自分が自分のまま、別の何かになること[芝居と読書と千の夜:13]

2021/02/13(土)10:56
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★映画:濱口竜介『ハッピーアワー』

        『寝ても覚めても』

 

★本:濱口竜介・野原位・高橋知由
   『カメラの前で演じること』(左右社)

 

 

アマチュア役者ばかりの傑作映画

 

 羨ましい。撮られたい。僕もこの監督、このチームの映画に出てみたい。映画を見て、そんなふうに思ったのは初めてだった。

 

 濱口竜介監督の『ハッピーアワー』を、ようやく見ることができた。2015年の映画だが、商業映画ではないためか配信されていない。長らくブルーレイを買うほかに見る方法がなかったのだが、2020年~2021年の年末年始、東京では5年ぶりにイメージフォーラムでリバイバル上映があった。なんとか最終日に滑り込んだ。(ただ、3部構成で全部見るのに3000円以上かかったので、冷静に考えるとブルーレイでよかったのかもしれません。いまから見たい方はぜひブルーレイを入手してください。

 

 

 ストーリーも映像もすばらしいのだが、この映画の最大の特徴は「役者のほぼ全員がアマチュア」だ、ということだ。もう少し正確に書くと、メインキャストの17名は「即興演技ワークショップin Kobe」の参加者で、そのうち主演女優4名を含む2/3は過去に演技経験がなかった。彼女たちは約5カ月間、23回のワークショップを受けただけで『ハッピーアワー』に出演し、主演女優4名はロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した。
 平たく言うと、演技経験のないアマチュア役者の方々が、たった数カ月のワークショップを経て、有名国際映画祭でいきなり賞を獲っちゃったのである。そんなことが世の中にはあるのだ。

 


唐田えりかの謎

 

 同じ濱口監督の『寝ても覚めても』については、昨年の春頃、この記事この記事で詳しく触れたが、書かなかったこともある。そのひとつが「唐田えりかの謎」だ。
 『寝ても覚めても』に出たとき、唐田さんは初主演どころか、ほぼ初演技だったという。他の役者さんたちが経験豊かなこともあって、彼女の存在は初々しく浮いていた。ところが不思議なことに、足を引っ張っている感じはまったくなかった。それどころか、主役としてきちんと中心に立ち、難しい役を演じきっていた。「初々しく浮いているけど、演じきっている」役者など、これまでに見たことがなかった。もちろん周囲のサポートがあってのことだろうけど、それにしても驚いた。

 

 

 『ハッピーアワー』を見て、さらに驚いた。簡単に言うと、彼女たちは全員、唐田えりかだったのだ(※時系列で言えば逆で、唐田さんが彼女たち、なんですけどね)。プロの役者とは違うのだが、見事に演じきっていた。実は『ハッピーアワー』は5時間以上の長編映画なのだが、違和感や飽きをほとんど感じることなく見終えることができた。脚本や映像の力だけでなく、役者の力があったからだ。彼女たちは、本当に実力で最優秀女優賞を獲得したのだ、と感じた。それほどリアルで魅力的で、映画のなかで生きていた。
 こうなると、魔法使いは濱口さんとチームなのだ、と思わざるをえない。もちろん、彼女たちの魅力や資質は絶対に欠かせないのだが、魅力や資質を見抜いたことも含めて、濱口さんたち独特のマジックが気になった。

 

 ※なお、「彼女たち」は、主に主演女優4名+唐田えりかさんのことを指しますが、俳優たちも含みます。「彼ら」が女性を含むように、この「彼女たち」は男性を含みます。『カメラの前で演じること』がそのように書かれているので、僕も準じることにしました。女性のことばかり書いていると思われると癪なので、俳優陣にも少し触れておきます。4名の主演女優に対して4名の俳優が相対しているのですが、彼らの「味」なくしては、この映画は成り立ちません。それぞれに良い味を出しているのです。特に、公平役・謝花喜天さんの終盤の怪演には引き込まれました。

 


自分自身の最も深い恥によって
自分自身を支える

 

 マジックの一部始終は、イメージフォーラムの窓口で手に入れた『カメラの前で演じること』(左右社)に書かれていた。濱口さんたちが書いた『ハッピーアワー』のテキスト集成だ。本書の後半は脚本とサブテキストで、前半の「『ハッピーアワー』の方法」は全部で60ページほどなのだが、方法の開示が濃密で一層驚いた。

 

 

 ワークショップでの「キャラクター・インタビュー」や「インタビューゲーム」、サブテキスト「17の質問」「キャラクターの歴史・関係」、脚本の改稿、本読みの繰り返し、役者の選考基準など、映画づくりの工夫とプロセスのすべてが興味深かったのだが、何よりも濱口さんの演技に対する考え方に惹かれた。長くなるが、2つの文章を引用する。

 

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 カメラが仮借のない吟味の機械であることを理解してその前に立つとき、究極的に自分に突きつけられるのは「本当に恥ずかしいことは何か」という問いです。もっと踏み込んで言えば、社会の目を想定するのではなく、「自分自身にとって」本当に恥ずかしいことは何かが問われている、ということです。ここで要求されているのは、恥を捨て去ることではないように思えます。自分自身の最も深い恥によって、自分自身を支えること、助けることです。このとき、恥は役柄と自分を切り離すのではなく、最も深い部分で互いを強くつないでくれるのではないか、という気がします。
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 演じる際に「恥を捨てる」ということは即ち「彼女は私ではない」と断じることだ。このとき、演者と役柄は切り分けられてしまう。そこでは演技にとって本質的なパラドクスが生きられない。目指されているのは、あくまで「彼女は私ではない。かつ、彼女は私でしかない」というこの不可能な両立を実践することだ。「自分が自分のまま、別の何かになる」と言ってもいい。それは当然起こり得ないのだが、万に一つ起こり得るとしたら、それはたった一つの場所において起こる。演者が自身の「最も深い恥」に出会う場だ。社会の目でなく、ただ自分自身による吟味がなされる場だ。それは日常には現れない自分自身の深部として「はらわた」と呼ぼう。求めていることがそこでしか為され得ないのであれば、演者を「はらわた」へと導くように準備するしかない。
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 腑に落ちた。彼女たちは、自分にとって最も恥ずかしい部分をカメラに晒しながら、「自分が自分のまま、別の何かになる」ことを目指していたのだ。極論すれば、それができたら、役者として演じきれるのだろう。もちろん、言うは易し行うは難しで、決して簡単なことではないはずだ。しかし、彼女たちは周囲のサポートを得て、やってのけたのだ。結果は見ての通り。

14へ続く)


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。

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