おしゃべり病理医 編集ノート - コロナウイルスショックから学ぶ「共生」

03/22(日)09:32
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 コロナウイルス一色である。有事にこそ、普段の病院機能が問われる。しかしよくよく考えると、患者さんと家族は、病気という一大有事に遭遇した不安を抱えて病院にやってくるわけだから、病院は、あらゆる有事で成り立っている場なのだ。そのことを医療スタッフが日頃からどれだけ認識して診療に向かっているか、ということがこういう時に試されるのだと思う。
 
 松岡校長は病院に限らず社会のあらゆる場において、平時の細部に有事がつねにあるとみるべきだ、と諭す。たしかに自分の健康も会社の経営も夫婦関係も子育ても、つねにヒアリ・ハットという名の小さな有事があちこちに潜んでいて大事になる可能性を秘めているし、それをいかに察知していくかということも編集である。今わたしたちは、コロナウイルスに編集力を試されているのかもしれない。
 
 ウイルス自身の編集力はどうなのだろう。ウイルスは、非生物と生物の特徴をあわせもっているとよくいわれる。自己増殖をする点は、生物に類似しているが、増殖するには宿主となる細胞を利用しなければならない。自分だけでは、エネルギーを産生したり、タンパク質を合成することができないのである。その点、校長がいうように「借りのもの」「ハンパもの」なのである。
 
 ウイルスには、遺伝情報を二本鎖で持っているDNAウイルスと、一本鎖のRNAウイルスがある。一本鎖の方が不安定だ。複製の際に変異が起きても修復機構を持たないためにすぐに変異してしまうのである。変異すると抗原性が変わり、抗体を持たないヒトに感染しやすくなり、パンデミックをおこしやすい。コロナもインフルエンザもRNAウイルスである。変異のしやすさを長所と捉えると、環境に適応しやすいという利点があり、変わり身の速さによって生き残りをかけてきたといえる。編集は不足から生まれる、弱さは強さであるということ。フラジャイルな性質が生存に優位に働いている。
 
 気道の分泌物に絡め取られることなく、邪魔な線毛の間をかいくぐり、首尾よく、宿主の粘膜の細胞表面に着地できると、ウイルスは、エンドサイト―シスという宿主細胞の取り込み作用を利用して、細胞の中に侵入する。DNAウイルスは、宿主の核の中に入り、RNAウイルスは、細胞質の中で、自分の遺伝情報と身体の構成成分となるタンパク質を、宿主の持っている材料やしくみを利用して創り出す。細胞の中でたくさん増えたウイルスたちは、新しい増殖の場を求めて、細胞を壊して外に飛び出す。飛び出たウイルスたちは、別の細胞に侵入したり、ゲホッと宿主が咳をした拍子に体外に排出されて、別の宿主に感染したりする。細胞に侵入することも増殖することもほかの個体に感染することもウイルスはかなり“ひとまかせ”である。
 
 
 わたしがウイルスであれば、なるべく静かに潜伏して宿主に気づかれないように増える、という戦略を取りたい。宿主の細胞のしくみや物質をそーっと拝借して、ゆっくりゆっくり増えていった方が生存する確率が高いだろう。しかし、宿主の免疫機構がそれを許さないことも多い。まず、人間には、自然免疫という機構が働いている。とにかく入ってきた異物は攻撃する、という鼻息の荒い免疫担当細胞が待ち構えている。
 
 気道の粘膜には、絶えず分泌物が産生されているが、ここにはIgAという自然抗体が交じっていて、ウイルスはまずこれに攻撃される。加えて、マクロファージの仲間である樹状細胞という、タコ足のように細胞質を伸ばす大食い細胞がうろうろしているので、うっかりしているとウイルスはあっという間に捕まって食べられてしまう。しかも、この細胞は自分が食べたウイルスの情報をまわりの免疫担当細胞に連絡する。するとナチュラル・キラー細胞というぎらついた名前の白血球が、ウイルスが感染した細胞もろとも攻撃を開始する。
 
 
 
 ウイルスに感染されてしまった哀れな細胞は、「ウイルスに乗っ取られました」というサインをいくつか出す。糖鎖といわれる突起物を見せてみたり(ちょっと白旗っぽい)、免疫担当細胞から攻撃されないための自己の目印(MHCクラス1抗原という)が弱くなり、免疫細胞に攻撃されるのを待つ。「ダメなわたしを殺してください」というメッセージを送るのである。なんだか泣けてくる。
 
