おしゃべり病理医 編集ノート - 読書とプチSDGsのゴールデンウィーク

2021/05/10(月)10:42
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■“読み偏重”の日々

 

 東京は、中途半端な緊急事態宣言下にあるが、私は、とっても軽やかで良い気分である。新緑の美しい季節で自転車通勤が爽快だから?それもあるかもしれないが、いくつか理由がある。

 

 14離が終わり、「をぐら離」シリーズも一息ついたところで、しばらく書くペースを落とし、“読み偏重”の日々を送っている。「多読ジム」春シーズンが先月から始まっているので、読んだ途中経過をその都度書いて、まつみち冊師に報告している。だからリズム的には、読む、読む、読む、読む、書く、読む、読む、読む、読む、書くというように「読む」の中にわずかに「書く」が差し込まれる感じだ。じっくり読むので、身体の中に読んだものがじんわり浸透する気がする。栄養や酸素やマイナスイオンが身体のすみずみに広がるように。

 

 まつみち冊師こと、松井路代さんは、もちろんあの「編集かあさん」である。遊刊エディストにも子育ての日々を編集かあさんフィルターでふわっと切り取って届けてくださっている。わたしも一応、二児の子育て中だから編集かあさんだと思っているのだが、まつみちさんと私は、それぞれがもともと持っている注意のカーソルやフィルターがかなり異なるかあさんだと思う。だから、まつみち冊師のスタジオで同じ本を共読することはとっても刺激的である。私の読書報告に対しても、予想だにしていないところに光を当て、新たな読み方を差し入れてくださるのだ。

 

 そんなまつみち冊師との共読に加え、多読ジムは新たな書院企画でチョー盛り上がっている。連句、連歌をもどき、本を付け合ってゆく遊び、名付けて「多読連本◎春の巻」である。発句ならぬ、”発本”は松岡正剛校長の『うたかたの国』。この本からある一定のルールに沿って本をつなげていくのである。読衆が思い思いの本をどんどん投げていき、「冊阿弥」衆の面々でその中から一冊を選び、そこにまた本を付けていくのだ。これがとても楽しい。

 

 しかし困ったことに、どの投本の売り文句もジャパネットたかた並み(イシス編集学校では“てらだ”だが)、いやそれ以上の威力で、私の本フェチのどこかを強く刺激するのである。緊急事態宣言により吉祥寺のジュンク堂が閉まっており、アマゾンでのポチリのハードルが大きく下がっていることも相俟って、この書院企画がスタートしてからというもの、毎日何冊もの本が我が家に送り届けられる。積読本がタワー化していく一方であるが、楽しみも重なっていくようでわくわくしてくる。


■至上最大の断捨離

 

 気分が軽やかなのはもう一つ理由がある。不要不急の外出がないゴールデンウィークならば、やることはひとつ、断捨離であろう!ということで、大規模な断捨離とそれに伴う本棚編集を決行したのである。

 

 だいたい離を1季終えると、とてつもない量の印刷物で部屋が埋もれる。そこに図解や引用文の落書きやメモやノートがまぎれる。本棚から抜き出された本たちは、床の上に積まれる。14離に重ねてMEdit Labもあったし、並行して多読ジムもやっていたから、それらに関連する書類と本の山が書斎を席巻し、おかげで、同じ本を何回も買ったり、娘の母子健康手帳や私の靴下の片方が行方不明になったり、となりの主人のテレワークスペースにもがん細胞のごとく、私のモノたちが浸潤しはじめていたのである。

 

 私はほとんど引っ越しの経験がない。結婚して増築をしながら20年以上同じ場所に住み続けてきた。昨年、職場の病理検査室は、病院の増床に伴い、借り住まいを経由して2回の引越しを経験した。その間、おそらく最初の検査室にあった書類の9割を捨てたように思う。引越しはなんとモノを減らす絶好の機会なのだろうと思った。長い間同じ場所に住み続けていると、断捨離のきっかけを掴めず、知らず知らずモノでいっぱいになっていく。

 

 校長が以前、“情報う〇こ状態”と表現した事態が我が家の本棚と書斎に起こっていた。部屋のエントロピーが著しく増大してくれば、情報は死んだも同然となる(まさに熱死状態)し、アタマの中もカオスとなり編集に支障が出てくる。しかし、最近までそういった状態に鈍感になり、忙しいというのを理由に片付けを先延ばしにしていた。

