「軽いいじめられ」のプロ[芝居と読書と千の夜:22]

2021/08/06(金)09:04
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★演劇:中野成樹+フランケンズ2021『Part of it all』

 

★本:エドワード・オールビー「動物園物語」
   (『エドワード・オールビー(1)』ハヤカワ演劇文庫所収)

 

 

 どの世界にも「通好み」があります。今日紹介するのは、「中野成樹+フランケンズ(通称ナカフラ)」。まさに日本演劇界の通好みで、通はおおむね評価しているけれど、一般的にはそこまで知られてはいない存在です。僕なんかは、なんで有名にならないんだろう、としか思わないんですが、いっこうに有名になりません。七不思議です。

 

 ナカフラの特徴の一つは、モリエール、ブレヒトなどの海外戯曲の「誤意訳」です。誤意訳とは、編集学校的にいえば、かなり自由な翻案です。それとは別に、彼らは別役実戯曲をよくやるんですが、ナカフラの別役は絶品です。別役を見たかったら、ナカフラを定期的にチェックすることをお勧めします。

 

 ということで、ナカフラ2年ぶりの会心作『Part of it all』について語ります。

 


三部構成の巧みな

誤意訳編集演劇

 

 『Part of it all』は、三部に分かれています。第一部は、現代アメリカを代表する劇作家、エドワード・オールビーの『動物園物語』のさわりの12~13ページだけを、台本通りに演じました。

 

 

 『動物園物語』は2人芝居です。40代はじめのごく普通の男・ピーターが、ニューヨーク・セントラルパークのベンチで日曜に読書をしていると、「動物園に行ってきたんです」と、見知らぬ30代くらいの男(ジェリー)に唐突に話しかけられるシーンから始まります。ジェリーはいわゆる「ヤバいヤツ」で、「ジェリーと犬の物語」なんかをまくし立てたりします。詳しく知りたい方は本書をどうぞ。

 

 

 つづく第二部は、『動物園物語』の「誤意訳」を上演しました。舞台は日本となり、ピーターは3人に分身します。会社仲間の3人がお昼休みに公園のベンチで休憩していると、見知らぬ若い男がやってきて「タバコを買いたいから、いまから1人300円ずつちょうだい」と突然話しかけてくる、というふうに「誤意訳」されました。セリフは全然違いますが、普通の人とヤバイヤツという関係性だけは原作どおりに残っています。

 

 そうそう、大事なことを言い忘れていました。ナカフラ演出では、ピーター=会社仲間の3人は真っ白なジャージ、ジェリー=タバコ男は真っ赤なジャージを着ています。つまり、ピーター=会社仲間は「白い普通の人」、ジェリー=タバコ男は「赤いヤバいヤツ」というわけです。

 

 もう1つ言い忘れていましたが、『Part of it all』の会場は「えこてん」という江古田駅前の雑居ビルの屋上スタジオでした。第一部・第二部は階下のスタジオ内で行い、最後の第三部は屋上で上演されました。7月のめちゃくちゃ暑い日でしたが、夏が来たって感じの晴天で、とにかく気持ちが良かったです。(ナカフラのサイトに屋上の様子が映っています。まさにこの空気でした。

 

 この演劇は第三部がすばらしかった。観客が屋上に行って席に座ると、白い服装の子どもたちが4~5人、白いお母さんたちがやはり4~5人、それから白いお父さんたちが同じく4~5人現れて、ビーチパラソルや子ども用のビニールプールやラジオなんかをセットしました。(なお、子どもたちは劇団員のお子さんだと思われます。つまり、この演出は子育て中の劇団員を出演しやすくする工夫でもある、ということですね。この点もすばらしい。)

 

 

 そうやって休日を外で楽しむ十数名の白い集団のなかに、先ほどの「タバコ買う金ちょうだい男」がやってきます。相変わらず、真っ赤なジャージです。白いお父さんたちは、赤いヤバいヤツを何とか子どもに近づけないようにしながら、男を受け流します。白いお母さんたちは子どもたちをじっと囲んでいます。白い子どもたちはそんなことなどまったく気にせず、本当に水遊びやなわとびに興じていました。男は「ジェリーと犬の物語」なんかをまくし立てたりして怪しいのですが、ひととおり話して気が済むと、去っていきました。

