をぐら離 新春特別便「セイゴオの生き方・対談もどき」前篇

2021/01/03(日)10:00
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 明けましておめでとうございます。
 「をぐら離」では、析匠、小倉加奈子の日常を通した離の姿をお届けして参りましたが、今回は新春特別編として、セイゴオひびのTwitter編集版、松岡火元校長の「ぼくの生き方」を対談形式っぽくさらに再編集してお届けいたします。みなさんは、校長の「ぼくの生き方」にどう応えるでしょうか。
 コンテンツをご提供いただいた14離・曵瞬院の小坂真菜美別当師範代に御礼申し上げます。

 


M:

早めに過去を編集した方がいい。つまり当時の意識のままでは思い出に耽らない。ぼくがこの作業に着手したのは十七歳で、いまでは数日前を編集している。<生き方C>

 

W:

これ、とても難しいですね。過去は要約されたり、連想がくっついたりして、記憶されていると思うので、おそらく脳内で編集がすでにいったん終わっている。校長は、そこにあえて抵抗する、ということでしょうか。離学衆だけでなくわたし自身、幼な心を含めて、まだまだその扱いをよくわかっていない気がします。何か過去を編集していく上でのヒントはありますか。特に素敵な思い出は、当時の意識のままでなるべくありありと思い出したいと思ってしまいます。ぽ~っと耽りたくなる(笑)。

 

M:

音楽はモードに、古典は身体に、オブジェは感情に、文字は声に、風景は精神幾何学に、歴史は哲学に、アートは指の目に、転位させていくといい。<生き方I>

 

W:

当たり前になっている「地」を少しズラすということでしょうか。図の見え方を変える極意ですね。幼な心をすぐにフラジャイルなものと結び付けたり、安易な連想に走るとありきたりの見方しか生まれないのかもしれませんね。「カテゴリーをまたげるのが連想建築だ」と隈研吾さんがおっしゃっていたことも「転位」につながると思いました。で、素敵な思い出に対する”耽りグセ”はいかがいたしましょう。

 

M:

いったん好きになった物や人は何があろうと否定しないことだよ。どんな面影もつながっているということだ。それを切ってはいけない。<生き方E>

 

W:

あ、そうか。耽りグセは大切にしておけばいいのかな(笑)。面影編集の極意は切らないことなのですね。いったん好きになったものは一途に好きなままですが、その編集方法がわからないので、切ってしまいたくなることもあるのです。特にいったん好きになった物や人への執着が強いから、切らずに離れることができないのです。そこは、編集ができていないのかもしれないと思います。でも、好き=数寄は編集にやはり必要ですものね。

 

M:

うん、依怙贔屓するんだよ。そのためには自分を可能な限り無償状態にするのだが、もっと大事なのは恋闕の情を持ち続けられるかどうかということだ。<生き方B>

 

W:

無自覚に依怙贔屓はしているように思います。ひとからも「わかりやすいよね」とたびたび言われるので、依怙贔屓的衝動が観察されていると思うと恥ずかしくなります。無償状態といわれるとちょっと自信がありませんが、好きなひとと遊びたい、という思いが強いかもしれません。あとは、仮想的な敵をイメージして、好きな仲間たちとそれに挑んでいきたいという使命感みたいなものもありますが、使命感が強すぎると編集が狭まるようにも思ったりします。

 

M: 

呉越は同舟。敵は叩かなくていいんだよ。いつか隣りあえばいい。ただし売られた喧嘩は買ってでる。そのための殺法はクリエイティブに磨く。<生き方F>

 

W:

血の気が多い方なので、売られた喧嘩は買いたくなりますが、殺法は磨けていないなぁと思いました。社会に対する「問」いかけと使命「感」で、「問感応答返」の編集の型を動かすように意識したいと思います。クリエイティブな殺法を磨くことを今年の目標にします。ほかに、校長から今年の編集的人生を送るうえで何かありますでしょうか。

 

M:

