三 パリンプセストス
その生涯の短さにもかかわらず、ボードレールには実に多くの称号(タイトル)が後世から贈られている。いわく、近代詩の父、いわく、散文詩の確立者、いわく、象徴派の先駆け、いわく、近代美術評論の父、いわく、エドガー・アラン・ポーのフランスへの紹介者にして比類ない翻訳者。彼の46年の人生が、いかに濃密なものであったかがこのことによっても分かるだろう。
ところで、そうした数々の「勲章」のなかでも、ひときわ異彩を放つものがある。それは「麻薬文学」のいまだに乗り越えがたい金字塔を打ち立てた詩人、というものだ。その金字塔にあたるのが『人工天国』であることは、言うまでもないだろう。
トマス・ド・クインシーという先達に導かれたボードレールは、大麻(アシッシュ)や阿片が惹き起こす様々な陶酔の境を経めぐりながら、同時に精神の深淵を深々と探索していく。といっても、そこに繰りひろげられるのは、鬼面人を脅すような、異常世界の描写ではない。仮に通常を超えた精神状態が描かれるとしても、そこに狂気を感じさせるものは少なく、むしろ冷静な分析力と計算された詩的効果の融合が読者を印象づける。この書を読むものは、この上ない「正気」の世界を、のぞき見ることになるのだ。
そうした『人工天国』のなかで、記憶のメカニスムについてひときわインパクトの強い考察がなされている箇所がある。ここでボードレールは、人間の脳髄に保存された夥しい記憶について次のように書いているのである。
「人間の脳髄とは何であろうか、巨大な自然の羊皮紙(パリンプセストス)でないとしたなら? 私の脳髄は一枚の羊皮紙であり、あなたの脳髄もまたそうなのだ、読者よ。観念や、影像(イマージュ)や、感情の、数え切れないほどの層が次々に、光と同じほどやわらかに、あなたの脳髄の上に降りつもったのだ。おのおのの層が先立つ層を埋めてしまうように思われた。だが、いかなる層も実際には滅びはしなかったのだ。」(・・・)死においては、また一般に阿片によって創り出された強烈な興奮にあっては、記憶の涯しもなく大きくて複雑な羊皮紙のすべてが、一挙に繰りひろげられる。われわれが忘却と呼ぶところのものの中で、摩訶不思議な防腐処置をほどこされて眠る、死んだ感情たちが積み重ねられて出来たその階層のすべてとともに。
ここで羊皮紙(パーチメント、ヴェラム)とは、中世のヨーロッパで使われた羊の皮を加工してできた紙、というより紙がない時代に用いられた薄く引き延ばされた皮そのもののことである。修道院ではこの羊皮紙を使い、中世以来、数々の写本が製作されていった。ところでこの羊皮紙は高価であるため、不要となった写本があると、それを解体し薬品を塗ったり表面を削ったりして文字を消し、裁断し向きを変えたあとで再利用されていた。
しかし羊皮紙にはひとつの不思議な特徴があった。ひとたび書かれた文字は、表面的には消えてしまったように見えても、特殊な薬品を用いることで復元することができたのである。この見かけだけまっさらになった、しかし過去に書かれたものの何ひとつ失われてはいない状態の羊皮紙を、とくに古代ギリシャ語ではパリンプセストスと呼んでいた。フランス語ではパランプセストである。先の引用で言及されていたのは、こうした羊皮紙の神秘的な特性であるが、ボードレールは『阿片吸引者の告白』を書いたド・クインシーにならい、脳髄を幾層にも重ねられたパリンプセストスに見立てたのである。
こうした見立ては、シナプス接続やニューラル・ネットワークを基本モデルとする現代の脳科学(神経科学)から見れば、いささか素朴すぎるものと言えるだろう。少なくとも、「羊皮紙モデル」に依拠して、すべての事柄の記憶がそのままの形で脳内に自動的に保存されているという考えには、幾つもの難点を指摘することができるだろう。そもそも私たちは、刺激情報を編集加工することによってはじめて「知覚」を作っているのだし、それはさらに他の要素と結びつけられることによってはじめて長期記憶となるのである。
とはいえ、ふつう想っているよりはるかに多くの記憶を私たちが抱えもっているということに変わりはない。リタ・カーターによれば、脳内には何十億というニューロンがあり、それらが百兆通りの接合関係を形成し、そのひとつずつが何らかの記憶となっている可能性があるという。だとすれば、私たちひとりひとりの記憶は宇宙よりもはるかに無限であり、意識や意志的記憶というものは、「穴だらけ」ということにもなるだろう。
