今日もマゾヒストたちは「国家暴力」に喜悦する[芝居と読書と千の夜:6]

06/13(土)16:33
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★演劇:elePHANTMoon『爛れ、至る。』

 

★本:明星聖子『カフカらしくないカフカ』(慶應義塾大学出版会)

   種村季弘『ザッヘル=マゾッホの世界』(平凡社ライブラリー)

   ジョン・K・ノイズ『マゾヒズムの発明』(青土社)

 

★千夜千冊:0586夜 レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホ

    『毛皮を着たヴィーナス』

    0492夜 ルネ・ジラール『世の初めから隠されていること』

 

★演劇:KAAT×ケラリーノ・サンドロヴィッチ

   『ドクター・ホフマンのサナトリウム ~カフカ第4の長編~』

 

 

 

 冒頭で断っておきます。今回は変態様の話ではありますが、エロはほとんどありません。ご安心を(?)。

 

 劇場を何年も巡っていると、たまにとんでもないものにぶち当たることがある。2015年に見た、elePHANTMoonという劇団の『爛れ、至る。』はその1つだ。「SMプレイ」がテーマの演劇で、というか、ほとんどSMそのもので(笑)、何人かのM男が舞台上で女王様にゆっくり丁寧に緊縛されていき、バラ鞭で何度もぶたれた挙げ句、奴隷と化していくさまを克明に見せつけられた。「いったいいま何を見ているのだろう」という感じがこれほど強かった芝居は他にほとんどない。見終わった後の率直な感想は、「自分はMじゃないんだな」だった。彼らと同じ目に遭いたいとはまったく思わなかった。興奮や悦びはなかった。ただ見ていて疲れただけだった。そのことを身体的に実感できただけでも、観劇の価値は十分にあったのかもしれない。筋書きは忘れてしまったが、SMのシーンは良くも悪くも記憶から離れない。

 

 

 というわけで(?)、今回紹介するカフカの先輩とは、レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホである。マゾッホは、SMの「M=マゾヒズム」の元祖としてつとに有名だが、どういう人だったのかはあまり知られていないように思う。僕も知らなかったのだが、先日、明星聖子さんの『カフカらしくないカフカ』を読んでいたら、気になることが書いてあった。

 

 

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 カフカのこの『変身』が、レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホの『毛皮のヴィーナス』(1870年)に範をとっていることは、1970年に指摘されて以降、すでに研究者の間で繰り返し検討されてきた。

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 さらに2つのテクストの共通点として、次の点が挙げられている。

 

  • ●『変身』の主人公の名前はグレーゴル・ザムザだが、ザムザという名前がザッヘル=マゾッホのアナグラムである。
  • ●『毛皮のヴィーナス』の主人公セヴェリーンが愛人ワンダの奴隷になってから名乗る名前が、グレーゴルである。
  • ●あちらのグレーゴルは愛人の足元に虫けらのように這いつくばり、いっぽうこちらのグレーゴルは実際に虫になって床に這いつくばっている。

 

 なるほど、説得力がある。カフカはマゾッホに影響を受けていたようだ。それで調べ始めた。(なお、『変身』とマゾッホの詳しい関係についてはぜひ『カフカらしくないカフカ』を。この本は、すべてのカフカ好きに自信をもってオススメします。)(追伸:この文章を書いたところ、エディスト編集部の金さんが、グレーゴル・ザムザの部屋には「毛皮の帽子と毛皮の襟巻をつけた女の像」の絵が飾ってあると教えてくれた。確かにあった。)

 

 

 種村季弘さんの『ザッヘル=マゾッホの世界』によると、マゾッホは1836年、オーストリア帝国(※まだオーストリア=ハンガリー帝国ではない)の北の端、ガリツィアに生まれた。現在のポーランド南部だ。その後、警察署長の父の転勤によって、彼の一家は1848年プラハに移り、さらに1853年オーストリアのグラーツに引っ越す。マゾッホは、しばらくグラーツで暮らした後、ウィーン、グラーツ郊外、ハンガリー・ブタペスト、ドイツ・ライプツィヒ、フランス・パリ、ドイツ・フランクフルト近郊などを転々として、1895年に死ぬ。カフカと違って遊牧民のように住処を変えた。そして、カフカが生まれる35年前、10代の頃に5年ほどプラハに住んでいた。なお、ザッヘル一族はスペインから来たことになっているが、よくわからないらしい。いずれにしても、オーストリア帝国のさまざまな血が混じっている。