 
 上記のような自然免疫とともにしだいに獲得免疫がその威力を発揮していく。しばらくすると、ほかの免疫担当細胞も参戦していき、感染細胞を殺す「細胞性免疫」と、ウイルスに対しての抗体を産生し、直接攻撃する「液性免疫」の両面からウイルスを死滅させるような働きが起こる。
 
 このように免疫細胞たちはあらゆる手を尽くしてがんばるのだが、がんばるほど細胞は傷害を受けて死んでいくことになり、脆弱となった組織には、別の細菌が二次的に感染しやすくなったり、炎症によってさらに組織が壊れてしまったりする。
 
 コロナウイルスは、パンデミックを起こして自分の仲間を爆発的に増やすことに成功しているが、ちょっとおバカである。宿主が死んでしまえば自分自身も死にゆく運命にあり、穏やかな共生関係がいちばん生存に有利な方法だからである。高病原性といわれているウイルスほど能無しであるといえる。生存戦略としては大失敗なのである。
 
 その点、コロナより賢いのがHIVウイルスである。HIVウイルスは、液性免疫と細胞性免疫の両方の働きを制御するヘルパーT細胞という免疫担当細胞に感染する。まず目の付け所がいい。ヘルパーT細胞に感染してその機能を妨げることは免疫反応全体を抑制することになるからである。感染初期の症状も弱いため宿主が知らないうちに別の宿主に移す機会も増える。さらに、変わり身の速いRNAウイルスなので、持続感染しているうちに次々に変異を遂げ、抗体からの攻撃をかわす術も身につけている。最近は、様々な抗HIV治療薬が開発され、ウイルスの増殖を抑えることで、HIVキャリアの人がAIDSを発症せず、天寿を全うできるようになってきた。HIVウイルスにとっても、薬で増殖スピードが妨げられるとはいえ、宿主がAIDSにならずに死なないことは、都合が良いという見方もできるかもしれない。現在のHIV治療は、ウイルスとの「共生」を目指すのである。
 
 実は、人間のDNAの中には、レトロウイルス(RNAウイルス)の塩基配列がたくさん確認されていて、人間の進化にも、RNAウイルスが貢献しているのではないか、ということが考えられている。特に哺乳動物による胎盤形成には、レトロウイルスが関与しているようだ。宿主の細胞膜を突き破って侵入するためのenvタンパク質をレトロウイルスは持っている。このタンパク質は、細胞膜を融解させる働きがある。胎盤の母体と胎児の間に存在する合胞体性栄養膜細胞には、envタンパク質をコードするレトロウイルスの遺伝情報が含まれているという。母体の免疫細胞が胎児を攻撃しないように、細胞と細胞の間から免疫細胞が入り込むのを防ぐべく、細胞膜同士が癒合しひとつの連続した合胞体性栄養膜細胞となっているのである。この過程に、レトロウイルスが一役を買っているのである。胎児を母体で育てるという哺乳類の生存戦略にはレトロウイルスの存在が不可欠だったといえる。
 
 このように、長い進化の過程をみるとウイルスとの共生によって、われわれヒトも様々な環境に適応できるように進化してきたといえる。パンデミックが生じている期間は、地球の長い長い歴史から見ると一瞬の出来事でしかない。それに、わたしたちの身体には、無数のウイルスと細菌が住んでいる。腸内や皮膚に共生している細菌たちの総重量は数百グラムにもおよぶといわれる。わたしたちは細菌やウイルスが存在しないと生きていけない。
 
 同じヒト同士であるはずなのに、国家間、民族間、人種間でこんなにも共生に不器用なわたしたちである。コロナウイルスは厄介であるが、この機会にあらゆる生物間の共生の歴史に学びたい。
 
 我が家の子どもたちも学校が休みとなり、兄妹で1日中家で過ごす時間が増えた。高校2年と中学1年の兄妹がこれだけ長い時間一緒に過ごすことは、ここ最近なかったし、この騒ぎが収まれば、もうこのような時間はやってこないかもしれない。学校がお休みなのは退屈だし、部活動が中止になって悔しい気持ちもわかるが、意外に貴重な時間なのでは?と伝えると、娘がしんみりした顔をした。
 
 今朝も兄妹そろって、善福寺公園にまるちゃんのお散歩に出かけてくれた。彼らのしばらくの日課である。
 
<参考文献>
松井孝典『生命はどこから来たのか?アストロバイオロジー入門』文春新書
中屋敷均『ウイルスは生きている』講談社現代新書

  • 小倉加奈子

    編集的先達:ナシーム・ニコラス・タレブ。病理医で、妻で、二児の母で、同居する親からみると娘、そして師範であり火元組。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。増刷中の近著作『おしゃべりながんの図鑑』の直筆イラストも必見。