追悼する=歴史を知る[芝居と読書と千の夜:21]

2021/06/17(木)13:27
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※↑は壇ノ浦古戦場跡にある平知盛の像です。自分の死体が浮かび上がって発見されないよう、碇を抱えて入水したと言われています。義経たちに自分の首を渡したくなかったのです。

 

★演劇:木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』

 

★千夜千冊:1176夜 安田登『ワキから見る能世界』
      1633夜 兵藤裕己『琵琶法師』

 

★本:いとうせいこう『福島モノローグ』(河出書房新社)

   石牟礼道子『苦海浄土』(河出書房新社・講談社文庫)

 

 

平家と安徳天皇だけじゃなく
義経も義朝も崇徳も成仏させる

 

 前々回の最後で少しだけ触れたように、『義経千本桜』渡海屋・大物浦の段の義経は、能の「ワキ」の役割を担っています。「シテ」は知盛です。知盛たちをわざわざ平家の幽霊に化けさせるくらいですから、並木宗輔は間違いなく夢幻能を意識して書いています。(※なお、世阿弥がつくり上げた夢幻能のシテとワキについては、千夜千冊1176夜 安田登『ワキから見る能世界』が無上の案内になっていますので、詳しく知りたい方はぜひこちらを読んでください。)

 

 1176夜の文章をお借りしながらおおざっぱに説明すると、ワキ(義経)は「あるところ(大物浦)」で正体不明のシテ(知盛)と出会います。異界からやってきたシテ(知盛)は、源氏に負けて入水した「残念の者」です。ワキ(義経)はシテ(知盛)の思いを祓い、思いを遂げさせます。

 ここでの知盛の思いとは、安徳天皇のもとで平和な世の中をつくりたい、という気持ちです。義経は安徳天皇を救い、平家に代わって平和な世の中を実現すると知盛に約束することで、思いを祓うのです。知盛は平家の代表者ですから、義経がやっているのは平家全体の思いを遂げさせようとする行為でもあるでしょう。

 

 

 以上のように見れば、渡海屋・大物浦の段が夢幻能の型に完全に則っていることは明らかです。ただし一つだけ一般的な夢幻能と違うのは、前回触れたとおり、義経は知盛の思いを遂げさせられない、平和を実現できない、ということです。義経もまた無念を抱えて死んでいくわけで、「役割を果たしきれないワキ」なのです。

 

 僕には、並木宗輔は、シテの知盛=平家と安徳天皇だけでなく、ワキの義経の無念もまとめて祓おうとしているように見えます。もっといえば、平清盛や平重盛や源義朝や崇徳院や藤原頼長や源為義や平忠正や藤原信西や藤原信頼や以仁王や源頼政や誰や彼やの無念も、まとめて祓おうとしているようにすら見えます。少なくとも、木ノ下歌舞伎版の『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』は、いま名を挙げたような人たち全員の無念を、一気に晴らすような表現をしていました。

 象徴的なセリフがありました。知盛が死ぬ直前に「生まれる前から、殺して、殺されて、殺して、殺されて…」と言うのです。もう一つ、「四姓(源、平、藤原、橘)始まって以来の因縁」という言葉も使います。義経も知盛も、お互いに個人的な恨みがあったわけじゃありません。戦いあう因縁のなかにたまたま生まれてきてしまっただけです。義経が奥州藤原氏に利用されたのも、本人にはどうしようもないことでした。彼らはそれぞれ、自分が生まれた世界の制約のなかで必死に生きたのだと思います。

 

 源平の時代は、複雑な因縁が絡まり合いながら戦いを繰り返す時代だったわけで、現代の僕らから見ても、江戸の世から見ても隔世の感があります。現代とは、社会のルール・ロール・ツールがまったく違いました。並木宗輔は、平和でなかった時代、ルール・ロール・ツールの違った時代の日本を必死で生き、死んでいった先達を一挙に追悼しようとしたのではないか、と思うのです。

 


好むと好まざるとにかかわらず
僕らは無数の死者の上に生きている

 

 そもそもは能の前に、平家物語自体が追悼と鎮魂のためにありました。

 

 千夜千冊1633夜(兵藤裕己『琵琶法師』)に説明がありますが、「平家一門が壇ノ浦に散ったのは元暦二年(一一八五)の三月二四日のことである。それから三ヵ月もたたない七月九日、都を大地震が襲った」のでした。「当然のことに、平家滅亡と大地震が結び付けられ、都大路は竜王の祟りであろうとの噂でもちきりになった。慈円も『愚管抄』に『竜王動くとぞ申し、平相国、竜になりて降りたると世には申しき』と書いた。平相国すなわち清盛が竜王になったのではないかという」のです。盲僧たちの平家語りは、この祟りを鎮めるために始まったのでした。

 

 つまり、『平家物語』にしても夢幻能にしても、中世の物語や芸能の多くは「追悼=鎮魂」が大きな目的の一つだったのです。『義経千本桜』は、この伝統に則り、九州の大地震で亡くなった人たちを追悼するとともに、江戸にあらためて源平周辺の人々を追悼した物語であるのだなあ、というのが、木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』を見た一番の感想でした。さらにもう少し見方を変えると、並木宗輔は九州の大地震の後に渡海屋・大物浦の段を書くことで、平家の祟りをいま一度鎮めようとした、とも捉えることができます。

 


 なお、今回僕が気づいて感動したのは、『平家物語』や夢幻能では、「追悼する」と「歴史を知る(思い出す)」がほぼ同じ意味になっている、ということでした。そこで、こちらこちらの記事では、あまりうまくできた気はしませんが、僕なりに追悼する=歴史を知るをやろうとしてみたのでした。

 

 僕らは無数の死者の上に生きています。そのなかには偉人も達人もいれば、クソもミソもフツーもいたことでしょうけど、好むと好まざるとにかかわらず、僕らは無数の死者の上に生きています。そのことを思い出すために、僕らはときどき死者を追悼したほうがよいのだな、と思います。そして、物語には歴史を思い出し、死者を追悼する力があるのです。

 

 僕などがこんなことを言わなくても、現代日本には追悼の物語を綴っている方がたくさんいらっしゃいます。たとえば、東日本大震災の追悼の代表例としては、いとうせいこうさんの『福島モノローグ』(河出書房新社)があります。この本が21世紀の『苦海浄土』と呼ばれるように、石牟礼道子さんの『苦海浄土』(河出書房新社・講談社文庫)は水俣病事件の追悼でした。コロナ禍が収まったとき、僕らに最も必要なものの一つは「新型コロナウイルスによる死を追悼する物語」ではないか、と思います。もちろん宗教は追悼を行うでしょうけど、物語にも大きな意味があるはずです。ただ、それをつくるのは日本人ではないのかもしれませんけど。

 

 


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。