一方、記憶は一箇所ではなく、種類に応じ脳の様々な部位に分かれて保存されている、というのが現代の脳科学の有力な仮説であるが、特に海馬に保存されるようになった長期記憶は、すでに触れたように、時間や場所、音や光景、味や匂い、そして感情といった様々な要素からなる包括的でエピソード的な記憶となるという特徴をもっている。こうなると、音楽や匂いをトリガーとして、ある時代、ある場所で起きた記憶全体が一挙に甦ってくるということも起こりうる。そしてボードレール的世界を構成する「万物照応」や「共感覚」とはまさにこうした現象に支えられたものだと考えることもできるだろう。これらは今日、マドレーヌで有名な『失われた時を求めて』の作者の名をとって、「プルースト効果」などと呼ばてもいるが、それはプルーストがネルヴァルやボードレールから受け継ぎ、発展させたものだということも知っておくと好いだろう。
このように考えてくれば、「羊皮紙モデル」もあながち荒唐無稽なものとは言えなくなってくる。少なくとも、無意識的記憶の無尽蔵さ、その高度なハイパーリンク性といった点で、ボードレール的羊皮紙は、脳と記憶の巧みな比喩と見なせるのではないだろうか。むしろ脳科学の仮説が、科学特有の傲慢さで、すべての記憶を等質かつ均一に扱おうとしがちなのに対し、特異性をもった比喩による唯一無二の記憶の表現の方が、よほど私たちの胸には突き刺さる。ボードレールは、そうしたひとつひとつの、取り替え不能な記憶の表現にかけては、他の追随を許さぬ詩人である。彼の詩を読むとは、記憶の「このもの性」thisnessを味わうことと等しいことになる。「憂鬱」と明らかな近縁性をもつ「香水壜」という詩で、ボードレールは個人的記憶を次のように描写している。
(・・・)人の住まなくなった家で、長い時を経た、
埃っぽく陰気で、えぐい匂いに満ちたある箪笥を開けるとき
昔を覚えている古い小瓶がときに見つかり、
蘇った魂が生き生きと迸りでるのだ
無数の思考が眠っていた、不吉な蛹、
ゆっくりと重い暗闇のなかで身を震わせ
羽を広げると飛び立っていく
青く染められ、バラ色の釉(うわぐすり)をかけられ、金色の縁取りを施され
これこそかき乱れた空気のなかを飛びまわる
心を酔わせる記憶。(・・・)
これほど濃厚なことをこれほどフラジャイルに語れる詩人は、後にも先にも、ボードレールしかいないのではないだろうか。これと比べれば、脳科学が解き明かす記憶のメカニズムは、表面的でどうでもいいことのようにさえ思えてくる。真に個人的な記憶とは、蛹から成虫へのメタモルフォーズにも似た、蠱惑的な生成を秘めたものなのである。
【出典】
『ボードレール全集Ⅴ』阿部良雄訳、筑摩書房、1989年。
『ボードレール全集Ⅰ』阿部良雄訳、筑摩書房、1983年。
リタ・カーター『ビジュアル版 脳と心の地形図:思考・感情・意識の深淵に向かって』、原書房、2000年。
リタ・カーター『ビジュアル版 脳と意識の地形図:脳と心の地形図2』、原書房、2003年。
ジョゼフ・ルドゥー『シナプスが人格をつくる』、森憲作監修、谷垣暁美訳、みすず書房、2004年。
【トップ画像】
パリンプセストス(希)、パリンプセスト(英)、パランプセスト(仏)などの名で呼ばれているのは、書字の記憶を多層に重ね保存している羊皮紙のことである。一度心に刻まれた記憶は完全に消えることはない、ということの比喩としても使われる。ボードレール、プルースト、ベルクソンなど、このことをかなり信じていたものはフランスでは意外と多い。しかし真に大切な記憶を取り戻すためには意志は無
力で、「匂い」などを媒介とした無意志的想起に拠らねばならないとした点で、ボードレールが一歩抜けだし、ついでプルーストがそれを崇高な思想の域にまで高めていった。画像は9世紀頃のパリンセプスト(羊皮紙)。それ以前に書かれたシリア語によるギリシャ語テキストの翻訳が判読できる。ちなみに当時のシリアは古代ギリシャとアラブ世界を結ぶ、重要な文化拠点であった(境、画像はBritish Library Blogsより)
【境踏シアター バックナンバー】
■第二回(3)パリンプセストス
田母神顯二郎
編集的先達:ヴァルター・ベンヤミン。アンリ・ミショー研究を専門とする仏文学の大学教授にして、[離]の境踏方師。ふくしまでのメディア制作やイベント、世界読書奥義伝の火元組方師として、編集的世界観の奥の道を照らし続けている。
境踏シアター第二回:記憶と幼な心──ボードレールの小さな旅(4)
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境踏シアター第二回:記憶と幼な心──ボードレールの小さな旅(1)
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