★千夜千冊:1176夜 安田登『ワキから見る能世界』
前回の続きで、ヨーゼフ・ロートの『ラデツキー行進曲』とEUについて書こうと思ったのですが、なかなか書けずに滞ってしまいました。そちらはいったんお蔵入りにして、お芝居と読書と千の夜、本筋に戻ります。
演劇界は、全体的に知名度が低いです。現役の劇作家・演出家でいうと、岩松了さん、渡辺えりさん、野田秀樹さん、宮沢章夫さん、鴻上尚史さん、平田オリザさん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん、松尾スズキさん。以上の方々を知っている方は比較的多いかな、と思いますけど、その下の世代は不当なほど知られていない気がします。有名なのは、宮藤官九郎さんくらいでしょうか。まあ、皆さんテレビ主体でやってませんから、当然なのかもしれませんが、それにしてもという感じがします。
今日はその下の世代の先頭集団の1人、岡田利規さんとチェルフィッチュのことを書きたいと思います。
たぶんいま世界で最も有名な日本の演劇人の1人
岡田利規さんは、チェルフィッチュという劇団を主宰しています。2005年に『三月の5日間』という演劇で注目を集めて以来、ずっと日本の演劇界の第一線を走っています。いや、「世界の演劇界」と言ったほうがいいかもしれません。というのは、僕が見始めたのは2012年からですが、その頃にはすでに、作るごとに世界ツアーを展開するような劇団になっていたからです。岡田さんは2016年から、ドイツの公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品の演出を3シーズンにわたって務めたりもしています。また、2019年には、タイの役者たちとともに、タイの小説家ウティット・ヘーマムーン原作の『プラータナー:憑依のポートレート』を舞台化しました。たぶんいま、世界で最も有名な日本の演劇人の1人だと思います。
今日、メインで触れたいのは、その岡田さんの『『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊』という作品です。もともとは2020年6月にリアルで上演される予定だった『未練の幽霊と怪物』の一部を、ZOOMを使ったオンライン演劇に仕立て直したもの。ちょうど緊急事態宣言下だったこともあり、メンバーは一度も直接会うことなく、それぞれのリモート環境下でワークショップやリハーサルを行ったそうです。なお、上映は6月の2回のみで、残念ながらいまは見ることができません。
すでに脚本が出版されているので、詳しく知りたい方はそれを読んでもらうとよいのですが、『未練の幽霊と怪物』は、能「挫波」と能「敦賀」の2つの作品から成っています。そう、これは「能」なんですね。とはいえ、セリフは現代の日本語です。また、チェルフィッチュの演出は、一言でまとめると前衛的な現代口語演劇で、本来の能の演出法とはまったく異なります。(ちなみに、チェルフィッチュの演出は面白くて、毎回違うので簡単には説明できないんですが、たとえば斜めに傾いたまま話したり、クネクネ踊りながらセリフを繰り返したりします。初めて見るとちょっと驚くかもしれません。)
ちょうど僕が見始めた頃からだと思いますが、チェルフィッチュは、「世界に日本を見せる劇団」になっていきました。たとえば、2012年の『現在地』や2013年の『地面と床』は、東日本大震災についての演劇でしたし、2014年の『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』は、日本独特のコンビニを紹介する演劇でした。おそらくは日本を見せる方法の1つとして、能が取り入れられたのだろうと思います。僕が知る限りでは、2016年の『部屋に流れる時間の旅』には能の形式が入っており、主人公の男(ワキ)に対して、東日本大震災直後に死んだ元妻の幽霊(シテ)がほとんど一方的に思い出を語ることで、東日本大震災を過去として扱いはじめた僕らのことを表していました。
ところで、僕が最近気になっている言葉の1つに、菊地成孔さんが唱えている「超欧米化(欧米文化の家畜化)」があります。僕なりに理解すれば、欧米のアートの方法論に熟達して「家畜」化した上で、そこに自分らしさや日本らしさを乗せていくのが、超欧米化だと思います。菊地さんはその代表者として米津玄師さんやKing Gnuを挙げていますが、僕は、岡田利規さんこそ、演劇界からいち早く超欧米化を進めてきた日本の先駆者の1人だと捉えています。
