おしゃべり病理医 編集ノート - 病理診断は雀士かつボクサーのように

08/20(木)10:49
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〇風を待つ

 

 病理医になって18年になるが、その半分以上をボスの松本先生とともに過ごしてきた。情に厚く、涙もろい。いつも自分のその時の気持ちに言葉が追いつかないもどかしさを抱えている先生は、加えてとてもシャイなので、壇上に立って挨拶をするような場面では、突然「がんばろうっ」とか、「いいねぇ~」とか、場違いな声で叫んでしまう。そんな不器用さもとてもチャーミングである。

 

 一方、病理医としては超一流である。得意とする専門分野は、複数の臓器にまたがり、オールマイティーなジェネラリストである。病理診断にかける情熱と努力はとどまることを知らず、ひとりの患者さんの診断に対して、やれることはとことんやる。尽くす。徹底する。わたしが一緒にお仕事させていただいた先生の中で病理診断能力はずば抜けていると思うが、ご自分の診断能力を見切る冷徹さを兼ね備え、これは専門家の意見を聞こうと、全国どこにでも標本をもって走り回る。高い診断能力に裏づけられた自信と謙虚さが先生の中に同居しているのである。

 

 言葉にすることを苦手とする松本先生はそれでいて名言の宝庫である。先生はずっと趣味で麻雀を嗜んでいるのだが腕前はプロ級で、今は競技麻雀?というジャンルで、トップ5とかに入るらしい。コロナウイルス騒ぎで雀荘活動は自粛せざるを得ず、残念そうだ。

 

 「麻雀はとにかくね、色々やったらあとは風をじーっと待つんだよ。病理診断もおんなじだよ」

という。

 

 実は、わたしも父に小学生の時から麻雀を仕込まれた。ドラえもんの柄のドンジャラをおねだりしたら、もっと本格的なやつを買ってきてやる、と、竹の柄や漢字が朱色や深緑で掘られた「渋い柄のドンジャラ」を嬉々として買ってきた父。おかげで?高校生の時は、友達を家に呼び込み、徹マンをしたくらいハマった時期もあるので麻雀の風を待つ難しさはそれなりにわかっているつもりだ。イーシャンテン。タンヤオとピンフの両方を狙うか、早めにリーチするか。方針を決めたら風を感じて待つ。

 

 うん。たしかにそうである。まさに病理診断は、細胞たちが醸し出している風を読まなければいけない。大事な気配を見落としてはいけないし、性急に答えを出そうとせずに顕微鏡を眺めながら待つ、というような境地でじっくり向き合うことも大切だ。

 


〇風になる

 

 と思っていたら、松本先生はさらに言う。
「風を感じるにはね、動体視力がポイントだよ。病理医は、動体視力を鍛えないとだめ。ボクサーとおんなじ。高速に動かさなくっちゃ」

 

 え?待つ一方で、動くときは高速なのか?たしかに松本先生が動かしているディスカッション顕微鏡を一緒に覗いていると、たいていの研修医はあまりの視野の動きにだいたい車酔いする。わたしはすっかり慣れてしまったけれど、なんであんなに高速に動かして、大事な部分でぴたっと止まるんだろうと不思議になる。しかしどうやら本人は、自分の高速思考プロセスをトレースできていない様子だ。

 

「なぜ、あんなに弱拡大の視野でそこにがんがいるってわかったんですか?」
「なんとなくわかるよー」
「なぜ、その診断になるのですか」
「それしかないよー」
「なぜ、異型があると判断したのですか」
「どうみたって、異型、あるよー」

 

 どうやらフィーリングらしい。経験を積み重ねれば自然とわかってくるから、説明するまでもないということだと解釈している。

 

 そんな松本先生は、昔、安易なミスを起こした先輩に「おまえ、目から血が出るほど標本見てろっっ」とわなわな震えながら大声で怒鳴っていた。地道に経験を積んで一例一例学ぶ姿勢を持ち続けろと背中が言っていた。

 


〇類似と相似、面影編集

 

 ここでいう経験とはなんだろうか。相似と類似。松本先生は細胞が醸し出す風を待ったり、あるいは自分が風になって動き回って、次々に相似や類似を発見していく。病理医は、たくさんの症例を経験して、相似と類似を身体のなかにどんどんと堆積させていく。それが次の診断に必ず活きてくる。いや、活きてくるというよりも身体の中に相似と類似の記憶の蓄積がなければ病理診断はできないのである。何かと形態が似ているということが病理診断の本質なのだから、その何かをどんどん自分の中に積み重ねていくことが、病理医としての研鑽なのである。

 

 松岡校長が多大な影響を受けた数学者のヘルマン・ワイルは、「知は合同に向かうな、相似に向かえ」といった。動かしたときに、もとの面影を思い出しながら、ふたつの情報の間で、視点をかわるがわる切り替えながら、その類似と相似を探る。それが知なのであると。病理診断は動体視力が重要だと松本先生は言っていたけれど、たしかに動かしながら細胞の面影をみているように思う。

 

 ちなみに、最新エディション『宇宙と素粒子』にも収められている千夜千冊670夜『数学と自然科学の哲学』では、校長がヘルマン・ワイルの思索の特徴を存分に解説している。わたしは、正直、数学のセンスがあまりにもないのでこの千夜の解説をあまり深く理解できていないのだが、特に以下の一節などは、松本先生の診断プロセスにまさに類似性を感じる部分である。


 なぜなら、かつての数学はすでに「志向」が終了してからのちの記号による「操作」から始まると考えられていたのに、ワイルはそうではなくて、数学の発端がすでに志向対象のうちに萌芽しているとみなし、そのような「直前のプロセス」を「直後の数学」のフォーミュレーションが明示化しうることをあきらかにしていたからだった。すなわち、考え始めること、その「直前のプロセス」がすなわち「直後の数学」に滞在しているのである。(p.145『宇宙と素粒子』千夜千冊エディション)


 この一節の「志向」を「観察」に、「記号」を「医学用語」に、そして、「操作」を「診断」に変え、「数学」を「病理学」と読み替えると、病理診断のプロセスを説明されているように感じる(松岡校長、この読み替えは間違っていますか?)。


 「直前のプロセス」を「直後の数学」のフォーミュレーションが明示化するという説明はすごくかっこいい。

 

 つまり、病理診断も数学も「面影編集」なのではないだろうか。

 

数学と病理診断


  • 小倉加奈子

    編集的先達:ナシーム・ニコラス・タレブ。病理医で、妻で、二児の母で、同居する親からみると娘、そして師範であり火元組。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべりな図鑑』シリーズの執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Labo」開発へ。おしゃべり病理医の編集的冒険に注目!