この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

編集かあさん家では、松岡正剛千夜千冊エディションの新刊を、大人と子どもで「読前」している。
知ってると知らないのアイダ
新しい千夜千冊エディション『源氏と漱石』、9歳の長女にまず見せてみたいと思った。ごく小さいときから百人一首に巻き込み、ひな飾りなども欠かさず飾ってきた。
「今回のテーマは紫式部の源氏物語らしいよ」と渡してみる。
漱石のほうは知ってるのかなと思い、「もう一人のこの人は誰だかわかる?」と聞いてみる。
「知ってるよ。有名だから。<わがはいはねこである>の人でしょ。おかあさん、あれ、ぜんぶ読んだの?」と返ってきた。
『吾輩は猫である』は、なかなか通読できない本の筆頭で、何度か買っている。夏に講談社青い鳥文庫版を買ったが、今回もまた途中になっていたことを思い出した。
口絵(エディットギャラリー)を一緒に開いてみる。
「わ、アンドロイド漱石だ」と思ったが、長女からは「知らないおじさんが膝に何か載せてる」という反応が返ってきた。
表紙の絵はわかっても、アンドロイドのほうは漱石とは思えなかったらしい。
表紙の漱石
エディットギャラリーの漱石アンドロイド
長男に聞くと「わかる」。「でも、この漱石、若すぎるんじゃない? あと、立体的だとだいぶ印象が変わる。昔の人って白黒写真のイメージがあるから」と、長女がわからなかった理由を推測した。
わからないけど読む
長女に「読めるかな、どこでも好きなところ見てよ」というと、最初のほうをぱっと開いて、少し黙読した。それから「少し遅めですが、あけましておめでとうございます」と音読し、「なんか、おもしろい。これって、なんなん?」と質問を口にした
もともとネットで、一月に書かれた文章なんだよというと、「へえ~」と感心する。
「いろごのみ」と「もののあはれ」に……とリード文も音読しかけ、「変じる」が読めなくて、「へんじる」だ教えると「そうなんだ」といって私に本を返し、どこかへ行ってしまった。
千夜千冊1569夜(2015年1月13日)
9歳、わかりそうでわからない文章は音読するクセが残っている
子どもが大きくなってきて、編集かあさんが一番おもしろく感じているのが、学校の図書室での本の借り方である。
長女は、表紙がマンガっぽければなんでも借りてくる。
図書室にはたまたま、「学研まんが 日本の古典」が揃っていた。物語の主なシーンがマンガになっていて、概要説明のテキストがついている。長編はダイジェストにし、手に取りやすい1冊ものに編集されているシリーズである。
最初に借りてきたのが竹取物語。それから、枕草子、源氏物語などの表紙が「お姫様」なものに加えて、東海道四谷怪談、徒然草や平家物語にいたるまで、順番にぜんぶ借りてきた。
学研まんが 日本の古典
『まんがで読む源氏物語』
枕と源氏
枕草子と源氏物語では、先に枕草子を借りてきた。
最初、物語ではないというところに戸惑ったが、清少納言が「定子様」を慕っていて、お仕えしていた毎日のなかで「ハッとしたこと」を文章にして集めたようなものだと説明すると、おもしろく読み終えられたようだった。
源氏物語は人気でなかなか借りられなかったらしい。やっと借りてきた日、さっそく寝転んで読んでいたが、「どう?」と聞いてみると「よくわからなかった」という。
光源氏が主人公であるというのはなんとなくつかめた。けれどその他のキャラクターや関係がつかみにくい。「六条御息所」などキャラクターの名前が頭に入ってこない。
六条御息所が葵上を苦しめ、調伏されるシーンでは「なぜ離れてるのにお香の匂いが着物についたの?」という質問が飛んできた。
「”生霊”の特徴かなあ」といろいろしゃべる。
子どもたちと共読していると、普段はついそのままにしてしまう問いに、にぎやかにむきあうことになる。
誰かが読んでいる本
源氏物語といえば、子どもたちにとっては「お父さんが読んでる本」でもある。2年かけてちょうど半分の5巻まで読み終わったらしい。今は、毎日鞄に6巻を入れて家を出ている。
読み始める前、全10巻をまとめ買いするべきか迷っていたが、置いておいたらいつか子どもたちも読むかもしれないというのが決め手になったらしい。
原文とシンプルな現代語訳が併記されているスタイルで、こういうのを求めていた、買ってよかったという。勢いで、同じ編者による『源氏物語画帳』も古書サイトで見つけて買う。自分以外の家族も読むかもしれないと思うと、少し値の張る本やかさばる本でも購入のハードルが下がる。
朝、この記事のために本を並べてアイキャッチ写真を撮っていると、登校前の長女が、「えっ源氏物語ってこんなに長いの?」と驚いた。
「もしかして学校で借りたマンガは、一部だけ抜き出してあったの?」
そうだよというと、書くのもたいへんだっただろうな~と紫式部に想いをはせ始めた。
何年もかけて、完成するまでコツコツ書いたのかなと言うので、大人気だったから書けたぶんから周りが読んだんじゃないかなと言うと、「マンガの連載っぽい!」と言いながら学校に出かけていった。
info
千夜千冊エディション27『源氏と漱石』松岡正剛著,角川ソフィア文庫
『正訳 源氏物語 本文対照 全十冊セット』中野幸一訳、勉誠出版
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。