バーンスタインな日々 OTASIS

09/18(水)16:57
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 イシス編集学校には、師範や師範代たちがそれぞれ恋情を抱いてきた「編集的先達」を告白しあう文化がある。徹して多情多恋派である私は、3年前はオリエンタリズムの告発者にしてピアノ弾きでもあるエドワード・サイード、2年前はアナーキーな科学哲学者にしてオペラ歌手でもあるポール・ファイヤアーベントというふうに、告白の機会があるたびに違う人物をあげてきた。もしいまは誰かと聞かれれば、迷うことなくレナード・バーンスタインの名前をあげたい。

 

 バーンスタインといえば『ウェスト・サイド・ストーリー』の作曲者として、またマーラーの復権に多大な貢献をした指揮者として知られるが、私はたまたま、御年70になんなんとする老バーンスタインが若い音楽家たちに『春の祭典』を猛特訓するというドキュメンタリー映像を見たことがきっかけで、俄然このアメリカ生まれのカリスマ指揮者への興味が芽生えた。いよいよのクライマックスで、大きなお腹とお尻をゆさゆさと踊り揺らしながら、ダミ声で「さあ、みんなここからだ。全員で大地とセックスをするんだ!」とのたまって、ウブなオケ・メンバーたちの眼を白黒させるというような、めっぽう情熱的でヤンチャな指導ぶりがなんともチャーミングで痛快だった。

 

 おりしも昨年(2018年)はバーンスタイン生誕100年とあって、多少の記念企画や記念コンサートが巷で開催されるなか、CSのクラシックチャンネルでバーンスタインの構成・指揮による「ヤング・ピープルズ・コンサート」が全編放送された。これを観たことで、私のなかで「編集的先達」としてのバーンスタインの存在感がすっかり定着し、巨大化してしまったのである。

 「ヤング・ピープルズ・コンサート」は子どもたちにクラシック音楽の楽しみ方を伝えるというコンセプトで、1958年から1972年まで、なんと50回以上にわたってCBCテレビで放映された伝説的長寿番組である。バーンスタインはこの仕事のことを「我が生涯で最も誇りに思う」と語るほど心血を注いでいたらしい。自ら司会をつとめ、クラシックからジャズまでを自在に弾きこなすピアニストとしての腕前もたびたび披露していた。

 

 その第1回放送時のバーンスタインはまだ40歳そこそこの男盛り。会場のカーネギーホールを埋め尽くす少年少女(とその親たち)の前に颯爽と登場し、まずは躍動感あふれる「ウィリアム・テル」序曲を鮮やかに指揮し、くるりと振り返り、こう問いかける。「これが何の音楽かわかりますか」。子どもたちがすかさずわあわあと答えると、「カウボーイ? 騎兵隊? 正義の味方の音楽? うーん、ちがいます。この曲は正義なんかとは関係ありません」。バーンスタインはのっけから、子どもたちの無邪気さをピシリと牽制したのだ。そしてこう続けた。「そんなふうに音楽を物語のように考えるのはやめよう。音楽は物語なんかじゃない。音楽は音楽なんです。では音楽というものはいったい何を意味しているのか。これはとんでもない難問です。その答えを、これから一緒に探ってみましょう」。

 

 このバーンスタインの語りを聞いたとき、松岡正剛が「子どもたちに向けてもっとも難しいことを本気で問いかけるような本をつくってみたい」とつねづね言っていることを思い出した。その後も、古典から近現代までの音楽を自在に組み合わせ、音楽の構造や様式から作曲家たちの作品の特徴までを鮮やかにナビゲートするバーンスタインの手際を、欠かさず録画して見続けた。やはりバーンスタインは、子どもたちに向けて難しいことを難しいなりに、ただし全身全霊でその楽しみ方とともに伝えるということに徹しているようだった。これは松岡正剛が子どものためにやってみたかったことをうんと先取りしているのではないかと、ますます思うようになった。

 

 それで「ヤング・ピープルズ・コンサート」のこと、バーンスタインのことを松岡に話してみた。驚いたことに松岡も若かりし頃、この番組を夢中になって見ていたのだと言う。しかもその話しぶりを聴いていると、私以上にバーンスタインに心酔していたのではないかと思えるほどだった。「ぼくはあの番組から、クラシック音楽だけではなく、現代音楽のこともすべて教えてもらったんだよ」とも言っていた。あのような子どものためのトークライブを松岡正剛流でやる可能性についても水を向けてみたが、どういうわけか「だってバーンスタインとぼくじゃ違いすぎるよ。あんなにハンサムで、ピアノも弾けて、かっこよすぎるよ」とバーンスタインにメロメロになりながら、謙遜するばかりだった。

 

 ロングランの番組の終盤ごろには、バーンスタインの髪が白っぽくなり、お腹もいくぶんふっくらし、声もガラガラになって(若くして肺気腫を患うほどヘビースモーカーだった)、あの「春の祭典」の映像のころの姿かたちにどんどん近づいていくのだが、精力的な指揮と語りはもちろんのこと、衆人愛嬌としか言いようのない陽気なカリスマ性も年を重ねるにつれ、いや増しに増していくようだ。松岡のメロメロの謙遜には納得していない私だが、あのバーンスタインの衆人愛嬌は、確かに松岡がどんなに欲しがっても残念ながら及ばない、天下一品のものかもしれないと、こっそり思いつつある。


  • 太田香保

    編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。

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