編集かあさん 食べてよいものだめなもの

2021/04/09(金)09:50
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「子どもにこそ編集を!」
イシス編集学校の宿願をともにする編集かあさん(たまにとうさん)たちが、
編集×子ども」「編集×子育て」を我が子を間近にした視点から語る。
子ども編集ワークの蔵出しから、子育てお悩みQ&Aまで。
子供たちの遊びを、海よりも広い心で受け止める方法の奮闘記。



 最近、我が家に買った覚えのないルンバが突如現れた。
その正体は生後11ヶ月の我が娘である。

 この娘、ハイハイで縦横無尽に動き回っては、床に落ちているものをなんでも拾って食べる。調理中に落ちた野菜くず、親のニットから落ちたと思われる綿ぼこり、乾いた米粒、なんでもだ。

 おそらくこの時期の赤ん坊はそんなもので、視力と運動能力と手指を使う力の発達を喜びつつ掃除に励めばよいことなのであろう。
 だが、ひとつどうしても納得がいかないことがある。
 あれほどなんでも拾って食べてしまうのに、皿に盛られた離乳食は決して手づかみ食べをしようとしないのだ。
 一応皿に手は入れる。
 でも軟飯をひたすら握りつぶし団子か餅のように変えるだけで、その手は口元に運ばれることはない。
 でも私が持つスプーンからひとたび米粒や人参のかけらがこぼれ落ちると、椅子から身を乗り出して拾って食べようとする。
 普通逆では…?とツッコミたくなるってものである。
 ハイハイする娘の行く手に皿を置いたり、いつも探っているバウンサーの下にせんべいを隠しておけば食べてくれるのだろうか。時々そんなことを思ったりもする。

 そもそも「フツウ」を私はいつ覚えたのだろうか。
 我々は子どもの頃に幾度となく食事を用意してもらい「食べ物とは皿に載って出てくるもの」と覚え、周りの大人の言い聞かせと学校での学びにより「足の裏はほこりや雑菌だらけで汚い」「不潔な環境におかれた食べ物を食べるとお腹を壊すこともある」と知る。
 こうして我々は食卓の皿に載った食品を「食事」であると認識し、床に直接放られたものはまったく同じ姿をしていても「ゴミ」と捉えるようになる。
 その積み重ねがない娘には、「皿のうえのもの」と「床のうえのもの」が異なる意味を纏っては見えないのであろう。つまり今私がスプーンを娘の口に運び、拾ったなにかを掴み食べようとする手をビーチフラッグよろしく止める繰り返しの日々が娘の「経験に基づく判断」を育てているということになる。娘の目にも「食卓の上の皿」こそが「食事」に見えてくるまで、気長にルンバの行く手を掃除し続けるしかないのであろう。

 しかし、そう考えるともう一つ疑問が浮かんでくる。
 「地にしているもの」の違いがわからないだけであれば、皿の上の食べ物も床に落ちた食べ物もどちらも同じ扱いになりそうなものだ。が、今の娘には床に落ちたもののほうがよりおいしそうに見えているらしい。
 拾い食いの魅力とは、いかなるものか。
 ひとつ私も娘の目線になって、ハイハイしながら床の米粒を拾って口に入れてみればわかるかしら。まだ小さくか弱い娘でさえ毎日ケロリとしているのだから、私もそう簡単にお腹を壊したりはしないだろう。それでもやっぱり出来そうにないことに気がついたとき、大人になるって時々つまらないな、と思うのだ。

 

 

  • 浦澤美穂

    編集的先達:増田こうすけ。メガネの奥の美少女。イシスの萌えっ娘ミポリン。マンガ、IT、マラソンが趣味。イシス婚で嫁いだ広島で、目下中国地方イシスネットワークをぷるるん計画中。

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コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。