★千夜千冊:1542夜 ナタリー・サルトゥー=ラジュ『借りの哲学』
キリスト教徒は
神に対して返すことのない負債がある
(8から続く)ヨーゼフ・ロートはなぜこんな話を書いたのか。1つは、晩年の彼自身がアル中ですでに健康を害しており、金も尽きかけ、まさにアンドレアスになりかけていたからだろう。この小説は次の一文で締められる。「神よ、われらすべてのものどもに、飲んだくれのわれら衆生に、願わくは、かくも軽やかな、かくも美しい死をめぐみたまえ」。ロートはおそらく、自分なりの理想の死に方を書いたのだ。明るく楽しく、かつ陰鬱に。
もう1つは、神の存在、つまり「キリスト教」が大きいだろう。アンドレアスは聖テレーズにお金を借りるわけで、それを返せないというのは、キリスト教の神に対する「返すことのできない借り」「返すことのない負債」を示している。『借りの哲学』でも、たびたびキリスト教が取り上げられる。たとえばこんな感じだ。
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ニーチェによると、キリスト教における《贈与》の論理は、実のところ《負債》の論理なのである。キリスト教における「慈愛に満ちた神」の裏には、「恐るべき債権者」が隠れている。神は息子であるキリストを犠牲に捧げる代わりに、人間に《返すことのない負債》を押しつけ、自分を信じる者たちを「永遠の負債者」に変えてしまった――ニーチェはそう言うのだ。
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アンドレアスが400フランを返さないまま死んでゆくのは、まさにニーチェの考えに合致する。彼はキリスト教に対する「永遠の負債者」として死ぬのだ。それが痛々しくもあり、美しくもあり、なんだか羨ましくもある。映画でも小説でも、僕は同様の感想を持った。
もう少し奥を推測すれば、キリスト教徒としての永遠の負債者の自覚があるからこそ、アンドレアス(=ロート)は貸し借りの機微に詳しいのだ、と思う。その証拠に、一緒に遊んだ若い女に金を盗まれた後、彼はこう考える。「おたのしみには相応のお返しがいる、十分たのしんだのだから、当然の払いをしたまでのこと」。彼は、足りていない人には与えるのが当然だと考えているのだ。だって、そもそも自分は神様に借りつづけているのだから。
ところで、聖テレーズとは誰か。彼女は古めかしい聖女ではなく、19世紀に実在したカトリックの修道女だ。菊地多嘉子『リジュのテレーズ』(清水書院)によれば、リジュのテレーズ・マルタンは、1873年に生まれ、1897年に結核で死んだ。そのときはまだ、24歳で早逝した無名の修道女だった。ところが、それから数カ月もたたぬうちに「栄光の旋風」が世界を揺り動かし始めた。テレーズが病床で書きつづった回想録『一つの霊魂の物語』が瞬く間に広まって、やがて35カ国語に翻訳され、1915年には抄訳も含めて82万部が購読されたのだ。教皇ビオ11世は1925年に、テレーズを聖人の列に加えた。帰天して30年もたたぬうちに聖人の位に挙げられるのは、稀有の出来事だという。
こんなことを言うと、カトリックの皆さんに怒られるのかもしれないが、僕には聖テレーズが「アイドル」のように見える。ロートが、借金を返す相手にマリア様などではなく聖テレーズを選んだのは、これが伝統的なキリスト教信仰の話ではなく、現世的で庶民的なかわいらしい物語だ、ということを意味しているように見えるのだ。実際、『聖なる酔っぱらいの伝説』は、愛すべき貧乏人が借りたりおごったり盗まれたり、返せなかったりするだけの話なのである。ただし、その裏にはキリスト教がはっきり横たわっている。
エチオピアでも周囲に分け与えないことは
「うしろめたさ」につながる
借りを返せないことは、「うしろめたさ」につながる。アンドレアスが、なんとかして聖テレーズにお金を返そうとしたのは、一言で言えば、うしろめたかったからだろう。千夜千冊1747夜・松村圭一郎『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)は、生きる上で感じるうしろめたさにまつわる一夜だ。
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いろいろエチオピアのことが書いてある。たとえば著者が最初にエチオピアの首都アディスアベバに入って驚いたのは、「物乞い」が多いことだったようだ。町の交差点で車が停まると、赤ん坊をかかえた女性や手足に障害がある男性が駆け寄ってくる。「マニー、マニー」と言われるのだが、日本人はお金をほどこすということに慣れていない。
子供たちも多い。著者はポケットにガムを入れておくようにした。なぜお金ではなくて、ガムなのか。そうしないと、なんだか「うしろめたい」のだ。けれども、なぜそうなるのか、そんな単純なことが説明できない。
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エチオピアの村ではコーヒーを飲むときに、きまって隣り近所の人を招くらしい。エチオピアはアラビカ種のモカの原産地で、有数のコーヒー産出国である。みんなもコーヒーが大好きだ。それなのに一人や家族ではめったに飲まない。そんなことをしたら「あそこは自分たちだけでこっそりコーヒーを飲んでいる」と陰口をたたかれる。
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エチオピアでは、周囲の満ち足りていない人にガムやコーヒーを分け与えないと、陰口を叩かれたりして、うしろめたさを感じることになるという。つまり、(本書ではそこまで書かれていないけれど)エチオピアでは、おそらく「借りの哲学」が生きているのだ。借りの哲学は、どうやらキリスト教圏だけでなく、世界のさまざまなところに息づいているらしい。
借りやうしろめたさの感情が
社会を心地よくしている面がある
さてそこで、ここまで読んでくれたあなたに質問。あなたの人生は、「借り」と「うしろめたさ」ばかりの人生ですか? 僕はそうです。貸しもいくつかつくってきたかもしれないけれど、基本的にはいろんな人から借りてきた人生です。
それから、日常的にうしろめたさを感じることは多いです。つい数日前も、とあるカフェでこの文章の構想を練っていたら、真新しい木の机に青ペンのインクを少しつけてしまい、取れなくなってしまいました。ささいなことかもしれませんが、小さなうしろめたさを覚えました。そんなことはしょっちゅうです。
おおげさに言えば、借りやうしろめたさを感じることが、生きることのある程度を占めていると思います。それは悪いことじゃない。だって、借りとうしろめたさがあるから、ヒトは何かしら世間に返そうとするのですから。そうしたネガティブな感情が、社会を心地よくしている面が少なからずあると思います。『聖なる酔っぱらいの伝説』は、そういうことを考えてしまう映画でした。
米川青馬
編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。
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