「まったく別の人生を送りたい」という危険で魅力的な欲望について[芝居と読書と千の夜:4]

05/17(日)11:24
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★映画:濱口竜介監督『寝ても覚めても』

★本:柴崎友香『寝ても覚めても』(河出文庫)

   マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者』

   (ハヤカワepi文庫)

   ポール・オースター『オラクル・ナイト』(新潮文庫)

   川上弘美『真鶴』(文春文庫)

   ミシェル・ウエルベック『セロトニン』(河出書房新社)

   中森弘樹『失踪の社会学』(慶應義塾大学出版会)

   松岡正剛『擬MODOKI:「世」あるいは別様の可能性』

   (春秋社)

★千夜千冊:1530夜『維摩経』

 

 

 前回の最後に、映画『寝ても覚めても』は、恋愛映画の皮を被ったカッコいいホラー映画だと書いた。カッコいいについてはすでに詳しく説明したので、今回は「ホラー」のほうである。

 

 

 映画を見て1~2週間ほど経ってから、柴崎友香さんの原作小説を読んで驚いた。何しろ、映画とはいろいろと違うのだ。しかも、いろいろ違うにもかかわらず、どっちもそれぞれに素晴らしいのだ。めったにないことだと思う。

 原作には、イプセンの『野鴨』も、東北の震災復興の話もまったく出てこない(震災復興が出てこないのは、2010年に発表された作品だから当然だ)。つまり、カッコいいと思ったことは、原作には書かれていない。それで僕は、自分をごまかしていたことに気づいた。結末で「カッコいい!」と思うことで、その前に「怖い!」と思っていた自分を無意識に隠蔽していたのだ。あるシーンを見たとき、確かにゾワゾワドキドキしていた。原作を読んで、それを思い出した途端、恐れの感情が蘇った。

 

 ここから先はネタバレになるが、僕が怖かったのは、ひとえに「主人公がさらわれるシーン」である。誰に? 白馬の王子様だ。ぶっちゃけてしまえば、この物語は「白馬の王子様に本当にさらわれてしまうというホラー」なのだ。僕はそう思っている(映画は、そこにカッコよさが加わる)。これ以上は書かないので、気になる方は映画か小説(もしよければどちらも)を楽しんでください。

 

 

 

 

 

 この恐れの感情が、連想を促した。まず思い出したのは、マーガレット・アトウッドの『昏き目の暗殺者』だ。これは、白馬の王子様に結局さらってもらえなかった物語である。ポール・オースターの『オラクル・ナイト』は、「まったく別の人生を送りたい」という自らの秘めた欲望を小説内小説として書くことで癒やされる小説家の話で、川上弘美さんの『真鶴』は、失踪した夫に置いていかれた妻の精神の軌跡。そして、ミシェル・ウエルベックの最新作『セロトニン』は、主人公自身が世界から蒸発する話だった。こうして、僕がこの半年のうちに読んだ小説が一本の紐で括られていった。

 『寝ても覚めても』を含めた5つは、同じ欲望を巡る物語なのだ。さらわれた人、さらわれない人、失踪しない人、夫が失踪した人、失踪する人。立場や視点はすべて異なるが、「まったく別の人生を送りたい(白馬の王子様にさらってほしい/失踪したい)」という欲望が絡んでいる点では共通している。これはいったい何なのか。

 

 

 その疑問を抱きながら、若手社会学者・中森弘樹さんの『失踪の社会学』を読んだ。この本で中森さんが立てた問いは、「なぜ失踪するのか?」ではない。逆だ。「なぜ私たちは『親密な関係』から離脱しないのか」、つまり「なぜ私たちは失踪しないのか?」である。

 失踪は決して流行っているわけではなく、現代的な問題ではない。それどころか、中森さんは「人間関係から能動的に離脱したいという志向の消失傾向」があると見ている。つまり、現代人はなかなか失踪しないのだ。しかし一方で、自殺は問題であり続けている。自殺するくらいなら失踪したほうがいいのではないか。それなのになぜ失踪しないのか。

