簡単に腑に落ちちゃダメ!わかりにくさへ!【おしゃべり病理医61】

2022/02/22(火)08:42
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■わかりにくさに向かえ!

 

 対談を終えての帰り道、並んで歩く私に「わかりにくい授業を目指さないとですよね」と、木村先生が静かに呟いて驚いた。木村先生は広尾学園の医進・サイエンスコースの統括長で、経産省や内閣府の様々な委員や会議のメンバーであり、中等教育の改革を体現されてきた教育者である。広尾学園を超人気校にした立役者のひとりでもある。

 

 「大学よりも広尾学園の授業の方がわかりやすかったし面白かったなぁ」と話す卒業生たちの話を聞いて、「俺たちの教育、まだまだぜんぜんダメじゃん」と思い、教員同士の話し合いの中で、わかりやすさ以外の授業の方向性、可能性を模索しているのだという。

 

 「わかりやすい授業って、結局は生徒の学びの機会を奪うことにもなりかねない。生徒がもやもやして、授業が終わっても授業の内容についてあれこれ思いを巡らす状態が続くような授業を目指さないといけないと思うんです」。卒業生が大学の授業を面白がれないのは、そもそも自ら学び続ける意欲や方法の欠如であると木村先生は悔やんでいるのである。

 

 木村先生がそう話すのを聞いて、あぁ、この先生とこれからも色々なことに挑戦していきたいな、と思った。そして二つの先達の言葉を思い出した。ひとつは、「みんなね、腑に落ちるのが早すぎるんだよね」という社会学者、大澤真幸さんの言葉、もうひとつはイシス編集学校、松岡正剛校長の「わかりにくさをつねに抱えていた方がいいよ」という言葉であった。

 

 思えば、わたしはずっとわかりやすさを求めてきた。知らないことがわかった時の感動は大きいものだし、わかりやすく伝えることが教えることでいちばん大事だとずっと思い込んでいた。編集工学の素晴らしさも同じように”わかりやすく”伝えれば、もっと世の中に浸透していくのにと思っていた。イシス編集学校で起こっている様々な取り組みやその仕組みが世の中でもっと評価されるべきだというもどかしさみたいなものもあったのだと思うし、わかりにくいのはもったいないと感じていたのだ。

 

 そんな私の意見を松岡さんは「つまらない」と一蹴した。そう言われて、最初は腹が立ったし、ショックだった。編集工学をベースに教育を変えるというターゲットを置いたのにつまらないってどういうことだろうか?その理由がわからなかった。でも、きっと松岡さんがつまらないというのだから、悲しいけれどつまらないのだろう。つまらないのだとしたら、面白くなるしかない。面白くなる方法はよくわからないから、自分が面白がることにしよう。そういうふうに開き直った。きっとそのうち、松岡さんが言った「わかりにくさに向かった方がいい」という意図も「わかりにくいものをつねに抱えていた方がいいんだよ」という意味も咀嚼できるはずだからと。


■簡単に腑に落ちない方法

 

 大澤真幸さんは、今の社会における問題点として「腑に落ちるのが早すぎること」を挙げた。「〇〇が5分でわかる方法」「これさえマスターすれば△△できる」といったハウツー本も氾濫しているが、すぐわかるものはすぐ忘れられ、廃れるのだと大澤さんは言った。わかりやすさだけを求めていると思考が痩せてくるのだと。

 

 いかに簡単に腑に落ちないようにするか。すべてを疑ってかかるという懐疑的なスタンスになるというのは違う。むしろその逆である。


 多読ジム・スペシャルコース「大澤真幸を読む」の開講日のZoomセッションで、大澤さんは「歴史の残余」というキーワードとともに「わかりにくさに向かう方法」を提示くださった。

 

 歴史の中には、歴史の表には出てこない「残余の歴史」というものがあるという。歴史化に対抗しうるものでそれだけを取り出してポジティブには説明できないものである。歴史化されたものを見ながら、ネガとしてしか観察しえないものだが、その残余の歴史こそが、普遍的な歴史の大きな流れを創るコアな部分として関与しており、その残余の歴史を捉え直していけば、今、表に出ている様々な社会現象を別様に観察できる「方法」となる。その方法を模索するうえで、大澤さんは『<世界史>の哲学』を執筆されているのだという。

 

