六十四編集技法【30相似(similarity)】決め技は“守り”です

2020/01/25(土)12:16
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 イシス編集学校には「六十四編集技法」という一覧がある。ここには認識や思考、記憶や表現のしかたなど、私たちが毎日アタマの中で行っている編集方法が網羅されている。それを一つずつ取り上げて、日々の暮らしに落とし込ん
で紹介したい。

 

 

 

 

 勤務先の学生が初場所に出場することになった。と言っても、大相撲ではなく地域の紙相撲である。高さ1mほどのダンボール製力士が出場し、複数場所を闘う大会なので気合が入る。

 

 学生たちは力士製作から始めた。作るにはモデルが必要になる。ここで大いに活躍する64技法が【30相似(similarity):似たものをさがす、類似化、引き寄せる】である。 

 

 現役から往年の名横綱まで有名力士がひしめく中、彼らがモデルにしたのは、指導教員のミサワ先生だった。「だって、(クマの)プーさんみたいで可愛いじゃないですか」と言う単純な理由で。

 

 体形が似ているからって、なんでセンセイを選ぶのかという疑問はさておき、理論と知識を着込んだ大学教員とまわし一つで勝負の世界に生きる力士という組み合わせは意表をついていた。

 

 こうして、モデルを知る人にはめっぽう似ていると評判の「ミサワの山」が生まれた。

 

 出場力士にはプロフィールの公開が義務付けられている。学生が日頃の観察力を発揮し、仕上げたものには出身地などとともに「得意技:守り(妻子がいるため)」と書かれていた。決め技が守りってどうなのかと苦笑いしたが、ミサワの山誕生からプロフィール作成に至るまでのプロセスに編集がちりばめられていることに感心した。 

 

 まず、お相撲さんの体形の相似から、プーさん似の先生を類推し、力士に見立てる。頭脳を使う職業の代表格である教員と肉体が資本のお相撲さんという落差のある対比がユーモアを際立たせる。プロフィールで更にそれを強調し、パロディーが生まれる。

 

 これを単なる似たもの探しの遊びと侮るなかれ。松岡正剛校長も『知の編集術』で記しているように「編集は遊びから生まれる」。

 

 一連の流れを千夜千冊でもお馴染みのカイヨワの遊びの分類を通じて読み解くと次のようになる。「ミミクリー(真似の遊び)」で異質なもの同士に対角線を引く。それを相撲という「アゴーン(競いの遊び)」の舞台に上げる。力士は勝つか負けるか「アレア(賭けの遊び)」の世界で遊ぶ。なお、カイヨワの分類にはこの3つに「イリンクス(眩暈の遊び)」が加わる。

 

 学生に稽古をしたつもりは毛頭ないだろが、編集学校の教室なら、方法がいっぱい詰まった遊びに、師範代として大きなハナマルをつけて返してあげたい気分だった。

 

 似たもの探しは、具体的なイメージの獲得を容易にし、より豊かな想像の世界へといざなう。相似は、次なる編集を呼び込み深化させる種子なのだ。

 

 ところで、初場所に出場したミサワの山の成績はどうだったかというと、ガタイの割に足腰が貧弱で、突き落とされて故障。一勝もあげられないまま途中休場となった。どう贔屓目に見ても弱い、弱すぎる。しかし、考え方を変えると得意技の「守り」活かしたともとれる。妻子との時間確保のための早々の戦線離脱であれば、周到な作戦勝ちと言うべきだろうか。遊びは最後まで謎が尽きないから面白い。

 


<関連する千夜千冊>

 

 ★899夜 ロジェ・カイヨワ 斜線  
 ★1318夜 ガブリエル・タルド 模倣の法則 
 

 

(design 穂積晴明)

  • しみずみなこ

    編集的先達:宮尾登美子。さわやかな土佐っぽ、男前なロマンチストの花伝師範。ピラティスでインナーマッスルを鍛えたり、一昼夜歩き続ける大会で40キロを踏破したりする身体派でもある。感門司会もつとめた。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。