デザインは「主・客・場」のインタースコア。エディストな美容師がヘアデザインの現場で雑読乱考する編集問答録。
髪棚の三冊vol.4 見知らぬものと出会う
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『見知らぬものと出会う』(木村大治、東京大学出版会)2018年
『機械カニバリズム』(久保明教、講談社選書メチエ)2018年
『〈弱いロボット〉の思考』(岡田美智男、講談社現代新書)2017年
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■世界は一つより多く、複数より少ない
何であれモノゴトについての価値観や見解が異なる者どうしが関わり合う場面では、そのモノゴトについての認識の相違をあげつらうべきではない。
たとえば霊感の強い友人に接するとき、私たちは霊が見えるかどうかはさておき、霊が存在する世界を彼/彼女が生きていることを受容している。
ここで重要なことは、霊の存在の真偽ではなく、そもそもこの世界に何が存在するのかという世界観である。私の環世界に存在するものが、同じように他者の環世界にも存在する訳ではないのだ。
私たちが生きている世界は一つではない。かといって、各々がそれぞれ全く異なる世界を生きているわけでもない。そしてまた、世界の全体像を俯瞰して観察することは誰にもできない。
世界のこうした様相を、人類学者のマリリン・ストラザーンは「世界は一つよりは多く、複数よりは少ない」と評している。この世界は、この世界について異なる見解をもつ者同士が、統一的な基準のないまま関わり合い、共存しながら部分的に繋がっているのだ。(『機械カニバリズム』久保明教/講談社選書メチエ)
◆バスケットボールでは、片方の足を床から離さず、もう片方の足を自由に動かしてパスの方向を探す。この動かさない足をピボットフット、動かす足をフリーフットと呼ぶ。◆人が想像の翼を広げるときにも、何らかのピボットを経由して既知と未知とが橋渡しされている。◆またこのことは、新しい冒険はピボットからしか出発できないことを示している。
他者や異者と接続する、あるいは語り難いものについて語るとき、私たちは不可知の「壁」に支持点(ピボット)となるような「窓」を仮設する。そして、その窓越しにムコウを覗くようにして、既知からの視線の延長線上に未知を想像する。
つまり、未知へのアクセスには、ピボットの置かれ方が大きく影響するばかりでなく、既存の知識や経験による投射を避けることができないのだ。
価値や文化の多様とは、独立したフィルターバブルの集合ではなく、ユニークネスが多重に連鎖する曼陀羅と見るべきなのである。そして、ハイゼンベルクが不確定性原理で示したように、世界を記述しようとする者は世界に参加することから逃れらない。
[髪棚の三冊vol.4]見知らぬものと出会う
1) 想像できないことを想像する
2)世界は一つより多く、複数より少ない
3)美意識は怖がらない
4)「0.5人称の私」とN次創作
深谷もと佳
編集的先達:最相葉月。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて、人情に厚い。趣味は筋トレ。編集工学を体現する世界唯一の美容師。
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