 

 第三部には、登場人物がもう1人加わります。「青いジャージの女」です。この女は終盤に現れ、気配を消して歩きます。誰一人注意を払いません。ところがこの女、白い集団のクーラーボックスから何食わぬ顔で水を一本拝借して、やはりゆっくりと歩いていきました。赤いヤバいヤツに気を取られていたからでしょう、青いヤバくなさそうなヤツの窃盗には誰も気づきませんでした。

 

 ざっとこんな話です。

 

 


僕は「軽いいじめのようなもの」に
しょっちゅう遭っている

 

 ここで少々脱線して、自分の話を持ち出します。自分で言うのもなんですが、僕は「軽いいじめのようなもの」にしょっちゅう遭っています。それをいじめというのは明らかに言い過ぎですが、なんとなく冷ややかな視線と、それとない排除、孤独化をもたらそうとする力によく遭遇します。憐れむような視線にも出会います。ときに陰口も叩かれているでしょう。もはや何とも思わなくなりました。(※もちろん、毎日のようにそんな目に遭っているというわけではないですよ。もしかしたら私も…と思った心優しいあなたは何にもしていません。ご心配なく。)

 

 原因もはっきりしています。僕が「所属しない(フリーランス)・群れない・発信しない(SNS嫌い)」からです。一言でいうと、僕は「得体が知れない」のです。現代社会では、得体が知れない人間はそれだけで赤いヤバいヤツと認定される傾向が強い。簡単な話です。

 

 僕は自分に原因があることはわかっているので、軽いいじめのようなものを仕掛けてくる相手を恨んだりするつもりはありませんし、仕返しをするつもりなどもありません。(ただ、こうやって書くことは、ささやかで平和的な仕返しかもしれません。)むしろ、僕のほうがそれを望んでいるようなところもあるわけで、別によいのです。

 

 最近の僕は慣れきっているので、軽いいじめのようなものがやってくると、内心ニヤニヤしながら密かに相手を観察しています。相手は僕をバカにしているのだから、そのくらいは許されるでしょう。相手は、僕が気づいていないと思っていることが多いような気がしますが、たぶん僕はほとんどのケースに気づいています。僕の見る限り、自分が上に立っていると思っている人間は無防備なのです。

 

 「軽いいじめられ」のプロとして断言しますが、いじめの気持ちは雑草です。主な栄養分は不安・恐怖と嫌悪感で、「不安・恐怖」の土の上に「嫌い」という水をまいたら、たったそれだけでいじめの芽はすくすくと伸びます。相手を観察していると、いじめの芽が出る様子がよくわかります。極論すれば、自分とはまったく違う誰か、得体のしれない誰か、何を考えているかよくわからない誰かと出会い、嫌悪感を感じた段階で、もういじめの微細な一歩目が始まっています。誰かを赤いヤバいヤツと認定した時点で、いじめの芽はもう出ているわけです。誰だって必ず、いじめの芽を心に生やしている、と思います。できた大人はそのことにきちんと気づいており、雑草を丁寧に刈っていますが、そうじゃない大人も多いように見受けられます。

 

 別に僕は、自分が聖人だというつもりはまったくありません。僕だって、たくさんのいじめの草を生やしてきました。実際、僕が受ける軽いいじめのようなもののなかには、因果応報だな、と思うものもあります。僕の言動が原因になっていることはよくありますし、なかには僕が謝らなくてはならない、と感じるものもあります。僕は軽いいじめのようなものの被害者であり加害者です。たぶん、世界のほぼ全員がそうでしょう。

 

 だから、僕は「いじめはなくせる」なんて、まったく思いません。人が赤いヤバいヤツを判別する意識を持つ限り、いじめは決してなくなりません。いじめがなくなる日は、たぶん人類が滅亡する日です。

 


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。