[週刊花目付#013]「エッジ」に立つ

2021/05/25(火)18:13
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週刊花目付

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■2021.05.17(月)

 

 花伝所名物「花Q林」がはじまった。花林頭の先鋒には吉井優子錬成師範が立って、しなやかでキレのある編集問答を先導している。

 

 問答に遊びながらも迷いなく編集のキワへとボレーを落とすカリントウのもてなしとふるまいは、入伝生にとって絶好の参照模型となるだろう。是非ともリバースエンジニアリングしていただきたい。

 

 ちなみに、吉井の投じた編集公案(*)は「魚の目は、何を見ている?」だ。
 虫の目がミクロに焦点し、鳥の目がマクロを俯瞰するのなら、魚の目はいったい泳ぎながら何を捉えているのだろう。動的な場で状況把握する際の着眼作法が、公案の題意だった。

 

*公案:

禅の修行では、師から放たれた「問」に弟子が即答する。これがいわゆる禅問答で、そのときの問いを公案という。公案は、俄かには題意を掴めないものも多く、正解があるのかさえもわからない。

 


■2021.05.18(火)

 

 やってきた情報を受け取る際に、人は無意識のうちに、その情報を自分なりに受け取りやすい状態へ加工する。

 たいていの場合、情報をかいつまんだり折り畳んだりして小さくするか、或いは反対に情報の枝葉を広げて掴み所を仮設増設するかのいずれかだろう。前者は要約、後者は連想だ。

 

 この連想と要約を、演習のなかで混同する入伝生を散見する。
 まぁたしかに、自分のアタマの中で連想したことを相手に伝えるときには話を要約するし、相手の話を要約しようとすれば自分の中で何らかの連想が働く。連想と要約は補完しあっているから、両者を截然と分別する必要はないのかも知れない。

 

 では、分ける必要もないし分けることもできない情報が目の前にあるとして、そこへ差し掛かった「わたし」には何が起きるだろう?

 

 おそらく私たちには、意図よりも先に走るサブシステムがある。それを「察知」と呼んでもよいだろう。
 察知には、当然ながら自分自身の情報感度や志向性が関与しているが、それだけではなく相手からのアフォーダンスも受けている。自分ではない他者や異者や別者と、ある日ある時遭遇するから察知が起こるのだ。

 そう考えると、連想も要約も、自他が遭遇する際に相手から受けるアフォーダンスであり、察知を先導する作用なのだろう。

 

大事なことは、われわれがわれわれ自身の「理解の秘密」に気がつき、「知」や「分」(「自分」や「分際」の分)の編集性に気がつくことなのである。

千夜千冊0535夜『人はなぜ話すのか』

 


■2021.05.19(水)

 

 35[花]の編集術ラボに4道場の番録が並んだ。錬成師範による編集が尽くされている

 

 花伝所は自学自習を旨とするから、一々の演習に指導はつかない。けれど、入伝生を放置放任しているわけではない。そこには隠然とした見守り力が蠢いている。

 心置きなく編集に遊ぶための仕掛けや仕組み、とことんの冒険に挑めるシステムやサポートには、まだまだ開発の余地がある。

 


■2021.05.20(木)

 

 ヨガに「エッジ」(*)という考え方がある。クリパルヨガの実践者マイケル・リーが提唱した概念で、アメリカのヨガ界では重要なメソッドとなって流布している。

 字義通りに解釈すれば、肉体的にも心理的にもギリギリの切羽詰まったキワでポーズ(アーサナ)を保つ意なのだが、その意図は苦行を求めるものではない。

 無理矢理に限界へ挑めば苦痛ばかりに苛まれるし、安楽さに留まるばかりでは成果も成就も見込めない。キツ過ぎず、ユル過ぎもしない健全な限界点に立ってこそ、可能性を最大限に開くチャンスが見出せるのだ。
 

 身体作法におけるエッジの教えは、編集工学における測度感覚(メトリック)のテーマへ接続できるだろう。注意深く我が身を観照すれば、日常での思考や行動のパターン、学習の取り組み方など、アタマとカラダの相似率が見てとれる。
 私自身は、何事も自分を過度に追い込んで強い達成感を求める傾向にあるので、ヨガでもシゴトでも、コイでもシュミでも、ついついエッジを攻め過ぎて辛い思いをすることが多い。そして、辛い思いをする割にコスト対効果が見込めず焦燥ばかりが増大する。つまり、どうにも何かのホドが悪い。

 

a) 全力、死力、総力
b) 全身全霊、一心不乱、無我夢中

 

 a)とb)2つの語群によって示される様相には、何か根本的な違いがあるように思う。a)群にはどこか消耗感がつきまとうが、b)群には込み上げる高揚感が漲っている。
 さて、「生き生きしている」のはどちらの状態だろう? 編集的なフィードバックが働いている様子を表すのはどちらの語群だろう?

 

エッジ

物事が本当に始まるのは、伸ばし過ぎず、緩め過ぎないところ、つまり、エッジでポーズを保つ方法を知ったときだ。
エッジから引き下がれば退屈で衰退する。行き過ぎればケガをする。

自分のエッジを見つけない限り、成長も、学びも、変化もない。

(マイケル・リー『クリパルヨガ:ヨガの実践と人生へのガイド』より)


 ところで、何故エッジの話を持ち出したかと言えば、今朝の出来事である。女神のポーズをホールドしていたところ、湧き上がるエッジ体験を得たのだ。
 必死さをほんの少しだけ手放したら、ふと体の内側に「空間」が生じたように感じた。その空隙を、自分の知らないどこか奥底から現れた熱いモノが満たしていった。
 不思議な体験だった。凹が凸を呼んだのかも知れない。自分の中の非自己がもたらすアフォーダンスが、自己の自立を誘ったのだ。

 

 「わたし」という存在は、外なる未知と内なる未知との間にあって、まるで素粒子のふるまいのように、確率的にこの場でゆらいでいる

 


■2021.5.22(土)

 

 エンゼルスの17番に、この2試合ほどヒットが無い。春先から休みなく全力プレーを続けているので、さすがに疲れが溜まっているのだろう。

 

 とはいえ成長途上ならいざ知らず、いよいよ全盛期へ差し掛かる希代の二刀流へのコーチングは難しい。
 かつてファイターズ所属時代は栗山英樹監督が適度な休養を与えるマネージメントを企図していたが、現監督ジョー・マドンは出場可否を若きマイティ・ユニコーンの自己判断に委ねて見守っている。
 マドンの態度はコーチングの放棄ではない。名将は迸る天才に「エッジのホドは自分で測りなさい」と課題を与えているのだ。

 

 キツ過ぎず、ユル過ぎず、最大限に可能性が開かれるところ。その測度感覚の絶妙は、エッジに立つ者にしか発見できない。

 

 

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  • 深谷もと佳

    編集的先達:最相葉月。自作物語で朗読ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて、人情に厚い。趣味は筋トレ。編集工学を体現する世界唯一の美容師。

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