 残余の歴史というキーワードを「残余の情報」と言い換えれば、学びにおけるプロセスにも応用できるはずだ。簡単に腑に落ちない方法は、わかりにくさの耐性を鍛えるもので、学びを自ら深めていく編集的持久力となるだろう。なんといっても「たくさんのわたし」を重要視する編集工学は、首尾一貫を良しとしない。情報にはあらゆる側面があるのだから、首尾一貫していないことこそ、情報の本質である。何かを学ぶときも学び切ることを目標とせず、学びの循環が起こるようにすれば、簡単にわかった気にはならない。

 

 未来の教室のコンセプトを説明している図には、「創る」と「知る」の循環が生徒のワクワクを囲んでいる。学びの循環が起こることが、STEAM教育の目的とされているのである。これは「情報の残余」を何度も探しにいく循環であるともいえる。わかりにくさが残っていることが、次のサイクルに向かう原動力になるのだ。編集工学では、このわかりにくさは、”未知”や”余地”、あるいは”AIDA”と様々に言い替えられていて、「問感応答返」も「文体編集術」の”いじりみよ”や「プランニング編集術」の”よもがせわほり”の方法論も循環型の構造をしている。イシス編集学校の取り組みは、すでに開校の時からずっとこれを目指しているのである。そこに改めて気づいて、誇らしくもなり、勇気づけられた。

 

 

「未来の教室」の学びのコンセプト 「創る」と「知る」の循環型の学びを促進していく基盤づくりを推進している。

 

 

 

「イシス編集学校」の学びのコンセプト ”問感応答返”のプロセスはつねに返から別様の「問」を生むような循環、あるいは螺旋型の学びになる。「問」からいきなり「答」に直線的に向かうのではなく、間に自分自身の「感」や相手からの「応」が差し挟まれることによって、「答」に続いて別様の可能性としての「返」が生まれる。「返」は単一ではなく、無数の「問」を新たに生んでいく編集エンジンとなる。

 

 

 

松岡正剛校長のイシス編集学校における学びの図解 ”問感応答返”が連鎖していくプロセスを詳解。そこにはインプットにおけるAnalogy, Abduction, Affordanceという3つの「A」とアウトプットにおけるMethod, Message, Mediaの3つのMが不可欠であるのだが、ここではもう一つ相互コミュニケーションにおける必須の5つの「M」(Model, Mode, Metric, Making, Manage)が提示されている。

 

■学びのストーリー

 

 STEAM教育が10年後の医学教育をどう変えるか、というテーマについて、木村健太先生と私で語った内容が、医学界新聞の一面に掲載された。

 

 STEAM教育は、実は、医学部におけるProblem-based Learningを参考にしながら発展してきたという歴史的背景がある。通称、アクティブ・ラーニングと呼ばれているが、医学部の特に高学年で行われている病院実習では、実際の症例をもとに、病態や症候論をはじめ、医療面接、検査および治療についての流れを学んでいく。しかし、これからのSTEAM教育はそのPBLをはるかに超えるスケールを持たないといけないだろう。PBLは職業訓練や職場体験的なところで閉じてしまいがちである。例えば、地域医療の体験をする実習では、将来進む専門分野の候補のひとつという医学生的発想を「地」にしたままでは全く学びは広がりを持たなくなる。地域医療を担う総合診療医もいいよね、的な感想に終わる可能性も大きい。その体験から例えば「人が死ぬとはどういうことか」という問いが湧きおこり、宗教や哲学的考察に向かうであるとか、あるいは、過疎地域の開発という都市問題に関心が向かうといった、様々なテーマと対角線を引けるような学びの広がりがほしい。

 

 医学部においても特に低学年のうちは、もっと医学という学問を別の学問と重ねて考察するようなSTEAM教育が試みられていかないと、全人的な医療を担う医師の育成というのは難しいだろう。医学部人気で偏差値が高い学生が入学してきているが、与えられた問いを効率よく解答するという訓練だけに秀でていて、自ら問いを持って主体的に学ぶ学生が減っているように感じる。

 

 「医学界新聞」の記事のタイトルは、「STEAM教育で見つける私だけの学びのストーリー」。良いタイトルをつけていただいた。

 

参考サイト:

医学界新聞 | 医学書院 (igaku-shoin.co.jp)

STEAMライブラリー – 未来の教室 (steam-library.go.jp)

未来の教室 ~learning innovation~ (learning-innovation.go.jp)


  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、同居する親からみると娘、そしてイシス編集学校の「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべりな図鑑』シリーズの執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、医学と編集工学を重ねる試みを続ける。おしゃべり病理医の編集的冒険に注目!