 

 種村さんの評伝を読む限りでは、マゾッホのマゾヒズムには、少年時代の3つの記憶が影響しているようだ。

 

①たくましく強い乳母から聞かされた、女が男を痛めつける血腥いフォークロア。ごく日常的な場面でも女性が夫なり恋人なりに対して絶対の支配的位置を保持する、スラヴの異様な女性上位の民俗。そして、10歳のときに叔母と美少年の抱擁を覗いてしまい、それが見つかって罰として叔母から鞭打たれた体験。このときすでにマゾッホは鞭の痛みに快感を覚えたと告白している。

 

②1846年、マゾッホ少年は「ガリツィアの虐殺」を目の当たりにする。ガリツィアの虐殺とは、オーストリア軍がガリツィアの中心都市・クラクフでポーランド農民の叛乱蜂起を弾圧した事件だ。そのとき「騒乱の坩堝となった都市の真只中に、しかも血の弾圧の司令中枢たる警察署長の家に居合わせた少年が、46年の叛乱の記憶に無傷であったはずがない」と種村さんは言う。

 

③1848年、プラハに移り住んですぐに、ヨーロッパで「1848年革命」が起こる。イタリア・フランス・オーストリア・ドイツなどで次々に飛び火して起こった民族主義革命である。前回、カフカの時代の民族独立運動に触れたが、19世紀中盤からすでに、ヨーロッパでは民族主義が台頭しつつあった。チェコも例外ではなく、6月にプラハで民族主義者が蜂起して内戦となる(プラハ聖霊降臨祭蜂起)。マゾッホ少年はその市街戦にも立ち会ったようだ。

 

 ①がマゾヒズムの要因や芽生えになっているのは当然として、なぜ②③も関係するかというと、実はマゾッホは、マゾヒズムの構造に当時の社会情勢を反映していたからである。

 

 

 ジョン・K・ノイズの『マゾヒズムの発明』によれば、マゾッホは、ハプスブルク帝国落日の東欧におけるひどい社会的不正と暴力に強い関心を持っていた。実は、マゾッホはそもそも歴史学者であり、その後に歴史小説家となった。「マゾヒズムという用語が発明される以前のザッヘル=マゾッホは、歴史的色彩の濃い短中編小説の定評ある作家であった。彼の作品のほとんどは、社会的不安、混乱、反乱といった問題について漠然としたリベラルな関心を表現しながら、東ヨーロッパとオーストリア=ハンガリー二重帝国における政治闘争を扱ったものである」。

 ただ、マゾッホの歴史の描き方はとても変わっていて、政治闘争を男女の性的闘争に置き換えて表現した。マゾッホにとって、「性的権力について語ることは政治権力について語ることと同じことであった」のだ。

 

 たとえば、『毛皮のヴィーナス』では、主人公セヴェリーンが、愛人=女王様のワンダと契約を結んで虐めてもらうわけだが、こうすることで「マゾヒズムの契約は、法律が拠って立つ暴力をドラマ化する」。どういう意味かというと、セヴェリーン自身が民族主義の闘士の役となり、ワンダの暴力によって女王様=国家の弾圧を体験している、ということらしい。

 つまり、マゾッホは単にマゾヒズムの被虐趣味や快楽だけを描いたのではなくて、そこに帝国が民族主義者たちを弾圧してきた歴史を、自分が少年時代に間近で見た叛乱と鎮圧の光景を投影したようなのだ。ノイズは、これを「リベラルな法律のリベラルなパロディ」と呼んでいる。彼の読みでは、マゾヒズムは国家暴力のパロディだ。

 

 ノイズは、こうしたマゾヒズムの特徴を、グレゴリー・ベイトソンの「メタ・コミュニケーション」という概念で説明する。メタ・コミュニケーションとは、簡単に言えば「ごっこ遊び」のことだ。たとえば、仲の良いサルやネコがじゃれながら噛みつき合ったりすることがよくあるが、彼らはそれを遊びと認識しているので、攻撃されたとは思わない。マゾ行為も、それらと同様のメタ・コミュニケーションだという。

