45破ほんほんスピンオフ:岸政彦・柴崎友香『大阪』(河出書房新社)

2021/03/12(金)09:02
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 本との出会いほど予測のつかないことはない。

 

 読もう読もうと思っていても本屋や図書館の本棚に預けっぱなしの本がある。いつか引き出すつもりでいながら、その「いつ」がいつやって来るのかわからない。
 何年もダンボールに入れっぱなしや、床に積みっぱなしになっていたところ、近くの本を探したついでに手にとり、どうしてずっと寝かせていたのか不義理を詫びたくなったり、読むべきタイミングで発見したことを喜んだりする。

 

 本はいつも待つ側である。しかし、待つ方がつらいのか、待たせる方がつらいのか。どちらなのだろう。

 


 これは待たせるわけにいかないなと思う本がある。ひとから贈られたり知らせてもらった本が特にそうで、45破の一番が岸政彦・柴崎友香の共著『大阪』(河出書房新社)だった。
 破ボード(学匠、番匠、評匠、師範が集まる運営ラウンジ)で物語AT賞の講評について話し合っていた中で、北原ひでお師範から『大阪』を紹介された。タイトルは大阪ながら、「公務員か学校の教師になることが勝ち組とされている一方で、おばあちゃんなど年長者に可愛がられることも大事という沖縄という土地の悩みや哀しみ」にも触れているという。

 

 早速買って、読んだ。「文藝」の連載をもとに今年1月に出版されたばかり。岸さんの「私がやってきた街」と柴崎さんの「私がいなくなった街」についてのエッセイがクロスする。
 岸さんは昨年末の「100分 de 名著」でピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』を紹介した社会学者。最新の著書は小説『リリアン』(新潮社)。柴崎さんは2014年のISISフェスタ『小説家と物語を編集する夜学』に登壇。最新刊は『百年と一日』(筑摩書房)。

 

 読み進めるのが惜しい気持ちと、自分の地元のこと/大学から大阪で過ごした6年間/大阪を出てからのことをつい思い出してしまうから、エラく時間をかけた。読んで、よかった。

 

 

 宇宙でいちばん好きな場所は淀川の河川敷だと岸さんは言う。宇宙のことは何もしらないけれどと添えるのを忘れずに。大阪で最初に来た場所だから。
 岸さんは別の章で、大阪にいながらも、Googleマップのストリートビューで見知らない街の路地裏を散歩しつつ「ここで生まれてここで死ぬ人生もあっただろうか」と、別様の人生を思う。その街に、その街のだれかに強く憧れながら。

 

 柴崎さんは書く。大阪駅から阪急百貨店に渡る横断歩道で、「これだけ大勢いる人が、一人に一つずつ人生がある人たちが、誰も自分とは関係がなかった。わたしがここにいることを、わたし以外の一人も知らなかった。うれしかった」。夜も明るい街が「わたし」を助けてくれた、と。

 

 ふと思い返せば、イサク・ディネセンは『アフリカの日々』にこう書いていた。
 「目のさめている状態で夢にいちばん近いのは、誰も知人のいない大都会ですごす夜か、またはアフリカの夜である。そこにはやはり無限の自由がある。そこではさまざまのことがおこりつづけ、周囲でいくつもの運命がつくられ、まわりじゅうが活動していながら、しかも自分とはなんのかかわりもない。

 

 それぞれの自由はそれぞれに過酷と隣り合わせであったとしても。

 

 

 


 『大阪』を読んでいると、大阪弁で書いていない文章であっても、大阪弁のイントネーションが滲んでいる。読んでいてとても心地いい。

 

 多和田葉子さんの言葉を思いだす。
 「どうでもいいことをどうでもいい人としゃべっていると、なまりが消える。しかし、自分の頭で考えて真剣に何か言おうとすると、なまりが出る。自分の書いた詩や散文の朗読ともなると、なまりそのものがリズムの重要な構成要素にさえなる。

 

 わかりやすいなまりでなくとも、たまたま生まれ、育った街に暮らすうちに身についたなまりがある。
 その生きた言葉が、著者たちだけでなくて著者たちが出会った人びとを通し、ほかのどの街でもない、大阪を語るエッセイだった。

 

 


 

左:イサク・ディネセン、横山貞子訳『アフリカの日々』河出書房新社

右:多和田葉子『エクスフォニー』岩波現代文庫

 


  • 井田昌彦

    編集的先達:野呂邦暢。怒涛の「離」を涼しい顔で典離し、書かれていないお題までやってしまった世界知の具現者。イシス婚で授かった息子にはグーテンベルク博物館で英才教育。聞き取れなさではイシスで一二を争うウィスパー・ボイスの持ち主。