演劇は「見立て」の宝庫だ[芝居と読書と千の夜:1]

04/24(金)10:31
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演劇:ナショナル・シアター・ライブ『リーマン・トリロジー

 

 

 驚いたことに、いままでのナショナル・シアター・ライブで一番混んでいた。カンバーバッチ主演の『ハムレット』以上だった。平日の昼間なのに両隣が埋まった。2月中旬のことだ。鈍感な僕ですら、そろそろ新型コロナが心配になっていた。そういえば、2年前に映画館で隣の人からインフルエンザをうつされたことがあった。そのことを思い出したとき、しばらく映画館や劇場に出入りするのは止めようと決めた。(その後、ちょっとだけ体調を崩して、完全に映画館や劇場には行けなくなった。新型コロナだったかどうかはもうわからない。)

 見ているあいだじゅう、僕にはその作品がなぜそれほど人気なのか全然わからなかった。だって、3時間もかけて、ある会社の歴史を延々と物語る舞台なのだ。本当にみんな、それが知りたいのだろうか。理由に気がついたのは家に帰ってから。演出が、映画『1917』や『アメリカン・ビューティー』を撮ったサム・メンデスだったのだ。監督人気ってスゴイのね。

 『リーマン・トリロジー』。完全なる悪役として歴史に刻まれてしまったリーマン・ブラザーズの三代記である。見終わった直後の感想は「飽きなかった」。いつも感服するのだが、優れた舞台は観客を飽きさせない技術がスゴイ。繰り返しになるが、リーマン・ブラザーズの社史という、最もマジメな部類のストーリーなのだ。それを楽しく見せてくれた、というだけで拍手を送りたくなる。

 

 1844年、ドイツ移民のヘンリー・リーマンが、アメリカ南部アラバマ州で小さな日用品店を始めた。そこに弟2人が加わって、リーマン・ブラザーズとなった。彼らは日用品店から脱皮して、地元アラバマの綿花を扱う商社となりニューヨークに進出し、南北戦争を乗り切ってビジネスを一気に拡大させた。さらに、2代目社長のフィリップが天才で、パナマ運河や鉄道などへの投資を積極的に行って、巨大投資銀行(証券会社)としての礎を築いた。

 ただ、1929年の世界恐慌で例に漏れず経営危機に陥り、盛り返す途上で第二次世界大戦時には軍事ビジネスに手を染める。3代目のロバートはアート好きの遊び人で、DEC(日本ではあまり知られていないが、1980年代まではIBMと並び称された世界的コンピュータ企業)に早くから投資するなど、先見の明があった。このロバートが1969年に死去したときに、リーマン・ブラザーズは家族経営を止める。リーマン・トリロジーの終焉だ。

 ただ、ロバートは晩年に「投機」の悪魔に手を出してしまう。彼が亡くなる前に新設した投機部門のトップはルイス・グラックスマンで、彼の後継者がリチャード・ファルドだ。リーマン・ショック当時のCEOである。つまり、3代目はリーマン・ショックの遠因を作って死んだのだ。

 

 以上がごくごく簡単なリーマン・ブラザーズの歴史である。このマジメな内容を、サム・メンデスが演劇としていかに料理したか。結論から言えば、彼はこれでもかというくらいに「見立て」を使った。

 予告編の映像を見てもらえばわかるとおり、この3時間の舞台には、たった3人のおじさんしか出てこない。この芸達者なおじさんたちが、リーマン3兄弟だけでなく、2代目も3代目もグラックスマンも、若者も子どもも女性も少女も、とにかくすべてを演じる。映画ではまずありえない「人の見立て」の多用である。なぜこうしたかといえば、「3兄弟がすべてを物語る方法が完璧だと思った」からだ。

 また、舞台装置はくるくる回るガラス張りのオフィスで、そこにあるのは机と椅子とソファと、大量の「バンカーズボックス(文書保存箱)」だ。この箱がさまざまな形に積まれて、日用品店の机になったり、法廷席になったり、商品になったり、バブル崩壊のシンボルになったりする。「箱の見立て」である。さらに、周囲のガラスには少しずつ文字が書き込まれ、歴史となって積み重なっていく。これも見立ての一種だ。

 こうした見立ての多さは、現代演劇の特徴の1つである。もちろん、1人1役で、きちんと舞台装置や小道具を用意する芝居も多いが、今はこうやって見立てを駆使する舞台が決して珍しくない。見立ては想像を促し、観客を引き込んでいく。3人のおじさんは、子どもや女性のモノマネをしては笑わせ、箱を自在に積んではオフィス内に新たな場をつくっていく。そういうのを挟みながら、リーマン・ブラザーズの歴史を飽きないように見せていくのだ。

 もちろん、それ以外にもいろいろと工夫があって、たとえば音楽はしばらく牧歌的な生演奏のピアノだけで、徐々にテクノ音が入ってくる。台詞は全体に詩的でリズム感に満ちており、Wikipediaを読むだけでは伝わらない何かを観客に必死で伝えようとしていた。

 

 あれだけ客が入っていたのだから、新型コロナのあれこれが終わったら、『リーマン・トリロジー』はたぶんアンコール上映されるのではないかと思う。落ち着いてから、ぜひ足を運んでください。

 

 さて、肝心のリーマン・ショックについて、まだ何も触れていない。次回はそちらへ。


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。