義経は平和のはかなさを体現する[芝居と読書と千の夜:20]

2021/06/09(水)10:46
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★演劇:木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』

 

★本:橋本治・岡田嘉夫『義経千本桜』(ポプラ社)

   兵藤裕己『平家物語の読み方』(ちくま学芸文庫)

 

★千夜千冊:1420夜 小島毅『義経の東アジア』

 

 

 風呂敷を広げすぎたので、一気に畳みます。『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』のギュギュッと解説、まいります。(※といいつつ、長くなったので記事を二つに分けました。もうちょっとだけお付き合いください。)

 

☆☆☆お勧めオンライン舞台 その3☆☆☆

チェルフィッチュ『三月の5日間 リクリエーション』(無料)

 

 …っとその前に、以前こちらの記事で触れた「チェルフィッチュ」の映像を紹介しちゃうんですけど~。『三月の5日間』は~、日本の演劇を変えたといわれるお芝居で~、まちがいなく日本演劇史に残るヤツなんですけど~。初演は2004年で~、この映像は2017年のリクリエーション版ですけど~。こんな感じのしゃべり方ですけど~、意外と奥があるんですけど~。全然関係なさそうですけど~、実は『義経千本桜』ともつながりがあると思うから~、ちょうどいいかなーと思って~。

 


平家の幽霊、返り討ちに遭う

 

 気を取り直して、あらすじからお話しします。まずは千夜千冊1420夜(小島毅『義経の東アジア』)の一節をお読みください。

 

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 文治一年(一一八五)、平家は壇ノ浦に沈んだが、都での義経の評判の高揚や人気にくらべ、その勝利は関係者たちにはまったくよろこばれなかった。梶原景時の讒訴が迎え、頼朝からは勘当された。
 平家滅亡が三月二四日で頼朝の勘当の達しが五月四日だから、わずか一ヵ月あまりで義経は嫌われたわけだ。そこでともかくは兄のいる鎌倉に行こうとするのだが、その手前の腰越で差し止められた。このとき江ノ島近くの満福寺で書いたのが有名な「腰越状」で、大江広元に兄へのとりなしを頼んだ手紙だ。のちの寺子屋で手習いにされるほどの名文と書風だが、弁慶が下書きしたとも伝わっている。
 腰越状に対する頼朝の返事は「そのまま京都に帰れ」というもので、冷たい。のみならず所領二四ヵ所を没収した。ここに至って義経は兄との対決もやむないと感じ、叔父の源行家らとともにあらためて後白河法皇に接近し、頼朝追討の院宣を獲得する。これでもう引き返しはなくなった。
 頼朝も土佐坊昌俊に義経が依拠する堀川を襲撃させ、これが失敗すると、ついでは大軍を率いて義経を討ちにかかった。なんとか九州惣地頭に補任をもらった義経はたまらず西国に向かうのだが、十一月六日、大物浦で出帆したのち、嵐のなかで和泉の浦に漂着したという噂をのこしたまま、消息を絶った。六日後、今度は頼朝が義経追討の院宣を得るものの、義経の行方は杳としてわからない。吉野山にいるらしいということになり、そこを襲うのだけれど、捕まったのは静御前だけだった。歌舞伎『義経千本桜』はこのときの出来事を題材にした。

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平知盛。「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」という

カッコよすぎる捨てゼリフを残したことで有名です。

 

 『義経千本桜』渡海屋・大物浦の段は、義経が頼朝に追われ、大物浦に逃げてきたところから始まります(※大物浦は現在の尼崎市にあります)。義経たちは九州に向かいたいのですが、台風で海が荒れて船が出せず、一行は仕方なく「渡海屋(とかいや)」という船宿に何夜か泊まります。

 

 ところが、この渡海屋の主人・銀平が、実は平知盛だったのです。知盛は清盛の四男で、清盛亡き後の平家の総大将です。娘のお安は安徳天皇で、おかみさんのお柳は安徳天皇の乳母・典侍局(すけのつぼね)でした。つまり、平家側の中核人物3名が実は生き延びていて、復讐を心に誓いながらひそかに大物浦で船宿を営んでいた、という設定のフィクションです。なお、安徳天皇が娘になっているのは、安徳天皇は本当は女子だったという伝説があるからです。(※こうやって説明すると、現代の小説やドラマなどにもよくありそうな設定ですね。)

 

 台風が落ち着いてきたある夜、銀平=知盛と家来たちは、いよいよ義経一行のために船を出します。彼らは復讐を遂げるため、わざわざ平家の幽霊に化けて、海の上で義経たちを襲います。しかし実は、義経や弁慶は、銀平が知盛であることに以前から気づいていました。知盛たちは返り討ちに遭います。最終的に知盛と典侍局は二度目の死を遂げ、安徳天皇は義経に救われます。以上があらすじです。

 

 

平和礼賛じゃなく
平和のはかなさを想う物語

 

