境踏シアター第二回:記憶と幼な心──ボードレールの小さな旅(2)

2022/06/20(月)08:00
img

二 「群衆浴」

 

 『悪の華』には、その気になって読めば、同様のテーマを扱った詩句がいくつも見つかる。しかし、ボードレールが暗黙の「たくさんの私」を感じつづけた詩人だということは、特に人々の興味を惹いてはこなかった。これにはいろいろな理由が考えられるが、人々の関心は、ボードレールの外側にいる群衆にばかり引き寄せられ、彼と「内なる」群衆のことには、あまり注意が向けられなかったということもあるだろう。

 

 実際、ボードレールが「群衆浴」という一風変わった趣味をもち、それを殊の外好んだ詩人であることはよく知られている。そのことは散文詩集『パリの憂鬱』に収められた「群衆」と題される詩を読めば一目瞭然である。その冒頭で、ボードレールは次のように宣言している。「群衆に沐浴するというのは、誰にでもできる業ではない。群衆を楽しむことは一つの術(アール)である」。ここで群衆に沐浴するとは、思うがままに回りに蠢く人物たちの内側に入りこみ、その人物になりきってみるといったことを指すのだろう。少し先のところで、ボードレールは次のように書いている。

 

 詩人は、思いのままに自分自身でもあり他者でもあることができるという、この比類のない特権を享けている。一個の身体を求めてさまようあれらの霊魂たちと同じように、詩人は欲する時に、どんな人物の中へでも入ってゆく。彼にとってだけは、すべてが空席なのだ。そして、ある種の場所が彼に閉ざされているように見えるとすれば、彼の目から見て訪れるに値しないものであるからだ。

 

 ところで卓越したボードレール論をものしたベンヤミンは、「群衆」がすぐれて近代都市パリを象徴する表象であることを指摘している。たしかに写真や図版を見ても、19世紀中葉のパリが、いたるところ過剰なまでに人で埋め尽くされた都市であったことがうかがえる。あまりに急速な人口増加により、パリは瞬く間に膨張していった。周囲の町や村を吸収しながら16区から20区にまで押し拡げられていったのである。


 ただしベンヤミンが指摘したとおり、この時代パリに現れた「群衆」とは、単なる数の上での変化を意味するだけのものではなかった。それは史上初めてと言ってよい、見知らぬ者ばかりが集う都市の出現であり、素性を知らぬ匿名の者と隣り合わせに暮らすことが日常となってしまった都市生活の開始であった。

 

 ボードレールは、こうした不特定多数で匿名の群衆のあいだを遊歩しながら、生来の(!)変装と仮面の趣味を充たしていく。彼は、未知の人間の内部に入りこみ、空想のなかでその人に成り代わり、しかじかの出来事や物語を味わうことができたのである。もっともこうした群衆浴は、必ずしも外向的で開放的なものとは限らない。それは、「窓」と題される別の詩の一節からもうかがえる。

 

 開いている窓を通して外から見るものは、決して、閉ざされた窓を見る者ほどに多くを見はしない。一本の蝋燭に照らされた窓にもまして、深みがあり、不可思議で、豊饒で、暗黒で、眩いものはまたとない。陽光の下で見ることのできるものは、常に、一枚の窓ガラスの後ろに起こることよりも興味にとぼしい。この暗い、あるいは明るい穴の中に、生命(いのち)が生き、生命が夢み、生命が悩んでいるのだ。

 

 こうなってくると、自分の外側にいる人間と合一しているのか、自分の内側の群衆たちを再活性化しているのか、はっきりとは見分けがつかなくなってくるだろう。外部と内部、他者と自己、現実と非現実の壁は取り払われ、ただ濃密な「擬き」の世界だけが躍如していくことだろう。

 

 いずれにせよ、こうしたボードレールの群衆嗜好は、『悪の華』の最も新しいパートである「パリ情景」に収められた諸詩編や、死後刊行の『パリの憂鬱』所収の散文詩群に夥しくその成果を見出すことができるだろう。ユゴーをして「あなたは新しい戦慄を創造する」と言わしめた「七人の老人」や「小さな老婆たち」はその最たるものと言っていい。あるいは「白鳥」におけるあの絶唱(「ああ、都市の姿は変わる!人の心よりも早く!」)なども、急激に変化する第二帝政下のパリを、するどく活写したスナップショットと言えるだろう

 

 しかし群衆への沐浴だけがボードレールの凄さではない。彼の才能の計り知れなさは、こうした外なる群衆だけでなく、内なる群衆の探求においても、前人未踏と言ってよい深度を保ちつづけたことにある。ボードレールは外でも内でも群衆と共に棲まい、その孤独な王として君臨しつづけた詩人なのである。

 

【出典】

『ボードレール全集IV』阿部良雄訳、筑摩書房、1987年。

『ボードレール全集Ⅰ』阿部良雄訳、筑摩書房、1983年。

 

【トップ画像】

19世紀中葉のパリは、爆発的な人口増大を経験する。急速な鉄道網の発達により、続々と地方から押し寄せる異邦人の群れ。「群衆」は新しい時代の象徴であり戯画でもあった。画像はモンマルトル大通りにあったカフェの賑わいを描いた挿画。この頃のパリは街灯も整備され、はじめて夜間に屋外で遊興を楽しむことができるようにもなっていた(境)

 

【境踏シアター バックナンバー】

■ごあいさつ

■第一回(1)ほんとうの時間

■第一回(2)ほんとうの時間

■第一回(3)ほんとうの時間

■第二回(1)記憶の扉

■第二回(2)「群衆浴」


  • 田母神顯二郎

    編集的先達:ヴァルター・ベンヤミン。アンリ・ミショー研究を専門とする仏文学の大学教授にして、[離]の境踏方師。ふくしまでのメディア制作やイベント、世界読書奥義伝の火元組方師として、編集的世界観の奥の道を照らし続けている。