できるかぎり公私混同をめざす。公私を区切るタブーがあれば、それにも挑む。そこに「共」が生まれてきたら、「共の場」で遊ぶ。<生き方A>

 

W:
はい。『インタースコア』に書いたように”ポジティブな公私混同”は、わたしの一貫したモットーです。校長は、自分の境界が分からない人が増えていると指摘していましたが、「皮膚-自我」がしっかりしているわたしは、そこは大丈夫かなと思っています。本年も、公私をまたぎ、自分の言葉で語り続ける年にしたいです。さらに共の場で遊び倒したいな。さらに編集的な公私混同のためには具体的にどうしたらよいでしょうか。

 

M:

一視同仁を心がけ、ときに本末転倒を恐れず、大同小異と同工異曲に熱中し、ただ開物を成務して緯武経文に努め、願わくば尺山寸水に観天望気を愉しむ。<生き方J>

 

W:

あぁ。モットーは公私混同と言いつつ、首尾一貫しなくては!と、妙に潔癖なところが出てきたりします。そうすると、以前、校長に指摘されたようにつまらなくなります。自分自身も面白がれなくなります。本末転倒と邪道を極めていけるように努力したいと思います。そのためには身体知をもって、世界知へ向かうことですよね。[離]を体現し続けることですよね。

 

M:

何かを選んできて最後に二つ残ったら、どちらかに決めないようにしなさい。二つそのままにして両方を引き受ける。これ、二項同体編集法ね。<生き方D>

 

W:

「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではなく、両方を引き受けるのですね。絞り切らずに余地を残すための「対の編集術」ですね。今は、リアルとヴァーチャルの場の両方を引き受ける時期だと痛感しています。2020年は、[離]と経産省のSTEAMライブラリプロジェクトを最終的に両方引き受けることを決意しましたが、いずれも学びの場をどう育んでいくか、という大きなターゲットになっていますし、そこには当然、リアルとヴァーチャルの編集が絡んできています。[離]、そしてイシス編集学校の内と外、現実と仮想、公と私、プロフェッショナルとアマチュア。つねに縁側にいながらたくさんの境界をまたぎ、わかりにくさに向かうためのわかりやすさを模索していきたいです。あ、あと校長にもうひとつアドバイスをいただきたいのですが、欲張りなをぐらは、好奇心の赴くままにいろいろなことに手を出してしまいます。校長は、忙しいですと呟いた吉村林頭に「仕事を5倍に増やせ」とおっしゃったようですから、欲張り奨励だと思いますが、なんだか仕事が雑になってしまうように思い、たまに自己嫌悪に陥ります。そこはどう乗り越えていったらいいでしょうか。

 

M:

Aの難問に出会えばこだわらず、次のBの難問を見いだすといいね。できればCの難問まで待ってこれらの共通ソルーションに向う。一即多の方法を模索しなさい。<生き方H>

 

W:

なるほど。雑になってしまうのは、安易に解決に向かいたがるせっかちさがいけないのかもしれませんね。せっかちだと自覚した時は、高速でふりかえればいいのかな。速さを深さに変えられるように、リバース・エンジニアリングを難問の間に挟み込むようにしたいと思います。

 

M:

迷ったら脚下の根本偶然に向かいなさい。そして「小さめ」の発見をする。迷いは眼前のコトを大きく見すぎたから生じる。小こそが大を超える。<生き方G>

 

W:

あぁ。それでは今年もひとつひとつの病理診断を引き続き大切にしていきます。ひとつひとつの細胞はとても小さい。病変を観察するたびにたくさんの「小さめ」の発見がありますから。顕微鏡下の根本偶然に向かうことといたします。

 


<対談もどきは後篇へつづきます>

 

 


  • 小倉加奈子

    編集的先達:ナシーム・ニコラス・タレブ。病理医で、妻で、二児の母で、同居する親からみると娘、そして師範であり火元組。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべりな図鑑』シリーズの執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Labo」開発へ。おしゃべり病理医の編集的冒険に注目!