その岡田さんの新作『未練の幽霊と怪物』は、『部屋に流れる時間の旅』よりも明確かつ直接的に、能の作品になっています。ごく簡単に言えば、複式夢幻能の形式を使って、ザハ・ハディドと彼女が設計した幻のスタジアム(「挫波」)、高速増殖炉もんじゅ(「敦賀」)の無念、残念をそれぞれ供養する、というのがその内容です。
なお、複式夢幻能とシテ、ワキのことを詳しく知りたい方は、1176夜 安田登『ワキから見る能世界』をお読みください。
カフェのテーブルを舞台として使う「見立て」の勝利
というわけで、本題です。
僕は2020年の春~夏に、いくつかのZoom演劇を見ましたが、そのなかで『『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊』は抜群でした。
何が素晴らしかったのかというと、僕が最も感動したのは「見立ての舞台」を用意したことです。実際の作品を見てもらえないので、想像してもらうほかにないんですが、この作品は、「カフェ(たぶん劇場1Fのカフェ)のテーブル」を舞台に見立てたんです。作品の映像は固定カメラで、中央にテーブルがありました。その小さなテーブルの舞台の上で、もっと小さな演者たちの映像が演じたのです。
少し詳しく説明すると、まず何もないテーブルの上に、白い紙で作られた、スタンドミラーを小さくしたような縦長のスタンドスクリーンがいくつか置かれました。すると、そのスクリーンに一人ずつのZoom映像が映され、その場で演じたり演奏したりしたのです。新たな演者が登場する際には新たなスクリーンが加えられ、演者がはける際にはスクリーンが取られる、という仕組みでした。そうすると、スクリーンの範囲内であれば、Zoom映像の中で自由に動くことができます。もちろん、スクリーンをはみ出すことはできないんですが、今回の演目は能なので、立ち位置からあまり動かなくても成立したというわけです。
説明すると、いたってシンプルな仕組みですが、僕はそのことにいたく感動しました。なぜなら、その工夫だけで「演劇性」をかなり感じることができたからです。仮の舞台であっても、舞台に演者が立ちさえすれば、僕らはZoom映像でも、ある程度の演劇らしさを味わえる。そのことがよくわかりました。カフェのテーブルを舞台に見立てるだけで、Zoom演劇は演劇にけっこう近くなるんです。
一方で、僕が見たZoom演劇のほとんどは、Zoomをそのまま使っていました。正直に言うと、僕はいつもその時点でいくらか興ざめしました。だって、Zoomって、仕事で頻繁に使うツールじゃないですか。日常感が強すぎます。僕にとって、演劇は「非日常」を味わいに行くところ。日常と切り離されるからいいんです。Zoom演劇の大半は、その欲求を満たしてくれませんでした。これでは内容がいくら良くても、そう簡単には満足できません。もちろん皆さん、非常事態のなか1、2カ月で用意したわけで、仕方がないことだとは思っていますが。それに最初のうちはZoomに物珍しさがあったから、そのまま使ってもよかったのかもしれません。でも、オンライン会議が当たり前になった今では、僕と同じように感じる方がけっこう多いんじゃないかという気がします。
その点、『『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊』は明らかに違いました。岡田さんは、たった1、2カ月で、Zoom演劇の正解の1つにたどり着いた(※当然、正解は他にもあると思います)。これはスゴイことだと思います。
さらに面白かったのが、そのカフェが1Fで、テーブルの向こう側の窓の外に、スーツ姿のビジネスパーソンやラフな格好の若者たちが通り過ぎていくのが見えたことです。この通行人たちは、テーブル上の役者たちの映像と比べて、巨人のように大きい存在でした。そのために、まるで小人たちが、紙のスクリーンの上で密かに何か儀式を行っているかのような異化効果が生まれたんですね。劇場ではありえないことです。
それから、撮影したのが夕方で、演じているうちに日が暮れていき、終わったときには外の背景が真っ暗になっていたのもステキでした。これも野外劇場を除けば起こりえないことです。さらにはテーブルの後ろにカレンダーがかけてあり、「いまここ」であることを指し示していました。とにかくあれこれ用意周到で、すべてが内容を引き立てていた。劇場でないことを、むしろ十二分に生かしていました。いま思い出しても、いい時間でした。ああ、もう一度見たいなあ。
米川青馬
編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。
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