 その問いに対して、中森さんはどう結論づけたのか。要約すれば、現代では「親密なる者への責任の倫理」が強まっており、自己責任論も高まっているため、僕たちは責任からどんどん逃れにくくなっている。失踪くらいでは責任から逃れられず、完全に逃れるには自殺するしかない。だから、多くが失踪より自殺を選ぶのではないか。そう言うのである。(ただし、中森さんは責任から逃れられる失踪の可能性も提示している。)

 全部に納得したわけではないけれど、中森さんの言いたいことはよくわかる。たとえば、親の介護に疲れ果てても、大多数はたぶん失踪しない。介護の必要な親を棄てるのは、罪には当たらないかもしれないが、倫理的にはかなり問題がある。失踪したら、間違いなく後ろ指を指されるし、本人も自責の念に駆られるケースがほとんどだろう。だから、介護疲れで本当に追い詰められたら、失踪ではなく自殺を選ぶ人が多いだろうと思われる。それが日本の現実だ。

 

 まとめると、最近の小説には「まったく別の人生を送りたい」という欲望がよく描かれるが、現実的に失踪する人は少ない。なぜか。身も蓋もない言い方をすれば、失踪は危険な割に利益が少ないのだ。でも、魅力的に見える。だから、物語には書かれるけれど、現実には少ないのだろう。さらに言えば、先に挙げた5つの物語のほとんどは、「本当に別の人生を送るのは、止めておきなさい」と言っているように読める。一例を挙げると、『セロトニン』の主人公は世界から蒸発した途端、重度のうつ病になってしまう。作者の皆さんは、失踪は魅力的に見えるが、実際は危険で利益が少ないことをよくご存知なのだと思う。

 それでも、現代を代表する小説家たちが、揃って「まったく別の人生を送りたい」欲望について描いているのだから、それを内に秘めている人はきっと少なくないのだ。たぶん世界は、「いまとは全然違う自分になりたい」という願いで満ち満ちているのだろう。かくいう僕も、白馬の王子様にさらわれるシーンでドキドキしたのだから、その願いが心のどこかに潜んでいる。

 

 

 ところで、松岡校長は「別様の可能性」という言葉をよく使う。著書『擬』の副題に、〈「世」あるいは別様の可能性〉と入れるほど重視するキーワードだ。これは「別の人生を送りたい」と一見似た言葉だが、実は両者はまったく異なる。それどころか、対義語だと言ってもよいくらいである。なぜなら、「別様の可能性=コンティンジェンシー」には、この欲望を抑える作用があると思うからだ。少々長くなるが、わかりやすい説明として千夜千冊1530夜の一節を引用する。

 

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 不二法門は、いいかえればコンティンジェントであるということです。コンティンジェントとは「別様の可能性をもっている」ということですから、二者択一を超えているのです。

 またたとえば、仕事がうまくいくか、いかないか。これを売上高でみればコトの黒白が決まるけれど、スタッフの働きぐあいやクライアントの学習ぐあいからすると、成功とも言えないし、失敗とも言えない。そういう仕事はしょっちゅうあります。でも、これを最初から効率のいい仕事ばかりを前提にしてしまうと、すべてがルーチン化して、市場や技術の動向による転換ができなくなりかねない。

 こういうとき、あらかじめ不二法門に入っておいて、そこから次を窺うようにする。そのほうがずっと高次になっていく。

 不二とは「2にあらず」ということです。2ではないというのは、2になったら1に戻るか、もっと多くの数に入ってそこから「不二」という新たな自信をもつか、それともふだんから2が来たら、どんな2も1、1というふうに、別の2が来たらそれも1、1と見るようにするか、このどれかです。

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 「まったく別の人生を送りたい」と思うのは、いまの人生が嫌だからだろう。自分の生活が理想とかけ離れているからだろう。しかし、夢のように思い描く理想の人生は、果たして本当に素晴らしいものなのだろうか。ユートピアは本当にユートピアなのだろうか。

 理想と現実を2に分けずに、1に戻したり、もっと多くの将来を想定したりはできないだろうか。理想と現実のあいだに、新しい道を見出すことはできないだろうか。そうやって別様の可能性を追求していけば、僕らは「まったく別の人生を送りたい」という危険で魅力的な欲望から、少しずつ身を離すことができるのではないだろうか。


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。

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