 最後の場面で、義経は死にゆく知盛に対して「私たちがあなたがたの代わりに平和を実現します」と約束します。今回、全体の筋を知るために「橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻」を読みましたが、『義経千本桜』は渡海屋・大物浦の段だけでなく、全体を通して平和を願う反戦物語になっています。

 

「橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻」は要約編集とモード編集がすばらしく利いたシリーズです。

歌舞伎・文楽の予習や復習にオススメ。

 

 しかし、『義経千本桜』は単なる平和礼賛の物語ではないはずです。なぜなら、江戸の観客たちは、義経がもうすぐ死ぬことを知っているからです。平和を実現すると宣言した彼が、決して平和を実現できないことを知っているからです。それだけでなく、義経以降江戸時代までの400年以上、天下泰平の世がやってこないことも知っています。ここには「アイロニー」があります。このアイロニーが意味するのは、むしろ平和のはかなさ、平和を実現することの大変さではないか、と思います。
 
 『義経千本桜』が書かれたのは1747年、江戸中期の平和のまっただ中です。しかし、渡海屋・大物浦の段を書いたといわれる並木宗輔(並木千柳)は、「平和なんて、いつどうなるかわからないもの」と考えていたんじゃないか、と感じます。木ノ下歌舞伎の木ノ下さんの解説によると、『義経千本桜』を書く前に九州で大地震があり、多くの人が被害に遭いました。並木宗輔は、その被害者の追悼のために渡海屋・大物浦の段を書いたのだそうです。


 それを踏まえると、平和のはかなさが書かれていることに納得がいきます。平穏無事な生活は、たまたま突然破綻することがありうるのです。いきなり不穏な情勢や戦争状態になることだってあるのです。実際、香港やミャンマーはそうなりました。最近では、台湾もいつどうなるかわからない、と言われはじめていますね。

 この『義経千本桜』が歌舞伎三大名作の一つなのですから、江戸の皆さんは平和のまっただなかにあっても、現代の僕らほどは平和ボケしていなかったのではないでしょうか。

 


義経も景時も源氏も天皇家も盛者必衰

 

 三冊筋プレスの記事にも少し書いたことですが、『平家物語』は、表面上は、正義(義経)が悪(平家)に勝って平和になりました、という単純な物語です。一見『スター・ウォーズ』などの典型的な英雄物語と似ています。でも、実際は似て非なるものです。英雄物語の型に収まっていますが、大きくはみ出している部分もあるのです。

 

 もちろん、20年ものあいだバブリーに栄えた平家が一気に滅びるお話ではあります。ただ一方で、勝者側も勝った後に次々に滅びたり、力を失ったりしていきます。ご存知の通り、源義経は数年後の1189年に殺されます。義経を滅ぼした頼朝のほうも、三代将軍の実朝が1219年に殺されて源氏が断絶します。さらに、天皇家は、安徳天皇の後を継いだ後鳥羽院が1221年に承久の乱を起こして敗北し、急激に力を失います。
 ついでに言えば、冒頭に名前が出てきた梶原景時、義経とともに平家と戦いながら、義経を悪く言って失墜させた梶原景時は、源氏御家人間の権力闘争に破れて、1200年に一族もろとも滅びます。(※来年2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、このあたりの権力闘争のドロドロをバッチリ描くらしいですよ。)

 

 

 こう見ると、『平家物語』の勝者側のその後は死屍累々なのです。勝利した側が正義で、平和な社会を実現できた、というわかりやすい物語ではないんです。兵藤裕己さんは、『平家物語の読み方』(ちくま学芸文庫)で、そのことを「源平交替の『歴史』の構想は、おそらく物語世界の内部において破綻している」と書いています。

 「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」という有名なはじまりの文句ですが、もはや僕には平家だけに当てた言葉とは思えません。義経にも景時にも源氏にも天皇家にも当てた言葉ではないでしょうか。鎌倉や室町の時代に、琵琶法師の語りを聞いて、僕と同じように感じた人はきっと多くいたはずです。

 

 さらにいえば、兵藤さんはこうも書いています。「『盛者』と『生者』の発音上の区別(清濁のちがい)は、中世にあっては今日よりはるかにあいまいで微妙である。琵琶法師の語るジョーシャヒッスイは、耳なれた『生者』の必滅として、すなわち生あるものすべてのほろびの理法として受容されただろう。冒頭の対句がそのように受容されてしまえば、以下の文章も、そのような無常観の余韻とともに理解されてしまう」(『平家物語の読み方』)。

 つまり、兵藤さんは、盛者必衰=生者必衰であり、『平家物語』は琵琶法師によって「誰もが滅びる物語」として語られたのではないか、というのです。聴衆も含めた全員が負ける物語なんですね。典型的な英雄物語とはずいぶんかたちが違います。


 『平家物語』は、全体が諸行無常と盛者必衰=はかなさを体現する物語なのだ、と思います。その象徴は、平家と義経の両方なのです。

 


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。