発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

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『情報環世界』(ドミニク・チェン他、NTT出版)2019年
『ダーク・ネイチャー』(ライアル・ワトソン、筑摩書房)2000年
『なめらかな社会とその敵』(鈴木健、勁草書房)2013年
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みなさん、こんにちは。31[花]くれない道場花伝師範の深谷もと佳です。美容師です。ローカルFM局で番組制作をしたりもして、「たくさんの私」のうち以上の2つが一種合成されて36[守][破]でFMサスーン教室を持ちました。
サスーンは、ヴィダル・サスーン(1928~2012)に肖っています。髪型をシザーによって造形する手法を世界中に流布させた巨匠です。この「サスーンカット」の流行は、ハンドドライヤーの普及と同期してもいました。美容の歴史はどうしても「髪型」の変遷に耳目が集まりますが、実のところ「技術」によって画期されて来たのですね。ヘアやファッションのモードには、20世紀の大量生産テクノロジーによる強力なアフォーダンスが働いたということです。
さて今回のコラムは、人の風俗・習慣がテクノロジーの進展と分かちがたいという話を、「たくさんの私」と絡めて考えてみることにいたしましょう。
たとえば「自分らしさ」ってどういうことでしょう。美容師である私は、いつもお客さま一人一人の「その人らしさ」を表現することに腐心しているのですが、この「その人らしさ」というのは必ずしも「自分らしさ」と一致しなかったりするものです。一口で言えば、前者は客観的な人物像で、後者は主観的な自己像です。美容師は、主観と客観の間になめらかな線分を想定しつつ、その線分上にヘアデザインを提供しようとする次第なのですが、これがなんとも悩ましい作業なのです。
多くの場合、「他人から見た私」と「私から見た自分」はズレや誤解があるものですし、とりわけ昨今のインターネット社会では「フィルターバブル」の罠を見逃すワケにはいきません。情報過多の時代とはいえ、SNSのタイムラインにしてもショッピングサイトのレコメンド商品にしても、私たちはあらかじめフィルタリングされた情報環境の中に置かれていて、それはまるで見えない「膜」によって隔てられた泡(バブル)の中で暮らしているかのように見えます。私たちはフィルター越しに世界を認知し、他者と隣り合わせに接してはいるものの、互いに交じり合うことはありません。
とすると、いったい「自分らしさ」を語っている主体は誰なんでしょう。
[髪棚の三冊vol.1]「たくさんの私」と「なめらかな自分」
1)「自分らしさ」を語るのは誰?
2)「自分」と「自分じゃない」の境界線
3)「自分」にとって「ちょうどいい」
4)なめらかな「自分」
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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コメント
1~3件/3件
2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。