「運命」の音を聴く(上) OTASIS-19

09/13(日)10:24
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『ハワーズ・エンド』への二つの道

 

 コロナと残暑をやりすごしながら、フォースターの『ハワーズ・エンド』を耽読した。この本を選んだのは、私にとってつねに気がかりな編集道と音楽道(鍵盤道)の二つの道が、たまたま『ハワーズ・エンド』に向かって交差したからだった。

 編集道のほうは、松岡正剛の「千夜千冊エディション」が道標となった。酷暑とともにヒートアップする10月刊行の『方法文学』の編集さなか、フォースター『インドへの道』の千夜に松岡が書き加えたこの一言に、一念発起してしまったのだ。

 「ぼくの周辺にはフォースターを語りあえる友がいなくて寂しく思ってきた」。

 師父にそんなことをつぶやかれてしまっては、読まずに済ませるわけにはいかない。

 

 それなら『インドへの道』に向かえばいいものを、なぜに「ハワーズ・エンドへの道」のほうに行ったのかというと、それが音楽道のほうの道標になるのだが、半年ほど前に、この小説のなかにベートーヴェンの交響曲「運命」の聴き方に関するたいへんおもしろく興味深い記述があるということを知って、ずっと気になっていたからだ。これについては、松岡も千夜千冊で『インドへの道』とはべつに『ハワーズ・エンド』の梗概を紹介するなかで、フォースターが張りめぐらす“象徴の回遊”のなかの重要なシンボルとして、「ひたすら鳴り響くベートーヴェンの交響曲」に言及している。

 

 ベートーヴェン生誕250年を勝手に盛り上がろうという計画がコロナのせいですべて吹っ飛んでしまい、虚しさを募らせていた私としては、やっぱり読まないわけにはいかなかったのだ。

 

 

4人の登場人物たちの音楽タイプ

 

 話は、芸術文化を愛好する知識人家庭に育った姉妹と、価値観がまったく違うイギリスの新興のブルジョワ一家の、二組の家族の出会いから始まる。気性の激しい妹ヘレンが一家の次男と恋愛沙汰を起こし、理知的な姉マーガレットは夫人と人知れず静かな友情をはぐくむ。「ハワーズ・エンド」というのはブルジョワ一家が所有する古い田舎家の名称で、この家をこよなく愛していた夫人が急死してしまったことから、姉妹と一家の関係がもつれにもつれ、20世紀初頭のイギリスの格差社会や階級エゴを炙り出しながら、いったい誰が「ハワーズ・エンド」を継承するのかという問題が物語を動かす大事な鍵となっていく。

 

 くだんのシーンは500ページ近くある長編の冒頭、50ページも進まないうちに出てくる。マーガレットとヘレン、生意気盛りの弟ティビー、それに両親を早くに亡くした姉妹たちのことを常に気にかけているジュリー叔母さんの4人が、ベートーヴェンの交響曲「運命」のコンサート会場にいる。突然ここでフォースターが講釈師となって、「ベートーヴェンの『第五交響曲』が人間の耳にかつて聞こえた音の連続の中で最も壮麗なものであることは、まず間違いなさそうである」と一席ぶって、登場人物たち4者4様の、まったく違った音楽へのアプローチが次のように描写されるのだ。

 

 お馴染みの節の所になるとそっと、ほかの人たちの邪魔にならない程度に手拍子をとらずにいられず、そのくせ会場に居並ぶ客たちのほうに興味津々のジュリー叔母。ベートーヴェンの交響曲の音の洪水の中に、妖怪どもに襲われる難破船や闘う英雄たち、はたまた三頭の象の踊りといった勝手なイメージをかきたてている妹ヘレン。そんなヘレンとは逆に、頑なに妄想を慎むかのように、ただ「音楽」のことしか見ようとせず、そのくせなんの内的言語も紡ぎだせずにいるらしい姉のマーガレット。楽譜が読めて対位法にまで精通しているので、膝のうえに楽譜を広げながら「この次のドラムによる経過音!」といったことを囁いてはまわりに注意を促し、少々うるさがられている弟ティビー。

 

 音楽の聴き方、とりわけベートーヴェンの『運命』のような象徴的な一曲をダシにして、それぞれの人物の内的世界のありようを絶妙に類型化しているのである。松岡がフォースターは「知」と「性」を分断しない作家であり、イギリスの「マナー」と「リベラル・アーツ」に意を注ぎ続けた作家であると書いていることが、こんなところからも感じ取れるし、この類型化には、知性というものについての辛辣な洞察が込められているようにも思う。

 たいていの音楽愛好家は、このなかのどれかに自分があてはまってしまうことに気づいて、思わずニヤリとしたり汗をかいたりしてしまうだろう。ちなみに私は、こっそりティビーがうらやましいと思っている、マーガレットタイプである。

 

 ついでに、ジェームズ・アイヴォリー監督が映画化した『ハワーズ・エンド』では「運命」を聴くシーンがどう描かれているのか、気になったので確かめてみたところ、ヘレンたちが「運命」のコンサートではなくピアノ演奏付きの講演を聴いているという設定に変えていた。アイヴォリー監督は、原作にあるフォースターの講釈のほうを、どうしても入れたかったようだ。

 

*「運命」の音を聴く(下)に続く

 

 

 

おまけ:図版はカンディンスキーのコンポジションより。私が「運命」を勝手にイメージに置き換えたら、こんな感じになりそう。カンディンスキーはシェーンベルクの音楽に触発されて抽象画を極めた画家なので、そもそも構成が音楽的なのだ。


  • 太田香保

    編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。

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