 

 私の重い腰を上げてくれたのはほかならぬ主人であった。瞬く間に棚から本やプリントがはさまったファイルをすべて降ろし、座っている私のまわりに敷き詰め、「どれ捨てる?」と、にっこりした。観念した。

 

 我が家には、寝室兼書斎とリビングの2か所に本棚がある。寝室兼書斎は、顕微鏡もあって病理診断の仕事もするために、必要最小限の専門書が手に届く範囲に常備されている必要がある。今回の断捨離でさらに機能的にしようと、とにかく辞書類はなるべく同じ棚に並べることにし、校長図書もリビングにあったものをすべて書斎にうつし、校長棚とそれに関連するキーブックたちを大移動させた。作業する机の上には極力モノを置かないと決めた。


書斎にできた松岡正剛コーナーその1(右下のコーナーはこれから読む本≒積読本)

 

書斎にできた松岡正剛コーナーその2(横にすればまだまだ本を置けそう♪)

 

 いったんスイッチが入ると凝りまくる私は、モーレツな断捨離マシーンと化し、机の引き出しもひっくり返し、不要な文房具や書類をどかどかと捨てていった。もともと片づけ好きの主人は、私なぞは足元にもおよばない断捨離の鬼となり、獲物を探しに、息子や娘の部屋にも猛然と向かっていった。

 

 おかげで我が家は、どの部屋も見違えるほど整然とし、すこぶる快適になった。その一方であっという間にうずたかくなっていくごみの山を見て、ふと『人新世の「資本論」』を思い出した。あまりにたくさんになったごみの袋たちをいっぺんに出すわけにも行かず、玄関や廊下に積み上げることとなった。

 

 このごみの山たちはいったいどこに行くのだろうか。こんなに無駄なものばかりに囲まれ、これらが無くなっても生活に不自由しないことに愕然とし、私自身も立派な環境破壊者であるのだと慄然とした。


■SDGsは大衆のアヘン、なのか

 

 SDGsは大衆のアヘンである──そう『人新世の「資本論」』には書いてあった。生半可な対策では、環境破壊は止められない。もうとっくに資本主義は限界を迎えている。地球が壊れる前に、脱成長主義に向かえ。SDGsは偽善である。そういう強いメッセージが込められた本書に読中も読後も強く共感した。しかし、ささやかな断捨離を決行してみると、偽善だろうとなんだろうとSDGs的な行動を積み重ねることが決して無意味とは思えないと感じた。すっきりした環境に身を置いて、これからはハンドリングできる範囲のモノとともに生活しようと強く思ったからだ。

 

 『人新生の「資本論」』にある脱成長コミュニズムは、編集工学と親和性が高いようにも感じた。今あるものをブリコラージュしたり模倣したりすることに価値を見出し、成長という単一の目標ではなく、むしろたくさんの選択肢を抱えて、別様の可能性に向かう。イシス編集学校のように、師範が学衆になったり、学ぶ人と教える人がつねに入れ替わる仕組みも脱成長的である。リサイクルというか円環的というか、必要最小限のリソースでつねに面白がれるコミュニティの創出も編集工学なら可能である。

 

 ゴールデンウィーク中に決行した断捨離によって資本主義のこれからまで考察できたのは、イシス編集学校にいたから。ありがとう編集学校。やっぱりイシスは、だいぶ時代を先取っているのですね。

 

 小さなSDGsと読書三昧のおぐら家ゴールデンウィーク。余裕ができた本棚を見て、ふたたびアマゾンで、こっそりポチリとする。本だけは、どうしても過剰な消費を抑えられない。唯一の例外規定。積読本棚というスペースをつくったので、そのスペースがいっぱいにならないように、しばらくは軽やかな読み偏重の生活を続けよう。


  • 小倉加奈子

    編集的先達:ナシーム・ニコラス・タレブ。病理医で、妻で、二児の母で、同居する親からみると娘、そして師範であり火元組。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべりな図鑑』シリーズの執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Labo」開発へ。おしゃべり病理医の編集的冒険に注目!