[髪棚の三冊vol.4-4]見知らぬものと出会う■「0.5人称の私」とN次創作

2020/04/05(日)09:10
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髪棚の三冊vol.4「見知らぬものと出会う」
デザインは「主・客・場」のインタースコア。エディストな美容師がヘアデザインの現場で雑読乱考する編集問答録。
 
髪棚の三冊vol.4 見知らぬものと出会う
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『見知らぬものと出会う』(木村大治、東京大学出版会)2018年
『機械カニバリズム』(久保明教、講談社選書メチエ)2018年
『〈弱いロボット〉の思考』(岡田美智男、講談社現代新書)2017年
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■「0.5人称の私」とN次創作
 

 この世界のなかで否応なく他者と共存している私たちは、誰一人として独立した傍観者になることは許されていない。
 このことは、他者の視点を通じて自らを構成しなければオリジナリティを確立できないことを意味している(『機械カニバリズム』久保明教/講談社選書メチエ)。

 

 たとえばネットコミュニティにおける発話は、書き手である「私」の意図とは異なる複数の文脈へと流出していく。このとき、ネットワーク上へ拡散された「私」は、より多くの読み手と接続されるチャンスを得ることと引き換えに、書き手でありながらどのように「私」を受容してもらいたいかを制御する権限を失う。
 断片化された「私」の存在は、非自律的であるからこそ他者との接続可能性を増大させ、タグとして可視化されることで無数の文脈を横断し得るのである。
 このようにネットワーク上へ積極的に主体性を置く創作様式は「N次創作」と呼ばれる。作家たる「私」は、自律的で完結した自己を主張するのではなく、他者との新たな繋がりを発生させる力によって存在を評価されるのだ。
 いわば、ネット上で発信する「私」とは「0.5人称の私」であり、未知の他者に受容されることによって「一人称の私」が発掘されて行く。

 

 こうした多層多重な相互編集は、現代のITテクノロジーによって今あらためて可視化されているのだが、そもそも私たちのコミュニケーションはN次の相互行為そのものなのである。
 相互関係を構築するための第一歩は、自らの状況を相手から参照可能な状態に表示しておくことである。そして、相手から向けられる視線に自らの視線を重ねながら、互いに互いの気持ちを探り合う。
 私たちの日常的な会話をみても、はじめに言葉を繰り出そうとした瞬間には、まだそこで伝えたいメッセージは完成されていないことがほとんどだろう。とりあえず言葉を繰り出すなかで、その意味や価値がおぼろげに見えてくるのだ。相互編集は、互いに行為を繰り出すことによって進展するのである。

 

相互行為から生きた「意味」を生み出すには、自分の不完全さや不完結さの一部を相手に委ね、一緒に意味や価値を生み出すというオープンなスタンスが必要なのだ。(『〈弱いロボット〉の思考』岡田美智男/講談社現代新書)

 

 こうした相互行為論は、COVID-19のような差し迫った領土侵犯に対して有効な視点をもたらすことはないかも知れない。けれど、不足や欠落といった〈弱さ〉こそが自他の彼岸を橋渡しするのだとしたら、そこには私たちを一歩先の未来へ導くような編集可能性を見出せるのではないだろうか。

 

 現代社会に暮らす私たちは、何であれ利便性を志向したデザインやサービスに満たされている。それらは疲れることを知らず、怖がることもなく、黙々と働くことを期待され、私たちはその利便性とのトレードオフとして、恩恵を「提供する者」とそれを「消費する者」という非対称な関係が社会に溢れることを甘受している。
 その一方で、機能を削ぎ落としたチープなデザインが、むしろ人と機械のリッチな関係性を引き出してしまうことは刮目すべき行為方略と言えるだろう。自らの〈弱さ〉を積極的に受容するデザインは、周囲の参加や解釈を引き出す「余白」の編集なのである。

 

 いま自分はどんな状態にあって、どこへ進もうとしているのか。「私」という情報は、一人きりでは意味や価値を開いていくことができない。
 私たちは、「他者」との関わりを手がかりに自分の存在の質や意味を探り、自らの不完全さや不完結さを克服して行くべきなのだろう。

 

自分ではゴミを拾えない〈ゴミ箱ロボット〉

(岡田美智男/豊橋技術科学大学)

 

◆岡田美智男の開発する〈弱いロボット〉は、不完全だけれど、なんだかかわいい。周囲の者が思わず手助けしてしまう他力本願な方略なのである。◆〈ゴミ箱ロボット〉は、ランドリーバスケットにホイールとセンサーが取り付けられており、よたよたと歩いたりペコリとお辞儀をしたりはするが、自らゴミを拾う機能はない。◆不完全なロボットのたどたどしく貧弱なデザインは、私たちの手助けを引き出したり、相互行為を誘発する「余地」を残している。

 

 

[髪棚の三冊vol.4]見知らぬものと出会う
1) 想像できないことを想像する
2)世界は一つより多く、複数より少ない
3)美意識は怖がらない
4)「0.5人称の私」とN次創作

  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025