroがiPadとAdobe Photoshop Sketchで描いた作品。
次男曰く「ロシアのウクライナ侵攻に対して、個人が声をあげたところで届きはしないけど、黙っているのは卑怯な気がするので、インスタにあげた」とのこと。


  • 倉田慎一

    編集的先達:笠井叡。Don't stop dance! 進めなくてもその場でステップは踏める。自らの言葉通り、[離]の火元を第一季から担い続け、親指フラッシュな即応指南やZEST溢れる言霊で多くの学衆を焚き付けてきた。松岡校長から閃恋五院方師を拝命。

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