「運命」の音を聴く(上) OTASIS-19

2020/09/13(日)10:24
img NESTedit

『ハワーズ・エンド』への二つの道

 

 コロナと残暑をやりすごしながら、フォースターの『ハワーズ・エンド』を耽読した。この本を選んだのは、私にとってつねに気がかりな編集道と音楽道(鍵盤道)の二つの道が、たまたま『ハワーズ・エンド』に向かって交差したからだった。

 編集道のほうは、松岡正剛の「千夜千冊エディション」が道標となった。酷暑とともにヒートアップする10月刊行の『方法文学』の編集さなか、フォースター『インドへの道』の千夜に松岡が書き加えたこの一言に、一念発起してしまったのだ。

 「ぼくの周辺にはフォースターを語りあえる友がいなくて寂しく思ってきた」。

 師父にそんなことをつぶやかれてしまっては、読まずに済ませるわけにはいかない。

 

 それなら『インドへの道』に向かえばいいものを、なぜに「ハワーズ・エンドへの道」のほうに行ったのかというと、それが音楽道のほうの道標になるのだが、半年ほど前に、この小説のなかにベートーヴェンの交響曲「運命」の聴き方に関するたいへんおもしろく興味深い記述があるということを知って、ずっと気になっていたからだ。これについては、松岡も千夜千冊で『インドへの道』とはべつに『ハワーズ・エンド』の梗概を紹介するなかで、フォースターが張りめぐらす“象徴の回遊”のなかの重要なシンボルとして、「ひたすら鳴り響くベートーヴェンの交響曲」に言及している。

 

 ベートーヴェン生誕250年を勝手に盛り上がろうという計画がコロナのせいですべて吹っ飛んでしまい、虚しさを募らせていた私としては、やっぱり読まないわけにはいかなかったのだ。

 

 

4人の登場人物たちの音楽タイプ

 

 話は、芸術文化を愛好する知識人家庭に育った姉妹と、価値観がまったく違うイギリスの新興のブルジョワ一家の、二組の家族の出会いから始まる。気性の激しい妹ヘレンが一家の次男と恋愛沙汰を起こし、理知的な姉マーガレットは夫人と人知れず静かな友情をはぐくむ。「ハワーズ・エンド」というのはブルジョワ一家が所有する古い田舎家の名称で、この家をこよなく愛していた夫人が急死してしまったことから、姉妹と一家の関係がもつれにもつれ、20世紀初頭のイギリスの格差社会や階級エゴを炙り出しながら、いったい誰が「ハワーズ・エンド」を継承するのかという問題が物語を動かす大事な鍵となっていく。

 

 くだんのシーンは500ページ近くある長編の冒頭、50ページも進まないうちに出てくる。マーガレットとヘレン、生意気盛りの弟ティビー、それに両親を早くに亡くした姉妹たちのことを常に気にかけているジュリー叔母さんの4人が、ベートーヴェンの交響曲「運命」のコンサート会場にいる。突然ここでフォースターが講釈師となって、「ベートーヴェンの『第五交響曲』が人間の耳にかつて聞こえた音の連続の中で最も壮麗なものであることは、まず間違いなさそうである」と一席ぶって、登場人物たち4者4様の、まったく違った音楽へのアプローチが次のように描写されるのだ。

 

 お馴染みの節の所になるとそっと、ほかの人たちの邪魔にならない程度に手拍子をとらずにいられず、そのくせ会場に居並ぶ客たちのほうに興味津々のジュリー叔母。ベートーヴェンの交響曲の音の洪水の中に、妖怪どもに襲われる難破船や闘う英雄たち、はたまた三頭の象の踊りといった勝手なイメージをかきたてている妹ヘレン。そんなヘレンとは逆に、頑なに妄想を慎むかのように、ただ「音楽」のことしか見ようとせず、そのくせなんの内的言語も紡ぎだせずにいるらしい姉のマーガレット。楽譜が読めて対位法にまで精通しているので、膝のうえに楽譜を広げながら「この次のドラムによる経過音!」といったことを囁いてはまわりに注意を促し、少々うるさがられている弟ティビー。

 

 音楽の聴き方、とりわけベートーヴェンの『運命』のような象徴的な一曲をダシにして、それぞれの人物の内的世界のありようを絶妙に類型化しているのである。松岡がフォースターは「知」と「性」を分断しない作家であり、イギリスの「マナー」と「リベラル・アーツ」に意を注ぎ続けた作家であると書いていることが、こんなところからも感じ取れるし、この類型化には、知性というものについての辛辣な洞察が込められているようにも思う。

 たいていの音楽愛好家は、このなかのどれかに自分があてはまってしまうことに気づいて、思わずニヤリとしたり汗をかいたりしてしまうだろう。ちなみに私は、こっそりティビーがうらやましいと思っている、マーガレットタイプである。

 

 ついでに、ジェームズ・アイヴォリー監督が映画化した『ハワーズ・エンド』では「運命」を聴くシーンがどう描かれているのか、気になったので確かめてみたところ、ヘレンたちが「運命」のコンサートではなくピアノ演奏付きの講演を聴いているという設定に変えていた。アイヴォリー監督は、原作にあるフォースターの講釈のほうを、どうしても入れたかったようだ。

 

*「運命」の音を聴く(下)に続く

 

 

 

おまけ:図版はカンディンスキーのコンポジションより。私が「運命」を勝手にイメージに置き換えたら、こんな感じになりそう。カンディンスキーはシェーンベルクの音楽に触発されて抽象画を極めた画家なので、そもそも構成が音楽的なのだ。

  • 太田香保

    編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。

  • 【Archive】寄せ植えOTASIS (2022/5/20更新)

    [離]総匠の太田香保が、文章編集、本、映画、音楽などについて気ままに綴るコラム「OTASIS」。書き連ねてきたシリーズを遊刊エディストの一隅に咲く寄せ植えのように、ひとまとめにしてお届けします。    必読 […]

  • 戦争とミューズとプロパガンダ OTASIS-28

    ◆ショスタコーヴィチの戦争交響曲    銃が物を言うとミューズ(音楽の女神)は沈黙する。                このロシアの古い諺がお気に入りだったショスタコーヴィチは、そこに「この地ではミューズは銃と […]

  • 本の映画の人間人形化計画 OTASIS‐27

    ■本のような映画・雑誌のような映画    松岡正剛はかつて「映画のように本をつくりたい」を口癖にしていた。ピーター・グリーナウェイがシェイクスピアの『テンペスト』を換骨奪胎した《プロスペローの本》を世に問うた時 […]

  • OTASIS26 国語問題のミステリー

    ◆試験に出る松岡正剛    2021年末の「ほんほん」で松岡が明かしたように、いま『試験によく出る松岡正剛』という書籍の企画構成が着々進んでいる。    松岡の著作をつかった国語の試験問題が、2000 […]

  • 予告篇という愛すべき詐欺師たち OTASIS‐25 

    予告篇はあくまで遠くの“夜店”のようにつくってほしいのだ。 松岡正剛 千夜千冊第182夜『三分間の詐欺師』より    映画の予告篇がおもしろい。予告篇を見るのが大好きだ。とくに大手シネコンなどでは、作品上映前に […]

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025