〇カルテはソープ?
文章の型といえば「起承転結」が有名であるが、イシス編集学校ではなんといっても[破]の文体編集術で学ぶ「いじりみよ」である。この型を使えば、頭の中に浮かんだイメージのいくつかを連結させて、メッセージを際立たせるべく、文章を組み上げていくことができる。
ではカルテはどうだろうか。実はカルテ記載にもしっかりした型がある。ソープ(SOAP)という。
ソープ(SOAP)は、S(Subjective)、O(Objective)、A(Assessment)、P(Plan)の略で、患者さんを診察した後に、基本的にSOAPの順番でカルテを書く。カルテは公文書なので、ある程度決められたフォーマットで日々の診療の記録を残す必要がある。病院機能評価機構や厚生労働省など、様々な公的第三者機関によってカルテの記載状態は随時チェックされる。
S(Subjective)には患者さんの訴えが入る。記載する医師によるが、けっこう生々しく患者さんが言ったとおりに書かれていたりする。「もうやってらんないよ!」とか「早くおうちに帰りたい」とか、入院患者さんの声が聞こえてくるような記載も少なくなくて、読んでいてぐっとくることもある。
O(Objective)は、客観的所見のことで、視診、聴診、触診といった診察による所見が書かれる。咽頭発赤だとか、収縮期心雑音だとか、喘鳴だとか、そんな医学用語が入っている。他、体温や呼吸数や血圧といった検査所見なども入る。
A(Assessment)は、SとOを受けたうえでの評価である。疾患が特定できていない段階であれば、どんなことが鑑別疾患として挙げられるかがその根拠とともに記載される。医師の診断の技量が明らかになる部分で、あらゆることをどのくらい緻密に想定できているかということが一目瞭然である。
P(Plan)は、まさに計画であり、評価したことに対して、どのような方針を立てていくかということが記載される。どんな検査をいつ行うのか、どういう治療を行う予定なのか、5W1Hがはっきりわかるよう記載されることが望ましい。基本的にAありきのPだから、Aが充実していればいるほどPは明確になっていく。
以上がSOAPの基本であるが、当然、診療科によって記載内容はかなり異なってくる。外科であれば、Planにはだいたい手術方針が記載される。Objectiveのところは、身体のどの部分に病変があるかを表すため、シェーマが多用される。手術後は“オペ記事”と俗に呼ばれる手書き図解入りの手術記録が、電子カルテ上に添付されることも少なくない。
一方、精神科のカルテは、圧倒的にSubjectiveが長大になる。医学生の時、精神科研修中に、何年も入院している統合失調症患者さんの分厚いカルテを読むことが多かった。恋愛妄想の強い患者さんだと、意中のひとへの一途で切ない想いと、激しく飛躍する妄想エピソードが目白押しで、ある意味ファンタジックともいえる患者さんの物語にあふれたカルテはまるで小説、いやそれ以上の迫力だった。
〇企画の型は診療にも経済にも
編集学校にもうひとつ、「よもがせわほり」という型がある。これは文体のではなく、プランニングの型で、やはり[破]の稽古でじっくり学ぶ。以前のエッセイで少し触れた千夜千冊1230夜、ワインバーグの『一般システム思考入門』にも紹介されている。
編集工学ではこれらを含んだシステム・アプローチのワークフローを、「与件の整理」「目的の拡張」「概念の設計」「設営の構造」「枠組と展開」「方法の強調」「隣接と波及」という7段階に分けてある(7つのイニシャルをとって「よ・も・が・せ・わ・ほ・り」という)。
「よ・も・が・せ・わ・ほ・り」はただ一回きりの進行をあらわしているのではない。認識・思考・表現の進行のなかで何度もくりかえし、この7段階が動いていく。
日常診療も、治療方針を考えていくことの繰り返しであるから、プランニングの型が実は使える。編集工学が世の中の隅々まで浸透したとしたら、SOAPの代わりに、「よもがせわほり」でカルテを書くことになったりして。
プランニング編集の中で特に重要なのは、最初の「与件の整理」である。特に世の中のプランニングにおいて、計画倒れになってしまう場合は、圧倒的に「与件の整理」ができていないことが多い。
政府の要人にはぜひ、イシス編集学校で特にこのプランニング編集術を学んでもらいたいと思う。「GO TO Travelキャンペーンなんて、英語構文としてヘンだよ」とか「GO TO Troubleなんじゃないの?」など、色々と揶揄されているが、そもそも、コロナの第二波を横目にしながら観光だけを強調して経済を強引に回そうと考えている自体、与件の整理どころか、与件を集めることも満足にできていないのではないか。
田中優子先生は、朝のニュース番組で、
「そもそも政府は、“経済”という言葉の本当の意味をわかっていない。経済というのは経世済民が本来の意味であるから、国を治めて民を救うことをいうはずだが、今の政府は、経済を金儲けや利益としか捉えていない」
と喝破していた。
プランニング編集のスタート時点で頓挫している政策に振り回される国民はなんと不幸なことか。しかし、嘆いている場合ではなく、結局自分の身は自分で守れということなのかと、腹をくくらないといけない気がしてくる。
〇病理診断の型は?
「よもがせわほり」とSOAPを比較してみると、実はこの「与件の整理」だけで、SOAPのSOAまでを満たすのである。対象からどれだけ多角的に情報を集め、整理し、分析できるか。与件の整理の質がP(Plan)の成功の鍵になるということだろう。
さて、病理診断報告書はどうなのか。病理診断は、与件の整理の集大成だと思っている。唯一病変を直接観察できる病理医の視点で、その患者さんの与件を整理し尽くすことが病理診断の役目である。
それともうひとつ。病理診断は、与件の整理をしつつも、その文体の特徴は紀行文に似ているように思う。
病変のあちこちを観察しまわって得た「目のカメラ」の情報をつぶさに記録していく。あまりマニアックになると臨床医に読んでもらえなくなるが、「鳥の目のカメラ」を駆使してまずは病変全体の配置を説明する。「虫の目のカメラ」から得た細部の見どころを強調する。その所見の大きさや深さは「足のカメラ」を使って、マイクロメートルの単位で記載していく。病理医の「心のカメラ」もそっと所見のあちこちに潜ませたりするのは上級編である。これまた[破]の文体編集術の紀行文の書き方、「5つのカメラ」の応用である。[破]の稽古、おそるべし!どれだけ診断技法として使えるんだ!みなさんの業界ではいかがでしょう?
現在、わたしたち病理医は、病院の奥に引きこもりつつ、GO TO キャンペーンを絶賛実施中である。顕微鏡がありさえすれば、けっこういろんなところを旅行できる。大腸とか、乳腺とか、肺とか、子宮とか…身体一周旅行も夢ではない。
様々な文体編集の型
小倉加奈子
編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、同居する親からみると娘、そしてイシス編集学校の「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべりな図鑑』シリーズの執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、医学と編集工学を重ねる試みを続ける。おしゃべり病理医の編集的冒険に注目!
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