 そこで重要なのが「契約」である。実は、「ザッヘル=マゾッホのマゾ場面における支配をコントロールするのは、女王様の欲望ではなく、契約上の合意である」。つまり少なくともマゾッホのSMでは、女王様と契約して全体をコントロールするのは、あくまでもM男のほうなのだ。なぜなら、そうしないと暴力がごっこ遊びにならないからだ。SMが遊びとして成立するためには、契約によるコントロールが欠かせない。

 

 以上をまとめると、マゾッホにとって、SMは「帝国弾圧ごっこ」だったのである。マゾッホは、歴史を描く歴史家という以上に「歴史を体感する歴史家」だったのだ。マゾ行為に興じながら、彼は日々、帝国の暴力の記憶を身体に刻んでいた。オーストリア帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の暗い歴史を快感に変換して遊んでいたのだ。

 

 さらに言えば、彼は、もっと古くからある暴力の歴史を鞭打たれていた、と見ることもできる。その根拠は、千夜千冊0586夜に書かれている。

 

 

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 実は『毛皮を着たヴィーナス』という作品は、ザッヘル=マゾッホの構想の第1部にすぎなかった。この哲人は、もっと大きな『カインの遺産』というシリーズを考えていた。カインとは人類の誤作動の起源を物語る出発点に立つヨーロッパ的神話的人格の発祥のことである。ザッヘル=マゾッホは「人間の当初における倒錯」をこそ主題にしたというべきなのだ。

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 旧約聖書の「カインとアベルの物語」は、どこかで見聞きしたことがあるだろう。神ヤハウェが弟アベルの供物に目を留め、兄カインの供物を無視したために、カインはアベルを恨んで殺す。それを知ったヤハウェが、カインをエデンの東へ追放するという話である。ルネ・ジラールによれば、この物語は「世の初めから隠されていること」の西洋的ルーツだ。千夜千冊0492夜の一節を引用する。

 

 

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 世の初めから隠されたこと、それは暴力の正体と欲望の本質だったわけである。暴力と欲望そのものを隠したのではない。その疾しい野性を隠して新たな正当性をかぶせ、そこに市場と国家を、制覇と戦争を組みあげた。こうして歴史が始まったのだった。歴史とはそういうものだったのだ

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 詳しくは0492夜の全体を読んでいただくのがよいのだが、世の初めから隠されたこととは、暴力と欲望の野生であり、市場・国家・制覇・戦争の根っこである。『毛皮のヴィーナス』が『カインの遺産』シリーズの一部として構想されていた、ということは、マゾッホは自分が描いたマゾ行為の物語が、単に帝国の暴力だけでなく、いにしえから続く「暴力と欲望の野生」につながっていることを自覚していた、ということだ。

 こんな風変わりで興味深い歴史家、他にいるのだろうか。この人は、世の中に知られているのとは別の意味で、ある種の天才だと思う。

 

 以上の考察が当たっているのなら、現代のマゾヒストの皆さんは、本人がまったく預かり知らないところで、今日も「国家暴力」を全身に浴びて喜悦している、とも言えるだろう。もちろん、「遊びとしての国家暴力」ですけどね。と、ここまで考えてきたけれど、僕はやっぱりSMには興味が持てませんでした。

 

 最後に、前回少しだけ触れた『ドクター・ホフマンのサナトリウム』の拷問機械のシーンについて。拷問機械とは、カフカの短編「流刑地にて」に出てくる、グロテスクでおかしな器具なのだが、この舞台では扱われ方が少々違い、女性たち(麻実れいさんと緒川たまきさん)が命令して、兵士たち(音尾琢真さんと武谷公雄さん)を拷問機械にかける構図になっていた。女王様とM男の関係だ。しかし、「流刑地にて」にその構図はない。僕は、ケラさんは意図的にSMを持ち出して、カフカとマゾッホの関係を示唆したのではないかと勘ぐっている。あのお芝居はまだまだ奥がありそうだ。


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。