おしゃべり病理医 編集ノート - しつこさの哲学

03/09(月)08:08
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 占い好きというわけではないが、「しいたけ占い」はお気に入りである。月曜日に、週間占いがLINEに配信されてくる。年の前半と後半の運勢もネット上で閲覧できる。対話調の文体のせいかもしれないが、癒されるし、前向きになれる。ネガティブな思考回路に入ったときにかぎって、おっと思うアドバイスも書かれている。わたしの今の状態をわかっていて書いているのかしら…と思う。自分に引き寄せて解釈してしまいがちな占いなのである。しいたけさん、いつもお世話になっています!
 
 2020年に入って瞬く間に2か月が経ち、お誕生日も過ぎてしまったが、今年前半のみずがめ座の全体運や傾向について、「しいたけ占い」には以下のように書かれていた。

 みずがめ座は、恩返しに対してしつこいのです。自分なりに、「人生を生きる意味」を与えてくれたプレゼントに対して恩返しをしてきた。
それが2019年のあなただったのです。

 「恩返しに対してしつこい…」うぐぐ、当たっているような。しかも、どのくらいしつこいのか、しいたけさんはこんなメタファーで説明する。

 あなたは、何もない自分に米づくりを教えてくれた農家に対して、毎年50トンのお米を送るような活動をし続けます。「もう米いいよ!」と恩人の農家さんがブチギレるぐらいまで送り続けます。

 ぎゃあ~、そんなにしつこいのか!たしかに、感謝の気持ちが溢れてしまいがちで、それを相手にどうやって伝えればいいんだろうと悩むぐらいだ。そうか、しつこかったか、わたし。
 
 しいたけさんは、続ける。そんなことをやっていたからあなたは燃え尽きているのではないですか?だから、プレゼントの受け取り方も返し方も変えていきなさいよ、と。
 
 すごいなぁ、しいたけさん。なるほど、贈与の在り方を変えていけと言っているんだな。しいたけさんはもしかして『借りの哲学』のことも知っているのだろうか。
 
 フランスの哲学者、ナタリー・サルトゥー=ラジュは、『借りの哲学』で、「借りを返さなくていい社会」を提案している。本書はもちろん、校長の千夜千冊(1542夜)もとても素敵だ。冒頭に、アウグスティヌスの言葉が引用されている。
 
 私たちの持っているもので、人から受けていないものなんて、あるだろうか。
 
 わたしは、この教父の言葉にしびれる。また、どこか仏教の縁起が連想させられるのだが、みなさんはどうだろう。
 
 校長は、この引用からさらに著者の言い分を4つの文章に要約している。
 「人間はつねに他者からの借りで生きている」
 「われわれは一人で生きていけないので、誰かに借りをつくるものなのだ」
 「どんな時代の者も先行する世代からの借りの中にいる」
 「借りのない生などありえない」
 
 ナタリー・サルトゥー=ラジュは、人間は借りだらけの存在だということを強調する。そのうえで 借りにまとわりつく負債や負い目といった負のイメージを止揚する方法を提案する。
 
 借りることと貸すこと。閉じてしまいがちな二者の関係を社会に向かって開いていくという方法である。恩返しではなく、「恩送り」というような方法。借りは返すものではなく、回遊させるもの。そうすることで新しい縁が結ばれていき、見逃されていた意味や価値が社会の中で共有され、育まれていく。
 
 やはり仏教の縁起的な発想だと思うし、教育の在り方にも通じるとても清々しい方法だ。教えることと学ぶことの生き生きとした循環が、家庭や学校や職場にもたらされるだろう。イシス編集学校は、すでにそれが当たり前のように起こっている。講座が変われば、生徒が先生に、あるいは逆の立場になったりして、教えてもらったことや受け止めてもらったことがつねに恩送りされて編集学校の中を流れていく。まるで全身を巡る血液のように。
 
 千夜千冊も、校長の借りの哲学の実践ともいえるだろう。ぼくの編集の先達は、世界中の本たちだと校長は言う。様々な本から世界観の作り方やカットアップの仕方やアナロギア・ミメーシス・パロディアの案配の加減など、多様な編集方法を借りてきた、と。そういったたくさんの先達からの借りをウェブの千夜千冊において毎夜、恩送りしてきたのであろうし、さらなる借りの回遊が、文庫版『千夜千冊エディション』の中で生まれている。
 
 『悲しき熱帯』のレヴィ=ストロースが神話に見出した「ブリコラージュ」は、もともと修繕や寄せ集めといった意味があるが、物語や文化といった世界の構造を形成するための方法が、ブリコラージュである。校長の言葉でいうと、ブリコラージュとは、編集そのものであり、編集の連鎖のベースに、借りの哲学が息づいているといえるのではないだろうか。
 
 日々、繰り返される病理診断。直接会ったことのない患者さんの細胞や組織からいつも何かを教わっている病理医のわたしたちは、明日の患者さんにその借りを返していく。診断する力量が足りないことを後悔して立ち止まっている暇があるなら、明日に向けて学ぶだけだ。借りの哲学を心の片隅において、診断を重ねていくしかない。
 
 お世話になった大好きなそのひとに感謝を伝えたい、恩返しをしたい、という気持ちそのものは、自然なことだろうし、悪いことでもないだろう。でも、過剰な感謝の気持ちは、エゴの裏返しともいえる。どこかで評価や賞賛を待っているのかもしれない。だから誰かに何かをしてもらった借りは、そのひとに向かわない方が健全だ。それにたいがい恩返しをしたいと思ったときに、その人に直接返せることの方が少ない。それは、淋しく切ないことではあるけれど、残念を抱えつつも、今、わたしを必要としているひとに向かっていこう。しつこさを、過去に向かわせず未来へ。誰かへのおせっかいに昇華してみるといいのかもしれないな!どうでしょうか?しいたけさん。
 
借りの哲学

  • 小倉加奈子

    編集的先達:ナシーム・ニコラス・タレブ。病理医で、妻で、二児の母で、同居する親からみると娘、そして師範であり火元組。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべりな図鑑』シリーズの執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Labo」開発へ。おしゃべり病理医の編集的冒険に注目!